第2話 サライ村の娘


「タルクの馬鹿っ、お前、しつこすぎるよっ!」


 警護隊の宿営地を全速力で走り抜けたココは、はあっと、息をはずませて、真正面に駆けて来た“安全地帯”の背中へまわりこんだ。


「タルクっ、小娘相手に熱くなんなって言ってんだろっ」

「スカー、お前はサライ村のリーダーだろう。その娘のしつけは何だ! 小娘だって盗みは盗みだ。さっさと、そいつをこっちへ渡せ!」


 爆風が舞いあがった。それと共に2mほどもありそうな長剣が、ココの真横を通り過ぎてゆく。


 マズい、マズすぎるよ。この状況


 タルク……警護隊一の長剣使い。大入道のような体はその長剣の長さを軽く越えている。


「スカー、ごめんっ。もっと、うまくやれるはずだったのに……」


 左の耳にピアス。右側の頬の傷、それをぴくりとゆがめて、スカーと呼ばれた男はちっと舌を鳴らした。


 俺を”傷跡”スカーと呼ぶなと、散々、言ってるのに。

 いつの間にか、それが通り名になっちまってる。 俺には、フレデリック・ラ・エイクっていう立派な名があるんだぞ。それに、この娘の“安全地帯”にされるのは、もうご免なのに。

 そう思いながらも、スカーはココを突き放せない自分がはがゆかった。


「警護隊の宿営地に入りこむのはご法度だ……それに盗みはやめろとあれほど言ったのに」


 ココは、一見すると、小リスのように可愛い娘だ。年は12。だが、毎日の食い扶持は自分で稼いでいる。親がいないのだ。それは盗みだったり、スリだったり、時には詐欺めいたことだってやる。サライ村に住んでいる手前、リーダーのスカーは、いつもココの尻ぬぐいをする羽目になる。けれども、今回ばかりは相手が悪かった。


 宿営地で騒動? 駆けつけてみれば、やはりこの娘か。


 ため息をつくと、スカーは、隠し持っていたパイプ管を取り出した。そして、着ている派手なシャツでごしごしとしごきながら、彼の背中に隠れた少女に小声で呟く。


“俺が、あいつの気をそらしてやるから、お前は逃げろ”


「何だ、そんなパイプで俺に勝とうっていうのか」


 勝ち誇った表情の大入道のような男に目を向けると、スカーは、にやりと笑い、手にしたパイプ管をゆっくりと振り上げた。


「パイプ管はたっぷり帯電。今日は、湿度も低い……タルク、知ってるか。自然放電で人がチクっと感じる電気は3Kボルト……」


 すると、周りの空気が微妙に歪みだした。 


「でもな、雷の電圧は1億ボルト! 条件をそろえてやれば、パイプだって立派な武器になるんだぜ!」


 スカーが振り下ろしたパイプから、青い閃光が飛び散った瞬間、


「痛っ、たたっ!」


 タルクは腕に走った衝撃に、堪らず長剣を放り出してしまった。


「今だっ、逃げろっ!」


 その合図をスタートにココは一気に走り出した。逃げ足だったら、誰にも負けないっ。

 が……


 警護隊の輪が、潮がひくようにすっと二つに割れたのだ。その中心をゆっくりと黒い影が歩いてくる。


 黒い影……ううん、あれは……


 異様に空気が密になり、目に見えない壁が影の周りをとりかこんでいる。逃れたくても逃れそうにない。いや、これ以上進むなんて、絶対無理!


 あれは……


 ココはぴたりと足を止めた。


「タルク、お前は一体、何を遊んでいる」


 ツバの長い帽子を目深にかぶり、帽子も黒なら着衣も黒。まるで闇にまぎれてしまったような、奇妙な感覚。


「やばい……警護隊長のゴットフリーだ」


 残酷無比なガルフ島警護隊長。そして、島主リリア・フェルトの一人息子。

 その若さにも関わらず、圧倒的に他とは違ってしまっているこの男に、島の人々は畏れを抱いていた。鋭敏な判断力、並外れた剣の腕。そして、底のない沼のように見つめられた者の心を引きずり込み、その奥底までを見透しまう……灰色の瞳。


 ゴットフリーは、ゆっくりとした足取りでタルクとスカーに歩み寄った。


「隊長!」


 明らかに年下の隊長に向かってタルクは、直立不動の姿勢で敬礼する。


「い、いや、遊んでいたわけじゃなくて……」

「ふん、随分、おもしろいマネをしてくれるじゃないか」


 焦るタルクを完全に無視したゴットフリーの灰色の瞳が、自分に向けられた時、スカーはびくりと身を震わせた。


「スカー、お前には山ほど仕事があるはずだろう。なぜ、こんな場所で油を売ってる」

「あ、あれは単なる静電気で、支障はなくて……ま、待ってくれ! 仕事にはすぐに戻る。だから、こ、殺さないでくれ」

「殺す?……殺すものか。お前に今、死なれては後々面倒だ。だが……島主リリアの命令をないがしろにする奴を許すわけにはゆかない」


 殺しはしない?

 これだけ殺気をばらまいといて……。


「止めてっ、悪いのはスカーじゃない」


 そう言うと、ココはゴットフリーとスカーの間を割るように飛び出していった。突然、目の前に現れた少女に、黒い警護隊長は冷ややかに視線を移す。


「サライ村のゴキブリ娘、よくも俺の前にしゃあしゃあと出てこられたものだ」

「だって、スカーは悪くないよ。あの大入道から私を守ってくれただけなんだからっ」

「警護隊一番隊のタルクを大入道、呼ばわりし、スカーの命乞いか。そんなことができるほど、お前は自分に価値があるとでも思っているのか」


 吐き捨てるように言うと、ゴットフリーは腰の剣を引き抜いた。黒漆の薄皮張りに金糸をあしらった豪奢な鞘。そこに収められていた彼の愛刀。 


 ― 黒刀の剣 ―

 

 うわっ、本当にこれはヤバい。


 ココはその禍々しく輝く黒い光に、ぞくりと身を震わせた。

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