第28話 黒帽子

 記憶の探索に慣れてきたので、通常の時間経過の五十倍以上の速度で記憶を再生し、必要な場面をピックアップできるようになった。

 ただ、五十倍の速度で再生しても、ルカ師匠に魔改造された体は、何が行われているか認識出来てしまう。


 つまり早送りしていても、金子のゲスい行動を見てしまっているのだ。

 しかも、金子はほぼ毎晩のように性的虐待を続けていた。


 違法薬物の密売で得た地位を利用して楽しんでいるというよりも、そうした行為を楽しむために薬物の密売を行っていたようだ。

 吐き気のするような残虐行為を何度も何度も追体験させられ、もう心が折れそうになった頃、ようやく卸元おろしもとの人物との接触が行われた。


 日付は、今から三ヶ月ほど前のようだ。


「ありました。黒帽子と名乗っている卸元と接触したようです」

「黒帽子だと! 間違いないのかね、誠君!」


 黒帽子の名を聞いた途端、真行寺さんは椅子を蹴立てて立ち上がった。


「有名な人物なんですか?」

「七、八年前から名前を聞くようになった男だが、実在しているのかどうか、存在が疑問視されている男だ」

「イメージを共有しますか?」

「それって、私も金子の記憶を覗き込めるということかい?」

「記憶を辿りながら同時には無理ですが、僕から真行寺さんや松永さんに送り込むことは可能ですよ」

「頼む、やってくれ。黒帽子の姿を私に見せてくれ」

「分かりました。短い動画みたいな形になります」


 金子と直接接触した黒帽子の姿を短い動画の形に切り取って、真行寺さんの脳に送り届けた。

 古びたダークスーツに身を包み、杖をつきながら現れた男は、骸骨のように痩せていた。


 ニックネームの通り、黒い中折れ帽を目深に被っていて、目元は見えない。

 ただ、中折れ帽の下から見える細い鼻筋や顎、首筋や杖を持つ手は皺だらけで、金子と交わす言葉の響きからも老人のようだ。


「こいつが黒帽子……姿を確かめたのは、これが初めてかもしれないな」

「手広く商売を広げて、裏での信用が高まってきたから顔合わせが出来たようで、あの金子も黒帽子には敬語を使っています」

「これは……思わぬ大物が引っ掛かったものだ。誠君、一説には魔薬の大本は、この黒帽子ではないかと言われているんだよ」


 真行寺さんの話によれば、黒帽子の名前が違法薬物を扱う界隈に流れ始めたのが今から七、八年前ぐらいで、魔薬と思われる品が出回り始めたのもその頃からのようだ。

 黒帽子の名は、大手の売人が摘発される度に捜査線上に上がっていたそうだが、姿をみた捜査員は一人もおらず、人物ではなく組織の名前だと考える人もいるそうだ。


「我々が捜査を進めて、売人から元締め、元締めから卸元と密売ルートを辿ろうとしても、この黒帽子のところでプッツリと糸が切れてしまうのだよ」

「金子もMを融通して欲しいと、しきりに頼んでいます」

「間違いなく魔薬のことだろうね。うん、ここは新宿中央公園みたいだね。誠君、背景の分かる場面を送ってくれないか?」

「分かりました」


 金子の記憶から、黒帽子との面談を終えて、タバコをふかしながら周囲を見回した場面を切り取り、真行寺さんに転送した。


「うん、間違いないね。新宿中央公園だ」


 真行寺さんは、建物の位置関係から金子が会談を行った場所を推測したようだ。


「誠君、この場所は金子が指定したのかい?」

「いいえ、黒帽子からの指定でした。それも、一度別の場所に呼び出してから、電話で移動するように指示されています」

「なるほど、黒帽子としても用心しているようだね」


 黒帽子が話をしている姿は、それこそ近所のお爺ちゃんが世間話でもしているようだが、あのゲスの金子が緊張している様子が声のトーンからも窺える。


「いったい何者なんでしょう……」

「さて、我々捜査関係者の間でも都市伝説か、幽霊みたいな存在だからなぁ……誠君、何とか目元を見れないかね」

「やってみます」


 ダークスーツに中折れ帽、杖をついた痩せた老人という全体像は捉えられたが、人物を特定するための目元が見えない。

 取り引きの交渉をしている間、金子も黒帽子を観察し続けていたが、ただの一度も目元を見せなかった。


「駄目ですね、金子にさえ目元を見せないようにしています」

「そうか、では交渉に入る前はどうだい?」

「そうか、対面する前……」


 黒帽子と接触する前の金子の記憶を遡っていくと、電話で指示を受けながら、必死に苛立ちを抑えている様子が伝わってきた。

 最初の待ち合わせは、公園近くの交差点だったが、黒帽子は金子の姿を確認した状態で誘導しているようだった。


 金子が苛立っているのは、自分が振り回されているからだが、新宿近くの公園は魔物が頻繁に目撃される場所でもあるのだ。

 なので、金子は左手にもったスマートフォンで通話しながら、右手でズボンの後ろに突っ込んである拳銃を探っていた。


 指定の場所に到着し、そこで待つように黒帽子に言われた金子は、タバコに火を着けながら周囲の様子を窺っていた。

 その視線が近付いてくるダークスーツの姿を捉え、黒帽子が目線を上げた次の瞬間、金子の記憶がブラックアウトした。


「えっ? あれっ?」

「どうしたのかね、誠君」

「金子の記憶が探れなくなりました。黒帽子が目線を上げた瞬間スイッチが切れたみたいに見られなくなったんですが……」

「これまで見た記憶もかい?」

「はい、魔力で繋いだ回線が切れている感じです」

「金子が眠ったのでは?」

「いいえ、相手が眠っていても記憶の探索は可能です」


 僕の説明を聞いた真行寺さんは、一つ大きな溜息をついた。


「はぁ……松永、金子の様子を確かめてきてくれ。恐らく殺害されていると思う」

「了解です」


 早足で取り調べ室を出て行った松永さんは、すぐ戻ってきた。

 開かれたドアの向こう側が騒がしくなっている。


「金子が死んでます」

「そうか……状況から考えて、黒帽子に消されたのだろう」


 そんな事が可能なのかと訊ねそうになったが、状況からはそう考えるしかないだろう。

 背中に冷たい汗が滲んでくる。


「すまない、誠君。どうやら君をとんでもない亡霊に引き合わせてしまったようだ」


 僕は真行寺さんの謝罪に言葉を返せなかった。

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