025 > もう一つの仕事(その2)ー ゲーム


「ねぇ、なんなの、これ。私が観たいって言ってたのは G−1みたいな……」

「まぁまぁ、そうカリカリすんなって、なぁオジキ?」

「そうだな。これを観れば、そんなもの、どうでもよくなるぞ」

「2人ともなに言ってるのよ、もう……」


 どうでもよくなる、とうそぶいた老紳士然とした白髪白髭の男は、杖に手を置いたまま微かに笑う。

 いかにも高級そうなグレーのスリーピースを着ているその老紳士の隣には縞模様のタキシードを着た若い男がいた。

 さらにその隣には、襟が両肩まで開き重量のありそうな白い胸の谷間を惜しげもなく見せつける真っ赤なロングドレスを着た若い女の姿があった。


 そこでは、湿り気のあるねばついた臭気しゅうきが漂っている。


 ここは──都心部の、地上から200メートルの地下30階に位置する場所。


 この上にある地上の建物は5階建の居酒屋やスナックが入った雑居ビルだが、地上階と地下階は完全に分断されており、地上階の雑居ビルに入居している一般の経営者は地下階の存在を知らない。

 また、地下に向かう人間も、地上に何があるか知らない。


 なぜならその地下階には、選ばれた者しか入ることが許可されておらず、地下高速道路を出た直後のトンネルにある暗渠あんきょから、徒歩で入らなければならないからだ。

 

 地下高速道路を降りて数百メートル先の指定場所に辿り着いた客は乗ってきた車をそこで降車する。車は、その場で待機している数十人の無線を耳に掛けた黒服の体格の良い男たちが安全な別の地下駐車場まで移動させる。


 目的の場所まで徒歩でしか入れない入り口は数十箇所あり、毎回指定される入り口は異なっているため案内されるまでは、通い詰めている招待客たちも今日の入り口がどこなのか知らない。


 直径3メートル程度の円筒状の暗渠は既に廃された水路で、足元に10センチ幅の水を一直線に残しており、水先案内をする体格の良い男たちでも余裕で通れるほどの高さと広さがある。

 次々と到着する客を会場まで案内するのは、古臭いランタンを手に持っている黒服たちだ。


 1本しかない暗渠の通り道は、脇に下水道につながっている穴があるためか移動中も異臭を感じる。

 その中を今にも消えそうなランタンの光を頼りに進むしかなく、光を反射した少しの水溜りには海苔が生えているため、足を取られて滑らないように気を配らなければならない。

 そのため、案内される客の方は会場に着くまで他のことを考える余裕がない。


 そうやって到着した場所は──


 半球体状になっている会場だった。


 50センチほどの段差がある10段程度の階段が円形のすり鉢状になっており、背の高い椅子がぐるりと同心円を描いて1段につき20席~60席ほどが固定され、計500席程度が設置されている。


 その座席は既にほぼ埋まっており、会場を埋め尽くす人間は老若男女種種雑多で、日本人だけでなく白人も黒人も混ざっている。

 中には日本人のように見える外国語をしゃべる民族衣装を着た人間の姿も目立っていた。


 着席した客の全員がざわついているため、雑音が反響しすぎて騒音一歩手前の音量である。


 そして、すり鉢状の底には直径15メートル程度の球体状をした金網があり、球体状の金網の内側には有刺鉄線が張り巡らされていた。


 その中央部に──1辺が10メートル程度の正方形のリングがあった。


 程なくして、臭気をも晴らすような強烈な匂いがどこからともなく漂ってきた。


「ちょっ、と! 何これ!」


 先程の白い巨大な乳の谷間をさらしている女が叫ぶ。


「Ωの匂いよ! なんでこんなところにΩがいるのっ?!」

「しっ! 静かに!」


 若い男の方が女の声を遮ると、隣にいた老紳士がたっぷり蓄えた白い顎髭を撫でながらニヤついた顔で舌なめずりする。


「これだけ匂いが強いってことは、は今日も絶好調だな」


 ギラついた目でリングを睨む老紳士は、興奮してほぼラットの状態になっていた。

 その隣にいる若い男も、先程の女も、徐々に目の色が変わっていく。


「なぁ。オジキは奴に賭けたのか?」

「今日は半々だ」


 まだかろうじて理性を保っている状態だが、どうやらその状態なのはこの会場にいるほぼ全員であろうと思われた。

 この会場の観客に、ただ一人としてΩもβもいない。


「そうだよなぁ。奴に勝ってくれるのはいないのかなぁ」

「いるか? あの大きさだぞ」


 若い男が次第に目を充血させ、それでも知性を保とうと『オジキ』と呼んだ男に話しかける。 


「まぁなぁ……俺たちが飼ってるも、あれくらいになるかなぁ?」

「さぁな。でもまぁ、今日もお楽しみの時間だ」


 すると────


『レディースエーンド、ジェントルメーン!

 この度は急なご招待にも関わらず、これほど多くの方にご足労いただき、誠にありがとうございますッ!!

 本日はメインイベントのみとなっております!!

 心ゆくまでお楽しみくださ〜いッ!!』


 怒号のような歓声が上がる。


『赤コーナー!

 獣化8割、変異性体は、え~、わに

 おおー、これは珍しいですね~!

 ギルガーッ!!』


 言われて出てきたのは、身長2メートルをゆうに超える、半分以上爬虫類のようなワニの体をした二足歩行をする生き物で──


『そ~してッ!

 青コーナー!!

 獣化9割!!

 変異性体は虎っ!!

 我らがヒ〜〜〜ルッ!!

 ドラゴ~~~ッ!!』


 一際大きな歓声が上がり、対角にあるコーナーにぬっと出現したのは────


 全身の筋肉が横にも縦にもはちきれんばかりに肥大した──3メートルに巨大化した、元は『辰樹』という名前の──虎の姿をした獣だった。





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