6-2 魔の刻
「あ、惜しい。あれっぽいのがあるけど、ない」
水分補給のために歩み寄った自販機の前で、ぱちぱちとまばたきをして言う由祈。
「あれじゃわからんだろ。何だ」
「何だっけ、あの……ビー玉が入ってる、ガラスの……炭酸のやつ」
「ラムネか。で、サイダーか」
「それそれ」
自販機に置いてあるのは“復刻”の文字が冠された昔ながらのデザインのサイダー。
言いたいことはわかったが、流石にラムネは自販機には売ってないだろう。
味は似てるわけだから、ここのところはサイダーで手を打つしかないのではないか。
「財布忘れた」
おい。
電車に乗ってここまで来たんだろうから、定期の類は持ってるんだろうが……。
仕方ない、とがま口を取り出しかけた時、違和の感覚が背筋に走る。
それが寒気、そして行動に繋がるまでに時間がかかったのが、俺の経験不足だ。
――きゅどっ!
遠方から放たれた弾丸に、命を救われた。
地を削り弾痕を穿った大口径が、木陰から飛び出した小柄な怪物の頭部を横殴りに撃ち抜き、消滅させていた。
間髪入れず、二撃、三撃。
一匹目に続き、汚れた牙を剥きだしにして現れた怪物を、弾丸が次々と破砕する。
息を呑む。あり得ないはずの光景に、思考が混乱する。
感覚した情報を改めて確認する。
人間でも動物でもない、異形の群れ。
間違いない。今のは、逸路だ。
ここは紛れもなく現実のはずだ。だが――なら、何で?
「悠乃ちゃん」
由祈が声を上げる。
どこに伏せていたのか、銃器と巨大なアタッシュケースを持った悠乃が姿を現し、こちらに歩み寄ってくる。
その出で立ちに怪訝な顔をする由祈に悠乃が端末をかざすと、糸が切れた人形のように由祈が意識を失い、悠乃に背負われる。
そこで気付いて、自分の右手を見る。
円環状の痣が、手の甲に現れている。
「ここを含む学区一帯が、敵の識域に呑まれたわ」
悠乃が平淡な口調で告げる。
フードから顔を出すのはヌーズ。続ける声は預言者。
『狂っているのかと思うほどの、自殺的な大攻勢だ。こんなことが出来る等級の逸路がやることじゃあない。かなりまずいぞ、直衛くん』
水晶玉から聞こえる声は緊迫している。その声音が、事態が差し迫った予想外の出来事であることを告げている。
「ひとまず避難して。校舎を防衛の拠点にする」
促されるまま、悠乃の随伴を受けて走る。
時間が経つごとに、歩き慣れた道筋を侵蝕するように、景色が塗り変わっていく。
見る間に錆び付き、破損するガードレール。舗装が崩れ、覗いた地面からは汚水が湧き立つ。
暗転する空。太陽は隠れ、雲がかる天には赤い月が昇る。
薄暮、狩りの時間。
校門と昇降口に立つ教師たちの指示により、校舎の窓は閉め切られ始めている。
だがそれも場合によっては逆効果だ。
識域が開く場所は屋内外を問わない。異形と共に、自分たちを閉鎖空間に閉じ込めてしまうことにもなりうる。
袋小路を救ったのは悠乃の弾丸だった。正確に放たれる射撃は逸路の群れを誤射なく縫い止め、素早く安全地帯を確保する。
アタッシュケースを蹴り開けると、内部から現れたのは時計のない時限爆弾に似た大型の装置。
起動した瞬間、球形状に広がる不可視の波紋が、一帯を浄化したのがわかった。
掌の痣が薄れ、確かな現実の感触が戻ってくる。
「佑。大﨑さんと、ここにいて」
由祈を降ろした悠乃は、フードからヌーズが飛び降りるのを待ち、言い残すと、銃器を抱えて消える。
「待――」
反射的に後を追おうとするが、そこで足が止まった。
ここで出て行って、何になるというのか?
守りたい相手は傍にいる。今は安全でも、いつそれが無効になるかわからない。
ここに留まり、“もしも”に備え、悠乃を信じて待つのが最善ではないのか?
――駄目だ。
一歩を踏み出せずに思う。
こんな状況で、自分勝手になることなんて、俺には――。
総毛立つ危機の感触が脳髄を走り抜けたのは、その時だった。
思考の余地もなく、惹き付けられるように、意識が窓の外へと向かう。
地平の向こうまで続く薄暮の向こう。月光を背負い、小さな影が一つ、現れている。
「やあ、やあ、存在の保証持つ現実の皆様方。ご機嫌、
声が響く。柔らかく、奇妙に愛嬌のある、正気を蝕む、おぞましく危険な声が。
「当方、“係争屋”と申しますもの。この度は
ぞるっ。
その一声を合図に、薄暮の暗闇から、無数の異形が出現する。
校内がざわつく。校庭で、校外で、悲鳴、そして断末魔と思しき声が上がる。
今までの異常は、これから起こることの前奏に過ぎなかったと理解する。
月がその赤さを増し、煌々と地を照らす。
現実と空想の狭間で、想像をすら
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