1-3 暗室、虹の瞳
かち、かち。かち、かち。
音を立てて、
薄暗い、大がかりな空間。光源は最低限、余剰体積僅少――人工物ばかりのつくりにも関わらず、人間が立ち入り、何かをするためのスペースがほとんど存在しない。
そこに、独り。
部屋の中央に当たる場所に設けられた円台、その上に、物言わず、少女が佇んでいた。
流れる銀髪は美しく、幾重もの混血を重ねたかのような
衣装は黒。暗がりの故に、周囲に溶けこむような闇色と取れる。
所狭しとならぶ、用途不明な機材に囲まれて、少女は目を閉じたまま、静かに呼吸していた。過剰に清浄化された場に特有の、空気の無臭。
秒針が刻む音の他は、僅かな通電駆動の気配しか感じられないその場所で、少女は沈黙を守り、ただ鼓動を積み上げている。
その静寂に、やがて変化があった。合成音声と思しき声が、少女の頭上から降り注ぐ。
『現地時間一六時一七分一〇秒、対象の現実からの消失を確認。転移先は不明、敵性
一拍を置いて、全く同じ口調で、音声。
『以上の観測情報を伴い、“円卓”に作戦の採択を再打診。審議会より採択の返答あり。申請番号九七八-四〇六二八作戦の緊急発令を確認。申請者の受諾応答を求む』
「発令を受領。“円卓”より委嘱された内容の一切について、受諾する」
『本人音声による受諾を確認。現刻より、申請の内容に従い、
表示されていた無数の電子時計の表示が収束、『一六時一八分二七秒』を示す一つを残して消失する。
沈黙を保っていた機器が次々と起動し、点灯する液晶と計器の光を受け、室内が息づいたように照度を増加させる。
呼吸を合わせるように、少女が瞼を開いた。
覗く瞳、白――否、光を受けて万色と変わる、虹色。
少女の黒衣、懐から、一瞬のノイズを挟んで、先程の合成音とは違う男の声が響く。
『やれやれ、ようやくか。気を揉まされたが、これでやっと大っぴらに動けるというものだね』
少女、返答の代わりに手を伸ばし、取り囲む機材を操作し始める。
電子パネルを細く白い指先で操作、胸ポケットから取り出した青く光る小端末――浮かぶ「Terminal No.826」の刻印――を接続。表示された「
『認証。対象区域に探査公識域“ターミナル”八二六号のテクスチャを展開、走査開始。完了まで――』
音声の返事を待たず、別の機材から排出された大型のアタッシュケースを引き出し、足下に安置。同時に排出されていたポーチと拳銃一丁を腰に提げると、
『特定完了。対象識域と“ターミナル”との同調を開始……成功。降下実行まで、四〇秒』
「ふうー……」
長く、細い吐息。
自由になった手が、胸元から下がる金属性の小容器を握りしめる。
『君にしては珍しい。緊張かい?』
柔らかい男性の声が、気遣うように、そして少しからかうように口にする。
少女――目をわずかに細めて、呟くように。
「違うわ。心の準備をしただけ」
『なるほど? まあ、最初の山場だからね。僕の視た通りなら、万事上手くいっても危ない橋だ。いつものことと言えばそうだけれど』
少女の声音は平淡。取りようによってはひどく無愛想だ。
しかし男は気にした様子もなく、言葉を続けた。
「それに、望まれない介入である可能性もある。そこのところは、僕の預言には情報がない。もしかしたら、ここで墓に入る方が、彼にとっては幸せかもしれない。今一度聞くが、それでも、やるというのかい?」
「――うん」
言葉少なな少女は、目の前で刻まれ、減少していくカウントダウンの数字を無表情に眺めていたが、男が問いを発すると、かすかに面を伏し、やがてはっきりと答えを口にした。
「望まれなくてもいい。正解でなくてもいい。上手くいかなくてもいい」
カウントダウンが五秒を切る。アタッシュケースを白い指が握る。
金属の容器がしまわれ、少女の身は黒一色が覆うばかりとなる。
表示がコンマと数秒の刹那を刻む瞬間、わずかに声色に決意の感情を滲ませて、少女は言った。
「それでも、私は、行く」
『――
合成音声が響いた直後、全てが暗転。波濤が如く少女の足下から立ち上った気流は、小さな彼女の
激しい風に目を閉じることもなく、少女は虹の瞳で眼下の歪な世界を望むと、急速な勢いで、地上に向けて降下していった。
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