第20話

 翌朝、極力音をたてないように歩きながら、リジーナは半地下の厩舎に向かった。

 そこに馬を準備しておく、と昨夜フォセカから聞いていたのだ。

 薄明るい城内や庭を進み、城門の傍にあるそこに着いたのは部屋を出て十数分後だった。

 厩舎の中には百頭あまりの馬が繋がれ、干し草と馬のにおいが鼻を突いた。

 このにおいは嫌いではない。すうっと胸いっぱいに空気を吸い込んだリジーナの隣で、ずらりと並ぶ馬を見て回ったライラックが感嘆の吐息を漏らす。

 と、入り口から三番目の枠に繋がれていた白馬の手綱を取り、真朱色の服を纏ったフォセカが現れた。

 黄金色をした髭を生やし、純白の地毛の所々に薄らと鱗のような文様が浮き出している逞しい馬だ。いつもならば馬に見惚れてしまうところだが、今はフォセカしか目に入らない。

 そして、その姿を見ただけで胸が弾んだ。

 昨日までこんなことは無かったのに。そう思いながら平静を装い、

「おはよう。朝早くにごめんなさい」

 と声をかけた。

「気にするな。リジーナと別れてからずっと起きて、城下の警邏活動をしてたんだ。お前を送ったら一眠りしようと思う」

 冗談めかして言ってはいるが、一晩中起きていたというのは本当だろう。目は充血し、唇はひどく荒れている。万が一の際に身を守るためか、腰には剣を下げていた。

 彼の役に立てないでいることが、今のリジーナには心苦しかった。

「ごめんなさい。お父様の無事を確認したら、すぐに戻ってくるから」

「そう願ってるよ。お前がいないと寂しいからな」

 何の躊躇いもなく告げられた一言に、顔が熱くなる。それを悟られまいと俯いたまま手綱を取り、鐙に片足をかけてひょいと飛び乗った。

「へえ、随分扱いに慣れてるじゃないか」

 眩しそうに馬上のリジーナを見上げたフォセカに、ふふっと微笑む。

「馬が好きなの。この子は人に慣れた、とてもいい馬ね。走るのも速そうだし」

 馬首を城門に向け、そっと首筋を撫でながら言うと、馬はその言葉が理解できたようにぶるっと首を振った。

 ライラックは一言も口を利かず、リジーナとフォセカを微笑ましげに見つめていた。

 城門の手前まで行くと、二人の騎馬兵が待機していた。

 フォセカに気付いた二人は馬から降りようとしたが、彼はそれを手で制し、リジーナを二人に引き合わせた。

「紹介するよ。近衛隊のセドリックとアルベールだ。二人とも優れた剣の使い手だし、安心して君を預けられる男たちだ。どんなことでも命じてくれ」

 彼の言葉と共に、二人はリジーナに頭を下げた。

 二人のうち、セドリックと呼ばれた童顔の若い男は、どことなく緊張しているようにも見える。それに比べ、口髭を蓄えたもう一人はそんな素振りなど一切見せていない。

 リジーナは素直に頭を下げた。

「フォセカ、気を付けて。無理しないでね」

「リジーナこそ。気を付けて行って来いよ」

「ええ。この子には悪いけれど、休みなしで駆けてもらう。明後日までにはこちらに戻るから」

 ニッと微笑みかけ、勢いよく馬の腹を蹴る。

 鳴き声と共に駆け出したリジーナの馬の前に口髭の兵士が、後ろに童顔の兵士がつき、一列になりながら跳ね橋を渡っていく。

 時間が早いためだろう、城下町に人気はない。石畳の道を駆け抜け、一直線に駆けぬけていく。

 初めは並走するようにリジーナの隣に浮いていたライラックだったが、いつの間にかリジーナの後ろに腰かけていた。

 近衛隊の二人には彼が見えていないから問題ないが、もし見えていたら、後で問題になりそうな親密さではある。

「あなたの国って、どれくらいで着くの?」

「目標は、太陽が南天に昇るまで」

「結構距離があるのね」

 石畳の道は次第に土の道へと変わっていく。土煙を上げながら走り抜けていく三頭を、たまたま起きていたらしい住人が庭先から驚いた目を向けた。

 その様子が面白かったのか、ライラックはクスクスと鼻を鳴らした。

「驚くのも仕方ないわよねえ。この辺に兵隊さんなんか滅多に来ないでしょうし」

「このあたりの治安はいいのね。畑の作物も青々としてるし。ほら、ここから山の麓までずっと麦畑が広がってる」

 さすがに王族だけあって、リジーナはガニアン国の国土を統治者の目で見ながら、馬を走らせていた。


 遠く見えなくなった背中を追うように、跳ね橋の向こうを見つめるフォセカは若紫色の瞳を細めた。

「……随分と勇ましいな」

 初めて会った時は、姉の陰に隠れていたせいもあって控えめな印象だった。

 しかし、内面の強さを感じさせる薔薇色の瞳に惹かれた。舞踏会の後に二人きりで話した時も、書庫を案内した時も、初めの印象とは正反対と言っても良かった。

 国に戻ると言った時も、並々ならぬ決意が見て取れた。引き留めるべきかとも考えたが、彼女には頑固な一面もある。そう簡単には引き下がらないだろう。

「王子、そろそろ」

「分かってる」

 兵士の一人に声をかけられ、フォセカは頷きながら用意されていた栗毛の馬に飛び乗った。

 城門前に集まった兵士たちは、城下の警邏活動から戻った者たちだ。

「賊の侵入経路は突き止めたのか?」

「数名ずつあちこちの埠頭に上陸し、そこから現在使われていない穀物倉庫に集結して、あらかじめ決めていた商家や市場を襲撃したようです」

「分かった。港の各所の見張りを増やして、当分の間港から街区への道路は閉鎖するしかないな。現地に向かおう」

 リジーナには一眠りすると言ったが、自分にはまだやるべきことがある。

 気を引き締めるためにも深く息を吸い、フォセカは馬の腹を蹴り、城門から飛び出して行った。

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