1-5 「感触する」

 轟音を上げ大蠍が飛び、半壊していた壁に大穴を開けながら、暗がりへと消える。

 俺の“願い”の煽りを受けた異形の前脚は損壊。

 込められていた膂力が放散され、俺は自由になる。


 右手が熱い。まるでそこに、第二の心臓が生まれたかのようだ。

 見ると、螺旋を円形状に繋げたかのようなあざが、そこに浮き上がっている。


 それだけではない。“触れること”を通して得る世界の解像度が、段違いに上がっている。

 掌から指先までが脈打つたび、大気だけでなく、それらを介して近接している物体の内奥にまで手応えが及ぶ。


 それは俺にとって、物体モノの在り方を識ることと同義だ。材質、混合物、内包物、それらから類推される機能、果たしている役割。人工物ならなおのこと顕著に、それらが肌身を通して伝わってくる。


 今俺がやったことは、至極単純――蠍異形の躯体の“在り方”を測り、それを力の限り

 たとえて言うなら、繊細な状況の積み重なりによって安定している存在の帳簿ステータスを開き、目に付く部位から狂わせたようなものだ。


 歯車が壊れれば詰まる、それが連鎖すれば内破する。

 俺が手で触れ、“願い”をぶつけた箇所が壊れた反動で、あの異形は吹き飛んだのだ。


《し――》


 かすかな活動の感触。

 次の瞬間、瓦礫を巻き上げ、血を流す蠍異形が凄まじい速度で突っ込んで来る。

 だが、こちらも用意は出来ている。


 ――どくんっ。

 ばじいっ!!


 地面に突き立てた掌を中心に、周囲を走査スキャン。近接領域の構成を把握――建物の一部を角柱状に切り出し、底部を破壊オーバーロード。即席のコンクリート砲弾を生成し、射出。宙を舞い襲い来る異形を叩き、力尽くで打ち落とす。


 つんざくような撃発音と命中音が連続、敵異形は弾け飛び、建物の残骸へと落下。

 だが、まだ。

 壊れた感触がしていない。ある程度の有効打を与えただけ。

 生きるか死ぬかの瀬戸際だ。手を止めることは出来ない。


「あああああああっ!」


 ――どくん!


 続けて再走査スキャン。更に柱を生成し、発射。

 立ち上がる巨体を両横から挟み込み、砕けゆく大質量と運動エネルギーの全てを対象にぶつける。


 直接接触からのさっきの一撃はだ。

 こちらは満身創痍、体格スケールも違えば膂力や速度でも劣る立場。もう一度接近戦に持ち込む危険リスクは侵せない。距離を保った今の状態で倒すしかない。


「立ち上がらせるかっ――!」


 一打。二打。三、四、五六七。

 一撃ごとに軋む手応え、積み重ねて押し潰しにかかる。

 空間が震え、一帯が激しい震動に包まれる。

 相手の手触りが感じ取れなくなるまで打ち込んだ時、ふつりと糸が途切れるように全身の力が失せた。


「はっ、はっ……!」


 膝を突き、肩で息をする。

 消耗に加え、拡張された感覚をフルに発揮した反動か、世界がひどく暗い。

 どうにか顔を上げ、異形の埋もれた方角へと五感を向ける。

 沈黙。麻痺した感覚では、使い切られた瓦礫の何処に埋まっているのかさえも定かでない。


「やった、のか……?」


 胸を打つ鼓動の感触だけが、静かな世界に木霊する。

 これ以上は意識が保たない。

 地面に触れたままだった右手が離れ、目を閉じようとした、その時。


 ばぎゃあっ!!


 前方で轟音。脚を幾本か、そして尾先をも失い、胴体も一部を欠損させた異形が、膨大なコンクリート弾の残骸の中から現れる。

 明らかな致命傷だったが、それでも異形は動き、こちらへ迫ろうとする。


 もはや対応する余力も残っていない、立ち上がることすら出来ない。

 疾駆する異形の躯体に、俺は、そのまま挽き潰される――。

 そう思った。けれど、そうはならなかった。


 ――たぁんっ!


 雨で氾濫した空間に、響く炸裂音。

 それが銃声だと気がつくまでに、若干の間を要した。


 たぁんっ!たんっ!たんたんたんたんたん、たぁんっ!


 質量、体積に比すれば、ごくわずかであるはずの衝撃の連打。しかし、撃ち込まれるたびに明確に巨体が揺らぐ。

 存在が、揺らぐ。


「――攻撃をするのなら、観測が途切れるような手を自分から打ってはだめ」


 背後から、鈴の音を転がすような声がした。


「余波は小さい方がいい。その方が、相手の沈黙をきちんと確認出来るから。覚えておいて、佑」


 ゆっくりと、かろうじて、振り返る。

 磨かれた芸術品、陶器のような感触。少女が一人、そこにいた。


 幾重も混血を重ねたようなおもて。流れる銀の髪、小さな体躯。暗がりに溶けるような黒衣――そして、虹の瞳。


 あの異形が現実離れした怪物なら、こちらは現実離れした人間だ。

 完成された一つの造形解のような相手が、俺を見つめている。


 ――ここに入ってから、信じられないようなものにばっかり出会でくわすな。


 感慨というか、呆れというか。

 そんな感情を口にすることも出来ないまま、倒れる。


 いい加減に、限界だ。


 頬の触れた地面が暖かい。

 静かに向けられる視線を肌に感じながら、俺の意識はゆっくりと暗転ブラックアウトした。

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