シナスタジア
「お前と話すとイライラする」
僕――
僕の目はおかしい。物心ついた時から人の感情に色がついて見えていた。例を挙げるなら喜は黄、怒は赤、哀は青、楽は桃色が体に迸って見える。厄介なのは本音の感情が見えてしまうこと。笑顔でも、体からは赤色が見えている時の恐ろしさと言ったら。
かつては自分の目がおかしいなんて知らなかった。
――どうして皆、本当の事を言わないの?
次々と建前と本音を見抜いてしまい拒絶された。クラスの輪を乱す存在としてクラス共通の敵になって、いじめの対象となった。その上、僕は昔から女の子より背が低くて弱々しい。苦し紛れに視界を遮るため前髪を長く伸ばしてみたが、見た目が更に暗くなっただけだ。
幸い、両親は僕の目を理解してくれた。だがこの時、自分の耳を疑うような話を聞かされた。
『瞠春。静観のお家はね、覚っていう妖怪の血が混ざってるんだ』
妖怪だなんて現実味のない話だ。だが、その頃には僕の目は皆と違う事を理解していて、有り得ないと一蹴することが出来なかった。
妖怪とは、化け物だ。妖怪の血を引いているという僕は、化け物だ。この目を考えれば当然だ。
『ごめんな、瞠春……』
お父さんが謝る声と姿が忘れられなかった。
自分の先祖のことが分かったからと言って、何か状況が変わることはない。いじめに耐えられなくなって転校したけど、最初の学校に居る間に気の弱さや無口な性格、そしていじめられっ子オーラが染み付いてしまったようで。どこへ行っても僕はサンドバッグだ。
この春、僕は自分の欠点を何一つ克服できぬまま高校生になった。そこでもまた目をつけられてしまい、折角受験をした学校からも逃げて――黒川高校に転入した。
黒川に転入してからはいじめられた事がなかった。人に目をつけられることも……いや、目はつけられているか。
「なあ、瞠春。今から時間ある?」
HRが終わると何度もいじめっ子達から言われた言葉だ。咄嗟に身構えてしまうが、声をかけてくれた相手が誰なのか分かるとホッとした。
「今日、バイト休みなんだ。遊びに行こうぜ」
「えっと……」
言葉に詰まる僕を緋柳君は急かすことなくゆっくり待ってくれる。
僕が黒川でいじめられていないのは緋柳君のお陰だ。緋柳君は僕と違って文武両道で、友達が多くて頼られている。そんなクラスカースト最上位の彼が気にかけているから誰も手を出せないんだ。
緋柳君はいつもバイトに精を出しているイメージだった。そんな彼が特殊なバイトをしていることを知っているのは僕だけ。その秘密を共有したのが底辺の僕と、天上人の緋柳君が話すようになったきっかけとも言える。
転入してすぐの頃、中学時代のいじめっ子5人組がわざわざやって来た。折角逃げたのに、またいじめが続くのかと絶望していた時、僕の味方になってアイツらを追い払ってくれたのが緋柳君だった。
それから緋柳君は学校に居る間、よく僕に声を掛けてくれるようになった。彼は事情を察しているだろうが、直接「いじめられてるのか」と聞いてこなかった。「そうだ」と答えるのも、目の話になって緋柳君にも気味悪がられるかもしれないのは怖かった。だからホッとしていた。
緋柳君に自覚はないかもしれないが、僕は確かに彼に救われていた。そうなれば答えは1つだ。
僕は小さく頷く。
「よぉし、決まりな!」
緋柳君の全身から金色にも近いピカピカとした黄色が迸る。彼が本当に喜んでくれているのが、何より僕にとっても嬉しい事だった。
◆◇
緋柳君と一緒に来たのは商業施設の上階にあるゲームセンター。平日の放課後だからか僕らも含めて学生が多い。
ゲームセンターに入った瞬間、緋柳君から驚くほど濃い桃色が放たれた。思わず笑ってしまったが、緋柳君はそれも気にしていない様子だった。
「ゲーセンって初めて来た! ていうか友達とこうして遊ぶのも初めてなんだよな」
衝撃発言に僕は思わず「嘘」と呟いた。
「マジだって。俺、前のバイトが忙しすぎて遊びに行こうって誘われても行かなかったんだよな」
緋柳君はバツが悪そうに頬を搔いた後、軽く苦笑いを向けた。その瞬間、初めて緋柳君から深い青色が――つまり哀しいと彼は思っている。それも表情以上に深く、後悔している。
かなり驚いた。僕は思ったより緋柳君を特別視しすぎていたのかもしれない。いつも満たされていて、文武両道で、クラスの人から頼られている緋柳君への強い憧れは緋柳 隼という人を遠い存在だと錯覚させていたんだろう。
本当は彼は僕に似ている人だったのだ。
――僕も初めて来たよ。友達と遊びに。
そう言いたかった。だが、その言葉がどうしても言えなかった。
僕の言葉は親以外に受け入れてもらった試しがなかった。かつて何度も言われた「お前と話すとイライラする」という言葉が頭から離れなくなって日常会話をするのも苦手になった。緋柳君の真っ直ぐな性格を知っていてもなお、今までの辛苦の経験は僕を素直にさせてくれない。
「っし。ゲームやろう、ゲーム!」
緋柳君は気付けば気分を切りかえてすっかり元気になってレースゲームの筐体へと進んでいた。
結果、ゲームに不慣れな緋柳君と、何をやらせても不器用な僕でCPUに勝ちを譲って最下位争いをすることになった。
でもそれで良かった。緋柳君と一緒にゲームをして遊ぶ時間が何よりも楽しかったから。
だが、そんな時間には終わりが来るもので。夢中で遊んでいるうちに夕方になり、携帯の時計は17時半頃を示していた。緋柳君は帰る前にジュースを買ってくる、と自販機へ行った。
彼を待っている時だった。
「よォ、瞠春。今から時間あるぅ?」
全身が凍りつく。全身を駆け巡る血が凍ったのではないかと錯覚するほどの悪寒。この軽薄な声は緋柳君なんかではない。中学の間、嫌という程聞いた声。その時の記憶がフラッシュバックし、息苦しくなる。
中学の頃、僕を虐めていた5人組のうちの4人が立っていた。彼等は件の緋柳君に追い払われた奴等でもあった。
逃げようとしたが首根っこを掴まれて引き戻される。喉が絞まって苦しい。
「ちょーっと付き合ってくんねぇかな」
ズルズルと上りエスカレーターに向かって引きずられた。
「瞠春!」
戻ってきた緋柳君が僕を見つけてくれる。
「何やってんだお前ら!」
「お前ら上だ、上!」
僕を引きずりながらエスカレーターを駆け上がる虐めグループ。それを緋柳君は走って追いかけてきてくれる。
屋上に出てきた時、僕は虐めグループが4人しか居ない理由を知った。駐車場へ出るフロアから死角になる場所に最後の一人が金属バットを持って待ち構えていた。コイツら全員から真っ黒いオーラが見える。悪意に満ちている証拠だ。
「次来るヤツな。頼むぞ」
「おー」
ゾッとした。コイツらは緋柳君を狙っていたんだ。きっと前に追い払われた時の腹いせだ。
緋柳君は金属バットが待ち構えていることなんて知らない。この危険を伝えられるのは僕だけだ。なのにこんな状況になっても上手く声が出せなかった。
追いついた緋柳君の赤い目と目が合う。怒りに満ちて真っ赤なオーラを纏う彼の必死の形相は、いっその事恐ろしい鬼の様にも見えた。でも、それは彼が僕の為に怒ってくれているからだ。僕にとっては誰より優しい赤色だった。
「緋柳君っ……!」
自動ドアが開いた瞬間。金属バットが振り上げられる。僕の喉からは自然と掠れた叫びが出ていた。
「危ない来ちゃダメだ!」
「OK、瞠春!」
僕は目を見張る。
僕の警告に反して緋柳君はそのまま駐車場へ飛び出す。金属バットが勢いよく振り下ろされる――が、物を殴る鈍い音ではなく、カキン! と金属同士がぶつかり合う甲高い音が駐車場に響き渡った。
「……え」
驚いていたのは僕だけではない。5人組も同じで、誰もが金属バットの先を見ていた。頑丈な金属で出来ているそれが折れていたからだ。緋柳君の足元に折れたバッドの先が落ちた。
「ひっ!」
悲鳴を上げたのは誰だったろうか。そのまま視線は緋柳君に注がれる。
彼の顔の半分が鬼になっていた。
本当に、鬼の顔だったのだ。真っ赤で硬そうな皮膚、そして人にあるはずのない角が伸びていた。彼は頭突きでバットを受け止め、折っていた。
「瞠春を離せ」
僕を捕まえていた奴に背中を突き飛ばされるが緋柳君が受け止めてくれた。
「金輪際、瞠春にちょっかい出すな」
5人は全員身を寄せあい声もあげられずに何度も頷いている。
「返事しろよ」
緋柳君が折れたバットの先を踏みつけてそのまま砕くと「約束します!」と今まで聞いたことないような情けない声が飛んできた。そして緋柳君が顎で早く行け、と指示するとアイツらは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「……瞠春、大丈夫か⁉︎」
先程の圧は途端に消えて、僕のよく知る緋柳君が両肩を掴んでくる。
「大丈夫、あれくらいなら慣れてるから……」
自然と言葉が出てきた。鬼の緋柳君は「慣れんなよ」と苦笑いした。
「あの。その顔」
「あー、これ。俺、鬼の血が混ざってるんだよね」
あっさりと告げられた彼の秘密。衝撃的だった。それは彼に妖怪の血が混じっている事ではなく、自分の事を堂々と言える事に驚いた。そして羨ましくなった。自分も彼と同じ方へ行きたくなって――
「僕も」
「え?」
「僕も同じ。僕も覚っていう妖怪の血、混ざってるん、だって……」
ドクドクと心臓の音が段々大きくなっていく。
「僕の目、変なんだ。人の感情が、本音が見えるんだ。色になって見える。おかしいんだ。僕の目。血のせいで」
「瞠春」
緋柳君が静かに名前を呼んだ。
「瞠春も、瞠春の目もおかしくなんかないよ」
その声はどこまでも優しくてじわりと涙で視界が歪む。
「あ、あのアレだよ、アレ! 音とかに色ついて見える人だって居るし! 共感覚っつーんだって!」
「俺達の力と血は才能で、個性なんだよ。誇って良いんだ」
「まあ、受け売りなんだけど」
緋柳君の言葉が僕を救いあげていく。
「……ううん。ありがとう、緋柳君。何もかも。本当に、ありがとう」
緋柳君の纏う色が眩しいほどに黄色に染まる。
涙を拭う時、僕の手から緋柳君と同じ色が迸っていた。
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