識域のホロウライト【公募版】

伊草いずく

1.Hollow White, Starry Sky

0.プロローグ

0-1 青空、入道雲、いつかの夏

 境界を越えた向こうには、懐かしい景色が広がっていた。


 そびえ立つビル群。

 抜けるような一面の青に、伸びる入道雲。

 照りつける太陽の下、輝きながらかすんで、ゆっくりと回る、観覧車。


 かつてあって、いつしか消えてしまった情景。通り過ぎた人は大勢いても、覚えている人はきっと数えるほどしかいない、小さく些細な風景ロケーション


 あの日と同じその場所に、あの日より随分伸びた背丈と身体で、俺はいた。

 河川沿いの公園。小さな斜面、広がる芝生の上。


 思い出の通り、降り注ぐ陽射しは強烈で。光に満ちた世界は、目を開けていられないくらいに眩しい。

 嫌いじゃない暑さ。けれど記憶を刺激されて、ひどく喉が渇く。

 飲みたいものがあったことを思い出して、ふと試みてみようと考えた。

 一方の手に意識を集中する。


 “空想イメージを補助するには言葉がいい”。


 鈴を転がすような声で、脳裏に蘇る教訓。

 反芻しながら発音する。


「ラムネ、瓶入りの。よく冷えたやつが一本」


 ――とんっ。


 それで上手くいった。

 指先に引っかかる重み、遅れて伝わる冷気の感触。

 汗をかく、涼やかなガラス瓶、一つ。手の中に、求めた通りのものが現れていた。


 蓋代わりのビー玉を指で落として、中身を一気に飲み干す。

 甘い炭酸が身体の内へと落ちていき、わだかまっていた渇きが少し大人しくなる。


 周囲を感覚する。

 海のそばの埋め立て地に特有の、潮の匂いが遠くかすかに香り、きらめく水面を、遊覧のフェリーが行き過ぎる。

 風が吹くと、流水の傍に特有の、水気を含んだ涼の感触が肌を刺激する。

 左右に視線を向ければ、長く彼方まで続いたコンクリート敷きの道が広がる。

 そのうちの一方に向けて歩き出した。空き瓶を手放すと、空想イメージがほどけて、地に落ちて割れる前に、光の塵になって消えた。


 そいつは初めて出会ったのと同じ場所にいた。

 鉄柵に体重を預け、片足をぶらぶらと揺らし、ぼやっとして、観覧車を見上げていた。


「ちーす」


 眺めた格好のまま、そいつが言う。


「おう」


 こちらも返す。だらりと手をぶら下げたまま。

 ゆっくりと振り返るそいつの眩しさから、目を逸らさないようにと気を付けながら。

 全てが空想イメージで出来ているこの場所でも、わずかの遜色もなく。そいつは誰よりも綺麗に、澄み切って、世界の中で輝いていた。


「来た、ってことは、決まったわけですか。どうするか」


 現実離れした一枚絵のような風景に佇んだまま、よく通る透明な声が言う。

 いつも通りの調子。

 その変わらなさに、胸の渇きが深くなる。

 秘めた回答を言葉にすることを、拒むように。


「――――」


 それでも、口にする。

 吹く風にかき消されることがないよう、強く。


「あははっ」


 聞くと、整った口元にわずかに歯を覗かせて、屈託のない笑いが返って来た。


「はっきりしてていいじゃん、ゆうにしては」

「誰かに言われたからな。うだうだするなって」


 皮肉を返すと、笑みが一段深くなる。


「上出来。――じゃあ、やろっか」


 言葉と共に、指先が弧を描いて心臓に当てられる。


「ああ」


 こちらもならう。

 手のひらが胸を覆うと、渇きの感触が、奈落の底へ転げ落ちるような勢いで強くなる。

 それでも続ける。空想イメージを。

 心の奥底から引き出すのは、明確な“意味”を備えた、もう一人の自分。

 感覚の全てが溶けていきそうな、どこまでも続く青い空の下で。俺とあいつの、鼓動を打つ胸に、白と銀の光が灯る。


 撃発のための言葉――発音するのは同時。


「「改鋳リキャスト」」


 宣言の直後、俺の存在と、淵の淵までき止めていた胸の内の渇きとが、その位置を入れ替えた。

 “俺”が組み変わる。揺らめく光が溢れ出す。輪郭がほどけ、抜け殻のような金属質の、虚白色ホロウ・ホワイトの駆体が世界にあらわれる。

 同時に目の前の存在もまた、その輪郭シルエットを変える。光を吸う表面は星火に似た銀スターリー・シルバー、在り方の強固さを顕すように美しく。


 言葉はもう要らない。

 その先にあるものが全てだった。


 感覚するより早く、彼我の距離が詰まる。


 激突、衝撃。

 かりそめの世界を支えていた空想が軋み、崩壊し、砕け飛ぶ。

 飽和の感触の中、よぎる記憶は走馬灯のように。


《――――》


 鈴の音に似た声の訪れと共に転がり出した、このたった数日間のことを思う。


 忘れがたい幾つもの光景。表沙汰になった白光びゃっこうはしかし、それらと意識を共にむしばみ、くべた写真を食い潰す猛火のように、跡形も残さない虚ろを刻んでいく。


《ああああああっ!!》


 それさえも置き去りにして、れっぱく。初手に続く、渾身の一撃を引き絞る。

 交錯――光が満ち、空が、水面が、交じり合う二つの色に射抜かれる。


 染まる世界、五感を埋め尽くす衝撃の向こうに、遠く蝉の声が聞こえる。焼け付いた舗装道路アスファルトの照り返し、その黒色と熱がにじむ。


 物語は、夏休みをすぐに控えた七月、高校二年のある午後から始まる。

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