第16話 死の王

 首飾りの男の家は、地面から突き出た支柱の上にあった。

 森から切り出した木の幹で骨組みを作り、ヤシの葉で屋根を葺いた家だ。

 家の中には竹と木で作られた道具や武器などが並べられていた。 


 ヒラクたちは家の中心にある籐の敷物の上に車座になった。

 中心には見たこともない動物の丸焼きや果物が運ばれてくる。

 固そうな岩のような果実を割ると、緋色の鮮やかな果肉がむきだしになった。

 ねばねばと糸を引く中心の細かな種を取り出すと、甘くむせかえる香りが鼻をつく。


 女たちが次から次へと食べ物を運んでくる。

 カイは、若い娘にヤシの実の器に白濁した酒を注がれながら、うれしそうに鼻の下を伸ばしていた。

 ハンスも酒を要求したが、横にいるジークににらまれてやめた。


 目を覚ました蛇腹屋は命がけで守った手風琴の調子を確かめている。

 若者二人は恐怖から解放されてやっと人心地ついた様子だ。


 そんな中、キッドとヒラクは仮面の男の素顔に釘付けになっていた。


 首飾りの男は、もう先ほどまでの仮面はつけていなかった。

 落ち窪んだ目のすぐ上にある白い眉が褐色の肌に一際目立つ。

 仮面をはずせば何の恐れも感じさせない痩せた老人だ。


「この言葉が話せるんだね」


 ヒラクは確かめるように神語で言った。


「いかにも」首飾りの男は神語で答えた。


 聞きたいことは山ほどあったが、ヒラクは一番に知りたいことを尋ねた。


「死の王って何?」


 首飾りの男は答える。


「破壊神の支配から我らを救った王のことだ。王は海の向こうよりやってきて、自らを神の王と名乗り、破壊神を打ち滅ぼした」


「それは神王のことか」そう尋ねたのはジークだ。


「神王が勾玉を持っていたっていうのかい?」ハンスも驚いたように言った。


「神王って、メーザを支配した王でしょう? なんでこんなところに来たの?」


 ヒラクは首飾りの男に尋ねた。

 首飾りの男はうなずく。


「王は破壊神の持つを求めていた。勾玉に導かれてここまで来たのだそうだ」


「ちょっと待って」

 

 ヒラクは思わず男の話を遮った。


「勾玉に導かれて剣を探しに来たってどういうこと? 鏡じゃないの?」


「鏡?」首飾りの男は不思議そうな顔をする。


「真実の神を見出す鏡だよ。おれは、それを探しに南に来たんだ。勾玉の光が南を示したんだ」


「そんなものは知らない」


 あっさりと言う男の言葉にヒラクはがっかりした。

 それ以上何も聞く気も起きずに黙っていると、横からハンスが口を挟んだ。


「それで、神王は剣を手に入れたのかい?」


「剣は破壊神とともに消えたという。だが王は、必ず剣を手に入れると言った。そして今、再びここを訪れた」


 首飾りの男はそう言って、ヒラクの顔をじっと見た。


「ちょっと待ってよ。おれは神王じゃないよ」


 戸惑うヒラクを見て男は不思議そうに言う。


「すべて忘れてしまっているのか? 人は姿を変えて再来する。記憶は消えない。おまえの中に深く眠っているはずだ」


「それって生まれ変わりってこと? おれが? 神王の生まれ変わり?」


 ヒラクは混乱していた。

 それにはジークも異論を唱える。


「神王の再来といわれているのは神帝だ。ヒラク様はその神帝を打ち破る勾玉主。悪を打ち滅ぼす正義の方だ」


 ジークは偽神とされる神帝を討つために育成された希求兵だ。その神帝はかつてメーザを混乱に導いた神王の再来とされている。つまり自分の正義に対しての悪である。神帝と敵対する勾玉主のヒラクが神王であるなど、到底受け入れられる言葉ではない。


 けれども、ヒラクはジークの言葉にも納得することはできない。


「太陽神を崇めていたメーザの人たちにとっては、神王は自分たちの神さまを滅ぼした悪い王だったのかもしれない。だけどここでは破壊神を滅ぼした救いの神だ。一体何が正義かなんてわからないよ」


「だからといって、あなたが神王の再来などとは、私には認められません。ましてや神王が勾玉主であったなど、ありえない」


 ジークは声を強めて言った。


「王が来たってのはいつのことだい?」今度はハンスが尋ねた。


「今より過去の出来事だ」首飾りの男は答えた。


「具体的にどれぐらい前なんだ?」


 ハンスはくり返し尋ねるが、男は質問の意味がわからないようだ。


「今より前はすべて過去。私は記憶を引き継いでいるにすぎない」


「それは誰の記憶?」ヒラクは男に聞き返した。


「我ら部族のすべての記憶だ。我らは全体として一つであり、個々の区別はない。過去より再来し、今を生きる。しかし新しい肉体はそれ以前の記憶を失っている。だから改めて部族の記憶を蘇らせる。この首飾りは過去を語り継ぐ者の証。私の記憶は部族全体の記憶となる」


 それがこの島の部族の死生観でもあった。


 彼らには長い時間を経るという感覚もなく、あるのはただ同じことをくり返す今という現在だけだった。


「おい、ヒラク」


 たまりかねたようにキッドが声を掛けた。


「何か呪いについてわかったか?」


「呪い?」ヒラクはぽかんとした。


「何だよ。俺の呪いを解く方法を聞いてくれていたんじゃないのかよ」


 キッドには、ヒラクたちが使う神語はわからない。

 そのため、先ほどから疎外感を味わっていたキッドは泣きそうになって声を荒げた。


「すっかり忘れてた」 


 ヒラクの言葉にキッドは怒って立ち上がる。


「俺は、俺はな、呪いを解くために必死でここまで来たんだぞ。俺について来たばかりに仲間たちさえあんな目に……」


 気の高ぶったキッドはアーモンド形の大きな瞳からぼろぼろと涙をこぼした。

 隣にいるカイがキッドをなだめる。


「彼は何を怒っている? そして何を泣いているのだ?」


 首飾りの男はヒラクに尋ねた。


「キッドは三年前、ここで呪いにかけられたんだ。髪の色が緑から赤になって最後には全部抜け落ちるってのを毎年くり返しているんだって。その呪いを解いてもらうためにここまできたんだけど……」


 ヒラクは巨大な花に食べられた若者たちのことを思い出し、複雑な顔をした。


「そんな呪いなど聞いたこともない」


 首飾りの男はきっぱりと言った。

 ヒラクは驚くと同時に困ったようにキッドを見た。


「何だよ、何だって?」


 キッドは期待を込めた目でヒラクを見た。


「……そんな呪いは知らないって」


 ヒラクが言うと、キッドはカッとなり、首飾りの男につかみかかった。


「どういうことだよ。俺は確かに三年前、仮面の男に呪いをかけられたんだ。『死をもって知れ』って言われて……だから俺は……!」


「ちょっと待ってよ、キッド」


 ヒラクはキッドを首飾りの男から引き離し、自分の方に向かせた。


「『死をもって知れ』っておれもさっき言われたことだ。『死をもって神を知れ』って」


「その後、ヒラク様の勾玉が強い光を放ったのでしたね」


 ジークが口を挟んだ。


「それと俺の呪いと何の関係があるんだよ」


「わかんない」


 ふてくされるキッドにヒラクはあっさり言う。


「関係あるかはわからないけど、おれの勾玉が光ったのは、おれがそのとき心で強く神さまのことを考えたからだ」


「神さまだぁ? 神さまお助けくださいってか?」


 キッドは苛立ちながら言った。


「そうじゃなくて、神さまを知りたいって思ったんだ。死んで知りたいって思ったんじゃない。むしろ逆。神さまを知る前にまだ死ねないって思った」


「まだ死ねない……か。そうだ、俺もあのとき同じことを思った」


 ヒラクの言葉で、キッドは三年前、仮面の男に遭遇したときのことを強烈に思い出した。



 キッドが森の中で初めて仮面の男に遭遇した時、仮面をぐるぐると回す男の姿に仰天し、その場から全速力で走り去った。

 そして逃げ切ったと安心したところで、なぜか目の前にはまた仮面の男が立っていた。

 それは先ほどの男とは別な男だったが、そうとは知らないキッドは振り切ったはずの男が再び現れたことに混乱し、短刀を取り出して、男に突進していった。

 ふいのことで驚いた男は腕を斬りつけられて血を流した。

 怒った仮面の男はキッドを地面に組み敷くと、先端を下に向けた槍を振り上げた。


『ちきしょー、はなせよ。俺は世界を股にかける大海賊になるんだ。こんなところで死んでたまるか』


 その時、キッドの言葉を聞き、男は世界語で話した。


『オマエ、海賊か』


 呪術師の島は南多島海の中でも最もメーザに近い場所にあり、それまでにも島をみつけてやってきた海賊たちがいた。

 島の娘が海賊たちにさらわれたという過去もあり、仮面の男たちは相手が海賊とみれば容赦なく命を奪う。

 相手が子どもだから見逃すという考えはなかった。

 かえって早いうちに肉体を乗り換えさせて海賊をやめさせてやるべきだと思った。


『ツギの生では、海賊にナルナ』


『何言ってるんだよ。わけわかんねーこと言ってんじゃねぇ』


 キッドは男に片手で首を押さえられながら、苦しそうに言った。


『イマ、オマエはマダわからない。死をもって知れ』


 キッドは最後の言葉をはっきりと聞き取った。

 槍が振り下ろされようとしていた。


 キッドはじたばたともがきながら、男の力が一瞬ゆるんだその隙に、足を振り上げて、男の股間を思い切り蹴飛ばした。

 仮面の男は声も出せずにその場にうずくまった。


 キッドは無我夢中で逃げた。

 船に戻ったときには、すでに髪の色はあざやかな緑になっていた。



 その時のことを思い出しながら、キッドはヒラクに言う。


「あのとき俺は、もう死ぬって思った瞬間、死にたくねぇって思ったのと同時に、北の地にまだ行ってないことをすごく後悔したんだ。春には緑が芽吹き、秋には葉の色が変わり、冬には雪が降るって光景がどうしても見たくて、そのことだけが頭にあった」


「まさに頭にあったことが、頭の毛に現れたってわけかい」


 ハンスは感心したように言うが、キッドはムッとした。


「何だよ、そのふざけた言い方。まるで俺が好きで自分で自分に呪いをかけたみたいじゃねぇか」


「そもそもそれは呪いじゃないんじゃない?」ヒラクはキッドに言った。


「どういうことだよ」キッドはヒラクに聞き返す。


「えーと、少なくとも、そこには自分の意志があったわけで……」


「俺は好きでこんな頭になったわけじゃねぇって言ってんだろ!」


 キッドはカッとなってヒラクを怒鳴りつけた。


「でも、もしも自分でその頭になったんなら、自分でどうにかできるんじゃない?」


 ヒラクは気楽に言うが、キッドはうなりながら頭を抱えた。


「ヒラク様、私はこの者がなぜ神語を話せるのか気になるのですが……」


 ジークは先程から不思議に思っていたことを口にした。

 メーザでも神官などごく一部の者しか使わない言語をなぜこの未開の地の部族が使うのかと怪しんでいたのだ。

 

「シンゴ……。何だ? ソレは?」首飾りの男は世界語で言う。



 ヒラクは神語に切り替えて首飾りの男に言った。

 ヒラクに合わせて男も神語で答える。


「これは、もともと我々が使っていた言葉だ。だが、死の王はこの言葉を使うことを我らに禁じた」


「どうして?」


 ヒラクが聞き返すと、男は辺りを見回して、声をひそめた。


「この言葉を使えば、破壊の神が再び甦る。破壊の神がこの言葉を理解するからだ。相手が意味を理解することで言葉の効力が増す。『破壊の神が復活するかもしれない』という恐れは『破壊の神が復活する』という願いにもなる。破壊の神はその言葉の力を借りて復活を実現する」


「『復活してほしくない』って想いが、『復活してほしい』って願いになるって、意味がわからないんだけど……」


 ヒラクは難しい顔をする。

 そんなヒラクに男は言う。


「『そうなってほしくない』という想いは『そうなるかもしれない』という想いと同じだ。それ故、死の呪いも言葉を理解することで効力が増す」


「つまり、『死ね』と言われても『死』を意識しなければいいってことかい」


 ハンスは考え込むように腕組みした。


「だが『死にたくない』という想いも『死』を意識したことになるはずだ」


 ジークが言うと、ヒラクも腑に落ちないといった顔をする。


「キッドははっきり死にたくないって思ったし、おれだってまだ死ねないって思ったよ」


「『死』の意識が『生』への希望に変わったとは考えられませんかい。それで死は遠ざけられったってことにはなりませんかねぇ」


 ハンスはあごに手を当てながら言う。

 ヒラクはますます疑問がわいた。


「でもそれじゃキッドの髪にかかった呪いの説明にはならないよ」


「そもそも呪いって何なんですかねぇ」


 ハンスが言うと、首飾りの男が答えた。


「呪いとは思念を言葉に宿して相手に聞き遂げさせることだ。王が我らに世界語を教えたのは、世界語を話す者たちがこの地を荒らしにくることを予言していたからだ。王は我らに再来を約束した。そのときまでこの言葉は使わないようにと言った。この言葉で死の王を語れば、『再来を待つ』という想いが『待ち続ける』という状態を作り、王がこの地を訪れるのを遠ざけてしまうからだ」


「なんだかよくわからねぇが、一つだけはっきりしたことがありやすぜ」


「何?」ヒラクはハンスに聞き返した。


「その王ってのはまちがいなく神王ってことでさぁ。神王はメーザにおいても神語を禁止し、世界語を広めたんです。言語の支配がこの地まで及んだってことですよ」


「言語の支配など……くだらん」


 ジークはまだ納得がいかないといった様子だ。


「じゃあ、この地に来た勾玉主はやっぱり神王だったってことか……」


 それが何を意味するのかはさっぱりわからないが、ヒラクはしっかりと自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

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