第3話 新たなる婚約者は王弟殿下

(もう終わったことだわ。今はこれからのことを考えなければ……)


 リネットが王弟殿下邸宅の入り口へと差し掛かった頃、奥からひとりの男性が現れた。


「あぁ……。馬車まで出迎えにも行けず、すまない。急なことで間に合わなかったのだ」

「お気になさらず。事情が事情なのですから……」


 王弟アスランを見て、まずリネットが感じたのは。


(あっ、詰んだ……私、詰んだわ……)


 と、いう軽い絶望だった。


 屋敷の大きさに見合って、エントランスは広かった。重厚な色合いの扉が両サイドを彩る広い入り口をくぐれば、高い吹き抜けの天井にはステンドグラスにシャンデリアが輝いている。大理石の床は手入れが行き届いているし、玄関から続く階段には深い青色の絨毯が敷かれていた。そこに現れたアスランは、白いシャツに濃紺のウエストコートとトラウザーズを身につけただけのシンプルな装いであるにも関わらず輝いて見えた。


(見栄えが良い。良すぎます。これは私、詰みましたね)


 呪われているとされて隠されていた王弟に、リネットは会ったことがない。王太子婚約者である自分にすら会わせられないとは、呪いによってどれだけ醜い姿になっているのだろうか、と、想像したことはある。しかし、美しすぎるとは想像すらしたことがなかった。


(これは……モテますわね……)


 王弟であるアスランは四十四歳。なのに、現れたのは少年のように若々しい金髪碧眼の青年である。背はスラっと高く、手足は長い。鍛えているのか体には厚みがあり、それでいて整った顔には柔和な笑みが浮かんでいる。大きな目には、キラキラと輝く青い瞳。緩いウェーブを描く長い金髪も手入れが行き届いているのか艶があり、風になびけばサラサラと音がしそうだ。


 家系なのかヒゲも薄く、肌そのものが少年のように若々しい。


(そういえばケンドリックさまもヒゲは薄かったですわ……。ですが、アスランさまは更に薄いですし、肌そのものが綺麗です。女性のように、いや、女性よりも美しい整った顔に鍛えた体。さらに肌もツルツルピカピカとなれば、女性から……いえ、男女を問わずにモテますわね……)


 そんな男性の元に、いきなりウエディングドレスを着せられて送り込まれた令嬢。それが自分であると自覚するのがリネットは辛かった。


(どんな罰ゲームですの? 私、そこまで恨まれるような事を何かしましたか? ケンドリックさま……)


 侍女すら連れずに現れた自分が相手からどう思われているのか、想像するだけで怖ろしい。


(惨めです……結婚相手として送り込まれましたけれど。こんな私が王弟殿下のような美しい方に、愛されるはずがありませんわ)


 彼女が危惧したことは、まさにそれだった。愛されない貴族女性の惨めさを嫌というほど耳にしていたからだ。


(王妃ならば、王妃としての役割を果たせばよいだけのこと。愛など求める必要もありませんわ。でも、ひとりの貴族女性として結婚するのなら話は変わります。爵位が下、もしくは経済状態が下の男性をえらぶか。愛されるか、ですわ。貴族女性が幸せな人生を望むなら、選択肢はそのくらいです)


 王弟であるアスランの方が公爵家よりも身分は当然、上である。経済状態も、屋敷をみれば分かる通り、悪くはないだろう。残るひとつ。それは愛されることだ。

 

(貴族の結婚など取引のひとつですけれど、美しい令嬢や従順な令嬢であれば愛される。愛されるために、令嬢たちが必死であることくらいは私だって知っています。そして愛されることが結婚生活をしていく上で有利に働くことも知っていますわ。あぁ、でも。私にその道は閉ざされてしまったわ。愛されない貴族女性は冷遇される。最悪、屋敷から叩き出されてしまいますのよ。レティシア・スカルノ男爵令嬢のような女性が現れたら、私、ここからも追い出されてしまうのよ。愛を得るのは、貴族女性にとって生活のため、お金の為ですわ。愛とお金をイコールで結ぶのはどうかと思いますが。世の中、そういうものですのよね。仕方ありません)


 リネットは物心つく頃には王妃教育を受けていて、一般的な貴族女性の事情には疎かった。そのせいで少々、勘違いしている部分がある。さらに言うなら、リネットは思い込みが激しいタイプでもあった。


「ご挨拶が遅れましたが。私はセナケリア公爵の娘、リネットと申します。ケンドリックさまの命により、王弟殿下であるアスランさまの元へ参りました」


 リネットはウエディングドレスの裾をつまんで美しいカーテシーを披露した。


「あ……あぁ、挨拶すらまだだったね。私は国王の弟、アスランだ。よろしくね」


 優しい物腰で上品なお辞儀を返すアスランを見て、彼女のなかの危惧は勝手に確信へと変わっていく。


(やはり、私に興味はなさそうです。興味がないなら、愛されるはずもないわ。愛されないなら、自立の道を探らねばなりません。タダ飯喰らいは性に合いませんもの。私、何か商売を始めませんとね)


 リネットはアスランから愛されることはないと決めつけて、自立の道を探ることに決めた。


(経済的に自立していれば、命まで取られるようなことにはならないでしょう)


 勝手にドツボにはまって勝手に解決策を得たリネットがどう見えたのか、アスランは眉毛を下げるといかにも申し訳なさそうに謝ってきた。


「すまないね、甥っ子がわがままを言って」

「ケンドリックさまは、ケンドリックさまでしかないので仕方ありませんわ」

「ん……んん?……そうだね……」


 二人の間に微妙な空気が流れたところで使用人が声をかけてきた。

 

「旦那さま、お部屋の用意が整いました」

「ん、ご苦労。リネットさま。我が家の執事だ」


 スラッと背が高く隙のないお辞儀をして見せる執事は、ピッチリと整えた白髪にグレーの瞳をした高齢の男性だ。


「初めまして、お嬢さま。アルフレッドと申します。何かご用がございましたら、お申し付けください」

「わかりましたわ。何かあったらお願いするわね、アルフレッド」

「彼は長年、仕えてくれていてね。早く結婚しろ、とうるさかったから。今回のことをとても喜んでくれているひとりだ」

「まぁ!」

「すまないね、他の使用人たちも、ちょっと浮かれているから。もしも失礼があったらごめんなさい」


 落ち着いて周りを観察してみれば、確かに使用人たちの視線が痛い。


(あぁ、皆さん……私のこと……どう思っているのかしら?)


 供の者もつけず、ひとりエントランスで結婚衣装に身を包む自分の姿が他人にどう映るのか。リネットはウエディングドレスのスカート部分を思わず握りしめた。


「ウエディングドレスでは窮屈だろう。何か適当なものを選んで持って行かせよう」

「ありがとう……ございます」


 リネットは案内されるまま、アルフレッドの後に続いた。

 案内されたのは、居心地の良さそうな客室だ。


「こちらのお部屋をお使い下さい」

「ありがとう」


 高齢の執事は、身のこなし軽やかに音もなく出て行った。残されたリネットは、次にどうすべきかを考えてみた。


(あぁ、疲れ過ぎていて頭が回りません。結局、昨夜はウエディングドレスを着せられたり、馬車に揺られたりして、一晩中振り回されてしまいましたし)


 フカフカのベッドは寝心地が良さそうだ。


(ん。疲れ過ぎて何も考えられない。寝ちゃいましょう)


 リネットはベッドの上にゴロンと横になった。


(夜会の会場にいたのに、なぜ今はココにいるのかしら? まさか、アスランさまのお屋敷に来ることになるなんて。しかも、ウエディングドレスを着せられて……。昨夜は怒涛の展開でしたもの。疲れて当然よね) 


 リネットはそのまま寝てしまい、着替えを持って来たメイドたちは令嬢の寝息を聞きながら黙って待機していた。彼女が目覚めた時には、もう外は暗くなっていて。リネットのお腹はグーと鳴って空腹であることを訴えていた。


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