プロローグ

「コーネリアスっ、ココったら!」

「え?」

「何をぼんやり考え込んでるのよ。紅茶が冷めちゃうわよ」


 そう言って、顔を覗き込んでくる女性。三十代半ばだが、琥珀色の目と艶やかな髪の美しさは、出会った頃から少しも変わらない。四つ年上の彼女と目が合い、ココは笑顔になった。

 

「ああ、天喜あまきか。そういえば、私……今日は祝春祭で久々に黒馬亭くろうまていに来てたんだっけ」


 すると、天喜は眉をしかめ、


「あなたは政治や教育に忙しすぎるわ。旦那の方は内政には全然、興味がないし。でもね、休むときはちゃんと休まないと。ほら、紅茶!フレアおばあちゃんが作った自慢のタルトも食べなさい。クッキーだってあるわよ。あの食いしん坊の双子がやってきたら、全部食べられちゃうから」


 双子の声が聞こえてきたのは、ココがタルトに手を伸ばした時だった。


「ただいまー!えっ、母さんが昼間に黒馬亭にいるなんて珍しいじゃん」


 嬉しそうに笑って母の隣に座る双子の姉は、さっそく、お手製のクッキーに手を出した。一方、弟は母の隣に座ろうとしたが、少し迷って隣の席に座った。


「まあまあ、お母さんに甘えたくても素直になれないのね」


 天喜は笑ってココと目を交わした。


 双子の姉は、母親の元気さと、父親の気性の激しさを受け継ぎ、弟はココの兄似で、冷静で口数が少ない。


 来年は彼らもこの島を出ることになっている。


 寂しい気持ちが胸に沸きあがってくる。この子たちが生まれてからもう12年が経つのか。

 兄の姿を最後に見た時からも、同じくらい長い時間が過ぎ去った。多分……彼とはもう会えないのだろう。


 でも、ココはその思いを胸にしまって笑顔を見せた。

 

 その時、双子の姉が急に声をあげた。


「ねえ天喜、『レインボーヘブンの伝説』ってどんな話なの?ご典医のラピスが教えてくれたんだけど、私たちの金と銀のロケットのことは天喜に聞けって。それらの断片をつなげれば伝説が、わかるからって」


 天喜は驚いてココを見た。


「いいの? 私が話しても」


 ココは迷わず答えた。


「いいわよ。でも、私はもう行くわ」

「えっ、母さんも一緒に聞こうよ」

「また、別の日にね。大丈夫、その話は今日一日じゃ、とても終わりそうにないから」


そういって、ココは、不満げな双子を残して、貯まった仕事を片付けに行ってしまった。



島で唯一の旅亭『黒馬亭』の庭。


「あなたたち、もう昼食は広場で食べたんでしょ。でも、まだお腹が空いてるって顔ね。フレアおばあちゃんに紅茶とタルトを追加してもらわなきゃね」


 円卓に集った双子に向かって、天喜は微笑むと、長い長い物語を語り始めた。


「レインボーへブン。それは、至福の島と呼ばれ、五百年前に失われた幻の島。虹の女神の伝説に魅せられた冒険者たちは、その楽園を目指して旅立った。これは、彼らが見た夢と現実、喜びと悲しみ、友情と愛を綴った壮大な物語」


*  *


 それは、五百年も昔の話。

 東の海の果ての出来事。

 紺碧の海はその島を守るように、高く波をあげていた。


 “レインボーヘブン”


 それは、豊饒と慈愛の女神アイアリスに守られた、この世の富をすべて集めた至福の島。


 島の緑は目に染み入るように輝いていた。住民たちの歓びの歌は、辺りの島々にその豊かさをしらしめていた。

 だが、その島は、ある日突然、海に消えた。

 

 海は、叫ぶように波をあげて渦を描きだした。すると、その中心に蒼い光が現われた。

 泥の沼のように濁った天空。それを貫きながら光は七つに別れ、四方八方へ飛び去って行く。


 “行け。……永い時を越えて、流離さまよい、迷え” 


 レインボーヘブンの守護神、虹の女神アイアリスは、寂しげに空を見上げた。


 “だが、再びお前たちはここに戻ってこれるのだろうか”


 アイアリスは、レインボーヘブンを七つの欠片に分け、蒼の光として封印したのだ。


 “アイアリス”


 五百年の時を経て、今に伝えられたレインボーヘブンの伝説の書。

 それにはこう記されている。



 ― レインボーヘブンは蘇る。七つの欠片とその住民が、約束の地に再び集結した時に、また蘇る ―


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