第29話 ヒラクの大作戦
亀の甲羅の島は巨大な眠る海亀だった。
その甲羅の内側の世界にヒラクたちは入り込んでいる。外の世界の甲羅には火山灰が降り積もり、海の温度は上昇し、海流の変動や渦の発生により航海などできる状況ではない。
そんなことなどまるで別世界のことであるかのように、眠る亀の意識の世界は
青い空に雲一つなく、白い砂に打ち寄せる波は透明に澄んで、沖にいくほど色濃くなるエメラルドグリーンの海が美しかった。
しかしヒラクはこの穏やかな世界にずっといるつもりはない。
ヒラクの目には強い意志と好奇心の光が戻っていた。
「行こう」
ヒラクは、化け物とキッドとハンスに言った。
「どこに行くのさ! 甲羅からはまだ出ないってどういうことさ!」
化け物はキーキー甲高い声でわめき散らす。
ヒラクはそれを無視して白い砂浜に足跡を残して歩き続ける。
キッドとハンスもヒラクの後に続いた。
わめきながら化け物もついてくる。
やがて、ヒラクが向かう砂浜の先に人影が見えた。
海の民だ。
彼らは切り出した木で砂浜に簡単な小屋を作っていた。
ここでは雨が降ることも強風にさらされることもないが、強い日差しを避けるため、ヤシの葉で屋根を作る必要があった。
リク・カイ・クウの三兄弟は海の民の作った小屋ですっかりくつろいでいたが、海の民にとっては陸地の生活は落ち着かないものだった。彼らはいかだで海に出ている方が気が休まるらしく、散歩がてらに沖に出ていることが多かった。
ヒラクが訪ねたときも、半分以上の海の民が沖に出ていていなかった。
それでもちょうどヒラクは沖から戻ってきたダイクとナジャに会うことができた。
「どうした? ヒラク」
ダイクが浜辺に乗り上げたいかだから降りてヒラクに声を掛けた。
「ちょっと、聞きたいことがあるんだ」
ヒラクはまっすぐにダイクを見て言った。
「なんだ? すっかり吹っ切れたみてぇな顔してるな」
ダイクがうれしそうに言う。
「ほんとだ。心配してたんだよ」
ナジャも温かい笑顔を見せた。
「うん。心配かけてごめん。おれ、もう大丈夫だから」
ヒラクはにっこりと笑って言った。
「で? 聞きたいことって何だ?」ダイクが言った。
「あのさ、ここは一匹の亀の夢の世界じゃないんでしょう? それなら一匹ぐらい目を覚ましてもこの世界はなくならないってことだよね?」
「確かにここは亀たちが集団で同じ夢を見ている世界だし……」
「一匹ぐらい目を覚ましてもどうってことはないよねぇ」
ダイクとナジャは不思議そうに互いに顔を見合わせた。
「じゃあ、おれ、今からこのうちの一匹の目を覚ます」
「どういうことだい?」
ナジャはさっぱりわからないといった顔でヒラクを見た。
「おれ、亀の意識の中に入りこんで、亀の姿のまま目を覚まして、そのまま移動しようって思ってるんだ」
「あんたが亀になるってことかい?」ナジャは目を丸くした。
「そんなことできるのか?」ダイクもすっとんきょうな声を出す。
「できるよ」ヒラクは自信を持って言った。「人間相手にやったことはある。意識は自分のままで、ちがう人間の体に入り込むことができた。亀に試したことはないけど、やってみたら案外できるかも」
「亀の意識に飲み込まれることを考えないのかい?」
ナジャは心配そうに言った。
「俺たちはそれを怖れてここではかならず陸に上がることにしているんだ。海の上に長いこといると、夢の深みにはまっちまうからな」ダイクが言った。
「夢の深みって何?」ヒラクはダイクに聞いた。
「亀たちの楽園の一部になっちまうってことだよ」
「つまり、陸地にたどり着けなくなるってことさ」
ナジャも隣でうなずいている。
ヒラクにはよくわからなかったが、一つだけ確認できれば十分だった。
「とにかく亀の意識と一体化できるってことがわかれば十分だよ」
そしてヒラクは三兄弟に声を掛け、亀の夢の世界から出て行くことを告げた。
「……つまり、おまえがでっかい亀の姿になって、甲羅の島ごと俺たちを運ぶっていうわけか?」
カイはあんぐりと口を開けた。
「おまえが亀に変身できるとは知らなかった」
リクはめずらしいものを見るような目でヒラクを見た。
「まあ、ここじゃ何でもありみたいだしなぁ」
クウは無理矢理自分を納得させようとする。
「別におれが亀に変身できるってわけでも、ここだからできるってことでもないよ」
ヒラクは言うが、三兄弟はさっぱりわからないといった様子だ。
「ただ亀の中に入り込むってだけだよ。人間相手にやったときは、眠っている人の体を自分の意識で動かしているって感じだった。夢の中でちがう人になってる感じ」
「じゃあ、その間、おまえの体はどうなってるんだ?」キッドはヒラクに聞いた。
「おれの体は、抜け殻みたいになってるみたいだ。そうだよね? ハンス。ルミネスキの城でおれが目を覚まさなかったときがそうだったんだよね」
ハンスはそのときのことを思い出しながら、腕組みをしてうなるように言う。
「確かにあのときは、死んでるんじゃないかって心配しましたぜ。まさか、あのとき、そんなことをやっていたとは知りませんでした。それも勾玉の力ですかい?」
「ちがうよ。勾玉は関係ないと思う」
ヒラクは自分に言い聞かせるように言った。
もしもそうなら、勾玉を失った今、亀の意識に入ることは不可能ということになってしまう。
「それで? どうやって亀になるんだ?」
カイは身を乗り出してヒラクに聞いた。
「まず、浅瀬にいる亀を探す。カイたちはいかだで沖に出る準備をしていてほしい。すぐ、おれも追いつくから」
そう言って、ヒラクは化け物を連れて浅瀬に向かった。
ハンスも後についていく。
ダイクの話によると、沖にいる亀ほど眠りが深く、自分の本体が島のように巨大な亀であることも忘れているという。浅瀬にいる亀の方がすぐに泳ぎだせるようだ。
砂浜は海を取り囲む円になって結ばれているという。どこが切れ目かはわからないが、砂浜はそれぞれの亀の甲羅の島へと続いているらしい。
ヒラクが亀の意識に入りこむ際、何らかの変化がみられるだろうと海の民たちは予想する。それを確かめるには沖から砂浜を眺めるのがいいということで、カイたちは海の民が用意してくれたいかだで海上に出ることになった。
三兄弟とキッド、生き残った海賊仲間の若者と蛇腹屋の三人がそれぞれのいかだに乗り込む。海の民たちはいかだに食糧まで積み込んで、キッドたちを送り出してくれた。
キッドたちが沖に出たのを遠くに眺めながら、ヒラクはハンスと化け物と一緒に砂浜を延々と歩き、亀の姿を探した。
ヒラクの先を行き、上空から亀を探していた化け物が戻ってきて砂浜に降り立った。
「いたよ、このすぐ先だよ」
「ありがとう、化け物」ヒラクは笑って言った。
「ちょっと、あんた、いつまでも化け物って呼ぶのはやめとくれよ」
化け物はヒラクをにらみつけた。
「じゃあ、なんて呼べばいいの?」ヒラクは聞き返した。
「そんなのあんたが考えておくれよ。あたしのことを呼ぶのはあんたぐらいのもんなんだ。呼ぶからにはまともな呼び方で呼んでほしいもんだね」
「う~んと、じゃあ、『ウナルベ』でどう?」ヒラクは化け物に聞いた。
「ウナルベ? なんだい、そりゃ」
「名前だよ。おまえの名前。これからは名前で呼ぶよ」
「ウナルベ……名前……」
化け物は目をぱちぱちと瞬かせ、初めて味わうものを食べたかのような驚きと戸惑いの顔をしたが、やがてその味わいに満足したかのように、うっとりと目を細めた。
「ふん、まあ、悪くないね。名前ね……あたしに名前……」
ウナルベは飛び上がり、ヒラクの頭上を旋回した。
「ずいぶん喜んでいるみたいでさぁ」
ハンスは上を見上げて言った。
「ところで、ウナルベってどういう意味なんです?」
「アノイの言葉で『おばちゃん』って意味だよ」
ヒラクはけろっとハンスに言った。
「名前の意味はあいつには言わねぇ方がいいですぜ」
ハンスはひきつり笑いで言った。
「ほら、早く、ヒラク! 亀のところに行くよ。おいで」
そう叫んで飛んでいくウナルベの後を追いかけてヒラクは砂浜を走った。
心はもう亀の甲羅の外の世界に向かっていた。
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【登場人物】
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。母と別れた五歳の頃から共に暮らすユピは母以上の時間を共に過ごしたかけがえのない存在。
ユピ……青い瞳に銀髪の美しい少年。ヒラクの故郷アノイで共に育つが、その正体は神帝国の皇子だった。ヒラクと生きるためにすべてを捨ててそばにいたが、なぜか突然船をおり、ヒラクのもとを去ってしまう。
ハンス……勾玉主を見つけ出すために神帝国に潜伏していた希求兵の一人。世渡り上手で勘も鋭い。
キッド……海賊島の女統領グレイシャの一人息子。三年前呪術師の島に来た時から髪が四季のように変色し最後には抜け落ちるようになった。呪いを解く旅としてヒラクを乗せて船を出し、やがて友情を芽生えさせる。
リク……キッドと共に育った海賊三兄弟の長男。バンダナの色は黄色。温厚で面倒見がよい。
カイ……リクの弟。三兄弟の次男。バンダナの色は赤。気が荒くけんかっ早い。
クウ……カイの弟。三兄弟の三男。バンダナの色は青。クールで人のことに興味がない。
※三兄弟は父親が双子の海賊で、誰がどちらの父親の子であるかは不明。三つ子のように顔が似ている。
蛇腹屋……手風琴を奏でる音楽家でもある古参海賊。変わり者だが剣の腕は確か。
化け物(ウナルベ)……破壊の剣を守っていた「破壊神」」とされた存在。鳥の翼、猪の胴体、トカゲのしっぽを持った奇妙生き物。自らしっぽを断ち切り、空を飛び、ヒラクとキッドを亀の甲羅の島まで運んだ。
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