33rd Mov. きみの誕生日とぼくの誕生日
腕組みをして不満そうにしている彼女に、かねてからの計画を打ち明けることにした。
「あのさ、そのご馳走する食事なんだけど、次回のランチじゃなくて別の日でも良いかな?」
「おやおや~? 執行猶予を希望かね?」
「し、執行猶予って……。そういう意味じゃなくて、今度、時間をもらいたいんだ。勉強会とは別に」
「全然良いけど? どうしたの?」
予想外の提案にお怒りポーズすら忘れて、頭をひねる伏見さん。
良い話の流れだと思ったけど、ちょっと唐突だったかな。
「22日か25日くらいでご飯食べに行かない? 誕生日プレゼントも渡したいし」
「えっ? 野田君が私に誕生日プレゼントくれるの? でも私の誕生日は29日だよ?」
「それはもちろん知ってるけど……。当日は親御さんとか神田さんとかとお祝いするんじゃないかなって思って」
「うーん、千代ちゃんは今年から前日にしようって言われてるんだよね。パパたちはお仕事で夜遅いだろうし、夜までなら全然大丈夫だよ」
それはつまり、誕生日の日にお祝いが出来るということだよな。
その日は空いてるって言ってるんだし、わざわざその日を避ける理由はない。
「そっか……。それなら29日のランチとかどうかな? もし良ければだけど」
「もちろん良いよ! 嬉しいなぁ。何食べに行くの?」
「伏見さんと言えばお肉かなって。焼肉かしゃぶしゃぶ食べ放題のどっちかを考えてた」
「食べ放題‼ 時間制限は⁈」
「えっ? いや、そこまでは見てなかったけど。確認しておくよ」
「そこ重要だよ! ペース配分しっかりをしないとデザートに悔いを残すことになるんだから!」
懸念だったお誘いについては問題なかったけど、宿題をいただいてしまった。
ちょっとイメージしていた雰囲気とは違う。
「……了解しました」
「うむ、よろしい。って、それより野田君って私の誕生日知ってたんだね! そっちに驚いちゃった!」
「いろいろとお世話になっているし、それくらいはね」
「お世話になっているのは私の方だよ! 野田君の誕生日っていつ?」
「僕は4月10日」
「あちゃ〜、過ぎちゃってるね~」
そう。僕の誕生日はとっくに過ぎてしまっている。
だけど仕方のないことだ。だって入学式が終わってすぐの頃だったのだし。
その頃には伏見さんとも仲良くなっていなかった。そもそも中野とすら、まともに話していなかったんだもんな。
「そうだね。高校入学直後だし、仕方ないよ」
「むむ……。じゃあ来年の4月10日は私が予約します!」
彼女が予約した僕の誕生日は半年以上も先のこと。
それまで今みたいに仲良くいられたら良いな。
そうであれば、きっと毎日楽しいはずだ。
「楽しみにしてる」
「私も!」
二週間後に控えた伏見さんの誕生日と、半年以上先の僕の誕生日。
お互いに祝い合う約束をして、お昼を食べた店を後にする。
※
「……ブルグミュラーの『素直な心』って、思っていたより難しいぞ」
十一月のミニ発表会に向けて、一段階、曲の難易度を引き上げた。
ミニ発表会での演奏曲はブルグミュラーの『アラベスク』。そこへ進むにあたって、課題曲にされたのが、いま練習しているブルグミュラーの『素直な心』という曲だ。
右手のメロディーラインはそこまで難しくない。むしろ、8分音符が続いて単調にも思える。タラララ、タラララと続くメロディー。
簡単に思える流れだけど、曲の弾き方としてはレガートを意識して、音のつながりが滑らかな流れになるようにしないといけない。
(レガート:連続する2つの音を途切れさせずに滑らかに続けて演奏すること)
ベタベタと音符を追っかけるのではなくて、ステップを踏むような軽やかさを出すために弾き方に注意が必要。それに足元のペダルも忘れちゃいけない。
そうやって何とか進めていくと、十三小節目には2分音符になってるんだよな。
先生曰く、2分音符を響かせながら、8分音符を弾けっていう簡単そうで難しい指示。
左手が伴奏で、右手がメロディーラインという流れの曲なんだけど、この2分音符がメロディーラインのはずの右手にも伴奏の役目を持たせるという。
この辺りがややこしくて、あっちこっちに意識がいくと曲が破綻していく。
ブルグミュラー……、侮れない。初級から中級への入り口と言われるだけはあるな。
それと同時に、曲の背景をイメージする。楽譜通り弾くのではなく、自分なりの演奏にするには、楽譜に書いてある意味合いまで読み解かなければいけないらしい。
すぐに出来なくても、イメージする練習をしておいた方が良いとのお言葉を頂戴したので、いったん手を止めて考えてみる。
曲名は『素直な心』。同じようなメロディーを繰り返す曲なので、何度も同じ繰り返して運指をしなさいという印象を受ける。僕が高校生だから
素直に解釈するのなら、清らかな流れ。高めの心地良い音。清流のイメージなのかもしれない。
他に素直な心で連想するのは、伏見さんかな。
彼女は楽しければ心底楽しそうに、悲しい時は悲しさを隠さない。好物を目の前にすれば、お預けを食らっている子犬のように鼻息が荒くなる。
素直というよりも、欲望に忠実といった方が適切かもしれない。
そんな彼女のことを考えると、少し頬が緩む。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます