1-6 どんな仕事にも危険はある
リビングでお茶を出され、テーブルを挟み大家さんと相対した。
塚原の一件もある。
言い訳は用意しておいた方が
我ながら割と整合性のある作り話で、上手く納得させられる自信があったのだ。
「そんな見え透いた言い訳では誰も納得させられないわよ」
差し向かいに座って居る大家さんは、とても柔らかい表情で駄目出しをしてくる。
顔は微笑んでいるが目は全く笑っていなかった。
「あなた一人の説明では埒が明かないわ。田口くんが何処に居るのか教えてくれる?」
「オ、じゃなくて、わたしはその、何も知らされてなくて・・・・」
「本当に?」
「本当です」
今あなたの目の前に居ます、と言っても信用されないだろうし。
「わたしは何もあなたを取って食うとか、そういう話をしているのでは無くてよ。
ただ田口くんがどうなったのか、此処を出てどうしているのか、どういう理由であなたに部屋を又貸しする羽目に為っているのか、その訳を知りたいの。
親御さんから預かった大切な息子さんを気付かぬ内に放逐して、何も知らないじゃあ余りにも無責任でしょう。
彼が心配なのよ。
だから正直に教えてもらえるかしら」
ぐう、と呻いたままオレは二の句が告げられなかった。
此処でもう一度知らないと突っぱねたらどうなるだろう。
何だか色々と見透かされている気がする。
同じ虚言を弄したら、今度こそこの人の逆鱗に触れてしまいそうな気がした。
それに此処を追い出されたら家に戻るしか手は無いのだし、仮にすごすご舞い戻ったとして、果たして息子だと信用してもらえるかどうか。
それは相当に怪しかった。
ましてや「田口章介」ではない今のこのオレに、他の部屋を借りる術など微塵も無いのである。
例え悪あがきだとしても、家族に知られるのは可能な限り避けたかった。
絶対に面倒なことになる。友人の部屋に転がり込むという手がなくもないが、めぼしいヤツはどいつもコイツも男しか居ない。
やもすれば、ソレこそ貞操の危機すら考えねばならなくなってくる。
そして咄嗟に脳裏を掠めたおぞましき光景に鳥肌が立った。
そんな危険を冒す訳にはいかない。
「じ、実はですね」
観念したオレは、先日から自分の身に起きたことを洗いざらい話すことにした。
それで信用してもらえないのは百も承知。
だが如何に嘘っぽい事実でも、この
「あらあらまぁまぁ。じゃあ、あなたが田口くんその人だと言うのね」
「あ、はい、そうです。信じては、もらえないでしょうけれど・・・・」
「あら何故そう思うの?」
「いや、だってこんな荒唐無稽な阿呆話ですよ」
いきなり、がしりと両手で頭を掴まれて顔を引き寄せられた。
真っ黒な瞳が真っ向から覗き込んでくる。
椅子から腰を浮かしてテーブルに上体を乗り上げた格好だから実に不安定。
ほんの数センチ先に大家さんの鼻先があった。
なまじ綺麗な顔立ちのせいで実に居心地が悪かった。
しかもあまりに真剣な眼差しだからちょっと怖いし。
「ふうむ成る程、そうねえ。嘘を言っているようには見えないわ」
そう言ってぱっと掴まれた頭が開放されて、オレはそのまますとんと元の椅子に腰を落とした。
「きみはコレからその会社に連絡して、契約を新しく更新しようというお話なのよね。そこにわたしも同席させてもらっても構わないかしら」
「あ、それは構いませんが、信用してくれるのですか」
「まぁそれも含めてと言うお話よ。それに店子の言うことを信じない大家だなんて、言語道断だとは思わない?」
そう言って大家さんはにっこりと微笑み、オレは何とも言えない気分のまま、「はあ」と曖昧な返事をすることしか出来なかった。
妙な成り行きではあったが、大家さんを自分の部屋に上げるのも気が引けるので管理人室で連絡を入れた。
相手は直ぐに出て、部屋は少し違うけれどもと断りを入れたのだが、問題はないという返事と共に通話が切れた。
そして昨日と同じく数分と経たぬ内に管理人室のドアがノックされた。
相変わらず驚きの早さだ。
昨日も思ったのだが、いったいどうやってこの短時間で来られるのだろう。
まさか下宿の玄関先で一日中待機しているという訳でもなかろうに。
小柄な彼女を部屋に上げると、立会人だと言って大家さんを紹介した。
「まぁ、こちらも可愛らしいこと」
「お初にお目に掛かります。
カチカチ社の契約アドバイザー、ニュートラルグレーと申します。
田口さま、重複することになりますが、立会人の方にも昨日と同じご説明を行いたいと思います。
宜しゅうございましょうか」
「あ、はい。むしろこちらからお願いします」
彼女からの説明は昨日の繰り返しから始まって、新たにオレが選んだ「スーパーヒロイン」の話に移り、そしてそのままこちらの内容で宜しいでしょうかと確認を求められた。
そして承諾しようとしたその刹那、
「ちょっと待って田口くん」
大家さんの制止が入った。
「は、何でしょう」
「あなたコレでいいの?」
「良いも悪いも、もうコレしか選択肢無いですし」
「そうではなくて、正義の味方なんかを選んではいけないわ。あなたはアイドルに成らなければいけないのではなくて?」
「あ、あの大家さん。何をおっしゃっているのでしょうか」
「こんなに可愛らしくて素敵な女性になったのですもの。
殿方を夢中にさせることにその資質を注ぐべきだわ。
実は一目見たときからずっとそう思っていたのよ。
嗚呼この娘は世の男性を全て骨抜きにし、籠絡すべく生を受けたのだって。
アイドルに成るべきだわ。
今し方此の子から説明を受けて直感が確信に変わったの。
そう、それがあなたの運命」
ディスティニー、と今度は横文字で呟いて両拳を握りしめると、小脇を絞めて虚空を扇いだ。
何処かうっとりとした表情に見えるのはオレの気のせいなんだろうか。
「いやいやそれは無いですよ。このオレが人前で歌って踊ってなんて無い無い。在り得ないですよ絶対」
「やってみなきゃ判らないじゃない。何事にだって初めてはあるわ。生まれた瞬間からその道のプロだのエキスパートだのって人間は居ないのよ」
「そりゃ確かにその通りですけれど、そもそも何だってそんなにアイドル推しなんですか」
「だってステキじゃない。
それに危ないでしょう正義のヒロインだなんて。
まかり間違って怪我でもしたらどうするの。
そんな事にでもなったら、わたし、あなたのご両親に申し訳が立たないわ」
「大丈夫ですよ。悪を懲らすとか言っても要は会社同士の営業合戦、イベント活動でしょう。リクリエーションみたいなもんですよ。そうですよね」
アドバイザーの人に同意を求めたら少しだけ沈黙があって、「その通りです」と返事があった。
・・・・なんだ、今の間は。
「危険度から言えばアイドルもヒロインも差して変わりはありません。道を歩いていていきなりクルマに撥ねられ、即時ご昇天なさる確率よりもずっと低いです」
何だか微妙に不穏当な表現のような気もしたが、どんな仕事にも危険はある、そういう趣旨での物言いだと捉えることにした。
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