OFFICE -あるオフィスの恋模様-

天風 繋

第1話 弓弦

Episode1

深夜の公園。

ベンチで下を向く男性がいた。

彼、早間はやま 弓弦ゆづる

先刻、全てを無くした男性である。

彼の心にあるのは絶望。

すっかり、心が折れてしまっている。

弓弦のことを話すには、少しばかし時間を戻す必要がある。



高層マンションの最上階。

弓弦の住まいである。

彼は、ここで婚約者である藤堂 ハルミと同棲している。

2人は、高校時代から付き合っていて高校を卒業と共に婚約をした。

藤堂家は、大手老舗企業を母体とする財閥である。

ハルミは、そこの令嬢だ。

弓弦は、その企業に勤める重役の1人である。

のちの社長候補として日々慢心している。

年は、28歳。

大学を卒業してから6年。

彼は、ひたすら仕事を続けた。

20連勤は当たり前。

多いときは、30連勤もしていた。

残業代などつかない。

朝早くに家を出て、夜遅くに家に帰る。

時には、職場に泊まり込むことも多かった。

休みはほとんどなく、ハルミと会うことは少なくなっていた。

大企業『トウドウカンパニー』は、ブラック企業である。


3月31日23時。

弓弦は、フラフラな足取りでマンションへと戻ってきた。のだが、アパートの入り口で解除キーを押しても入り口が開かない。


「は?なんで開かねえんだよ」


弓弦は、スマホを操作する。

着信音が鳴り、しばらくして音が止まる。


「あ、ハルミ?俺だけどさ」

『ああ、弓弦か。何の用よ』

「いや、マンションのエントランス開かねぇんだけど?」

『ああ、アンタとの婚約は解消したわ。

だから、アンタの家じゃないんだから開かないに決まってるでしょ、バカじゃないの』


通話はそこで切れた。

弓弦は、さらにフラフラしてマンションのエントランスを出て職場に戻ることにした。


「婚約解消か・・・」


彼は、ぼそっと呟いた。

もう終電も過ぎている。

弓弦は、フラフラと会社へと戻るのだった。

徒歩では、2時間ほど掛かる。

戻ってくるのに1時間すでに掛かっている。

実は、会社から電車は乗れたが駅からバス乗ることが出来なかった。

その為、駅から徒歩で帰ってきていたのだ。

弓弦は、今日で60連勤している。



それから、2時間後。

弓弦は、会社近くの公園のベンチで途方に暮れていた。

何故なら会社の入館が出来なくなっていたから。


「はははは・・・」


彼からは、乾いた笑いしか出なくなっている。

弓弦は、婚約破棄と失業、そして家を同時に無くしたのだった。

6年間ひたすらに頑張って来たのに失うのは一瞬だったのだ。


そんな時だった。

彼の元に一人の女性が千鳥足で近づいてきた。


「あ~、しぇんぱいだぁ」


彼女は、とても酔っていた。

さて、この女性は秋山 晴夏。

晴夏は、セミロングの長さの茶髪で前髪は流している。

タイトスカートのスーツを着ている。

仕事終わりで、呑み会へと言っていた彼女は相当飲まされている。


「ああ、秋山か・・・すげえ、酔ってるみたいだが大丈夫か?」

「だいじょうびだいじょうび。私酔ってにゃいので」

「あー、わかったわかった。送って行ってやるから」


弓弦は、ベンチから立ち上がり彼女の前で腰を下ろす。


「しぇんぱーい」


晴夏は、そう言って彼の背中にもたれ掛かる。

そして、弓弦は彼女をおんぶする。

彼は、ゆっくりと歩いていく。

すっかり、疲れ切っている。

弓弦は、彼女の家は知っている。

晴夏は、仕事の後輩ではない。

高校と大学時代の後輩である。

職場は違うが交流は今でも続いている。

割と長い腐れ縁な二人だ。

やがて、晴夏から寝息が聞こえてくる。

どうやら、寝てしまったようだ。


「ったく、俺にどうしろってんだ。

まあ、助かったわ。ありがとう、秋山」


そう、弓弦は呟きながら歩いていく。

晴夏のアパートは、公園から30分ほどの距離だった。

弓弦は、彼女を抱えてアパートの5階までエレベーターに乗る。


「秋山、鍵」


うーんと唸りながら晴夏は、鍵を上着のポケットから出して彼に渡す。


「これで、起きてないのか・・・」


弓弦は、鍵を受け取ると停まったエレベーターから下りると彼女の部屋へゆっくり歩いていく。

晴夏の部屋は、506号室。

エレベーターから下りて一番奥の部屋である。

弓弦は、息を切らせながら歩いている。

今日だけで、かなりの距離を歩いているのだから。

やがて、ドアの前へと辿り着いた彼は片手で鍵を開ける。

ドアを開けて、晴夏の部屋へと入った。

綺麗に片づけられた部屋。

観葉植物が飾られている。

玄関には、真っ白なスマートな猫が行儀よく座っていた。

主人を待っているかのように。

猫は、ターキッシュアンゴラと言う描種である。


「ブラン、久し振り」


弓弦が、ブランと名付けられた猫に挨拶をすると「にゃあ」と小さな声で鳴いた。

彼は、その猫とは付き合いが長い。

何故なら、高校時代に弓弦が拾った猫を晴夏が飼っているからだ。

当時は、まだ目も開かない仔猫だった。

それから、10年。

ブランもすっかり年を取っている。

10歳ともなると人間では50代後半くらいになるだろう。


「ブラン、秋山・・・晴夏。寝っちゃってるんだ」


そうブランに告げると、腰を起こして歩き始める。

付いてこいと言うかのように。

ブランは、そのまま寝室の方へと向かって歩いていた。

寝室の前までくると手前で腰を下ろす。

弓弦は、寝室のドアを開ける。

照明の灯りを付ける。

すると、ピンク色を基調とした部屋が目に映る。

カーテン、ベッド、ラグなどがピンク色である。

弓弦は、晴夏をベッドに寝かせる。

すると、彼女のベッドにブランが入り込む。

弓弦は、照明の灯りを落として寝室を出た。


「もう無理、流石に歩けん。

秋山には悪いけどリビングのソファ借りよう」


弓弦は、そのままリビングに向かいソファに倒れ込んだ。

そして、すぐに寝息を立てて眠りに就いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る