第16話 風の香り

 僕達は列車を乗り換えるために一旦駅の外を歩く。

 釜石線のホームは少し遠かったけれど、僕の足取りは軽い。東京駅の時とは気持ちも全然違う。初めて乗る気動車にワクワクしている。


 釜石線の駅のホームに入ると、近くに田んぼが見える。

 風で稲が波打つ姿が、こちらに挨拶をしているように見える。


 親戚のおじちゃんの山を守る神様が、「うちん所の坊主がそっちに遊びに行くから頼むよ」とこっちの神様に話をしてくれたに違いない。失礼の無いように、しっかりと頭を下げて挨拶を返す。山の仲間に「あいつは他所ん所で悪さばっかりしてたぞ」なんて報告されたら、帰ってから陽平と行くカブトムシ捕りに影響が出てしまう。


 ゴミが落ちていたら拾おうかと辺りを見回したけれど、ホームも駅舎も綺麗に掃除されていてそんなものは落ちて無かった。

 まあ、そこまでする必要もないかなと思った。


「はー、気持ちい風。草木の匂いも心地いい」


 お母さんは目を瞑りながら立ち止まる。


「もうすぐ夏も終わりね」


 お母さんは少しだけ物悲しそうな表情を浮かべる。


「まだお盆にもなっていないよ」

「あっちに住んでるとこんな事思わないかもしれないけれど、東北の夏は短いの。お盆が過ぎると段々と秋の気配がしてきて、すぐ冬になっちゃうのよ」

「そうなの?」

「滅多に無いけれど、冷え込む時は十月に氷が張ることもあるんだから」

「えっ?」


 衝撃の事実に僕は驚く。


 すぐ冬になるといっても、そんなに早くだとは思わなかった。館山は九月になってもまだまだ暑い。十月になってやっと暑さがおさまってくるのに、その時期に氷が張るなんて信じられない。冬なんてもうすぐクリスマスって時期にやっと感じるくらいだ。


 少し大袈裟かなとも思ったけれど、あの耳がとれるかと心配になるぐらいの冬の寒さからすれば、信じるしかない。


「それだから、夏休みも千葉の学校よりは短いの」

「えー、それは嫌だな」

「そうよね。でも冬休みはその分長いのよ」

「冬休みかー」


 冬は寒いばっかりで、何をして遊ぶか直ぐに思いつかない。楽しみなのは釣りぐらいかな。

 街の賑わいも夏とは正反対で、観光客も少なくどこか物寂しい感じがする。


「あら、不服そうね」

「どっちがいいかって考えたけれど、夏休みが長い方がいい気がする」


 冬休みにはクリスマスとお正月があって、プレゼントやお年玉も貰えるから好きではある。でも、二つとも日にちが決まっているから、休みの長さは関係ない。


「やっぱりそうよね。でも、岩手の冬は雪が降るのよ」


 お母さんは、なぜだか少し悔しそうにしている。


「雪は好き」


 僕は淡々と答える。

 僕の住む街にも雪は降る。でも、一冬で数えられるぐらいにしか降らない。雪が降ってきた時は、友達みんなで大騒ぎする。


「そうでしょ、そうでしょ」


 お母さんは、なぜだか少し嬉しそうだった。


「前に来た時は雪が積もっているところが見れて嬉しかった」


 これについても、慎重に言葉を選ぶ。

 あんなに雪が積もっているのを目の前で見るのは、岩手が初めて見た。一面が真っ白になってたのに、岩手のおじちゃんは「これでも雪は少なくなった」って言ってた。八幡平という所はもっと雪が降るらしい。そんな世界は考えられない。


 岩手の雪を見るまでは、みぞれ混じりだったり、粒が大きかったり、べちゃべちゃしていても白っぽかったら雪だった。その雪も岩手の雪と比べると雪って言っていいものか分からない。岩手の雪はサラサラで服についても直ぐに溶けない。パラパラパラパラと軽やかにジャンパーに当たる音が聞こえた時に、その違いを強く感じた。


 でも、このことは今は言わない。


「積もるところを見るのは、あれが初めてだったよね」

「うん。そういえばあの話って本当?」


 この話をしていると余計な話に飛び火しそうだから、少しずつ雪から話を変える。


「あの話って?」

「おじちゃんがしてた、学校に行くのにスキーで行っちゃダメってやつ」

「あー、あれ。本当よ。私たちが子供の頃の話だったから今はどうか分からないけどね」


 お母さんの通っていた小学校には、スキーを履いて登校してはいけないって校則があったらしい。面白校則ってやつだ。

 僕の通う小学校では考えられないし、そんなやつがいたら変なヤツだって思われる。


「どんなことして遊んでたの?」

「みんなと一緒になって遊んだのは、スキーとか雪合戦とかかな。外で色々と遊んでた人もいたけれど、私はあんまり外で遊ばなかったんだよね」

「やっぱりね」

「やっぱりって何よ。これでも小さい頃は活発な子だったのよ」

「そういう意味じゃなくてさ」

「じゃあどういう意味よ」

「寒いから行かないとか言ってそうだなって思って」

「何よそれ」


 それ以外に言い返してこないところを見ると、多分あっている。

 お母さんの小さい頃を知っているほとんどの人が、「性格がお母さんの小さい頃にそっくり」と日和のことを言う。そんなお母さんが雪の中を走り回っている姿は思い浮かばない。


「あの時は稲も生えてなくて木も葉っぱを散らしてたけど、今は緑が綺麗だね」

「そうね、夏真っ盛りって感じね」


 再び気持ちい風が吹いてきた。


「風も潮の香りじゃなくて、何だか変な感じがする」

「私は、この匂いがしてくると、もうすぐ盆踊りだってワクワクすると同時に、夏も終わりに近付いてきたなって寂しくもなるの」

「僕は、クラゲが出てきて海で泳げなくなると、夏休みもそろそろ終わりだなって思う」

「ヒロはそうやって夏の終わりを感じるのね。住む場所によって、季節の移り変わりを感じるものが違うのも面白いね」


 話のすり替えはどうにか成功した。


 新花巻駅には浮き輪を持って歩いている人も見かけないし、周りを歩く人からも夏を感じさせる浮ついた感じがしない。楽しげな雰囲気があるけれど、どこか落ち着いている。


 同じ夏なのに、住む場所によってこんなにも違う。

 海沿いの街と山間の街。暖かい町と寒い街。その違いを駅に降りただけで、僕は感じた。

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