27th Mov. 不安と先行き

「もし緊張でご飯食べられなさそうなら協力するよ!」


 獰猛な肉食獣を前にして始まったお昼ごはん。

 運ばれてくる昼食を前に、心配する風を装いながら僕のおかずを狙っているらしい。


 いつも手綱を握っている神田さんがいないこともあって、彼女が野放しとなってしまっている。

 おかずを少し譲ることで、大部分のおかずを守りつつ、お昼を食べ終えた。


 食後にデザートを食べる彼女を前に、僕はコーヒーを飲む。

 先ほどまでの荒れ狂う肉食獣の姿は見えず、人参に嚙り付く兎のような可愛らしさを見せている。


「伏見さんは将来、ピアノの先生を目指してるの?」

「うん。それで、ゆくゆく『うさぎピアノ教室』を引き継いでいきたいなって。お母さんが果たせなかったプロの演奏家になるのはダメだったから。せめて大事にしている教室を一緒に守っていきたいの」

「そうだよね。当然、結先生は音大生だったんだよね。その結先生ですらプロは難しかったんだ……」


「お母さん凄かったんだよ! ピアノの腕だって、私なんか足元にも及ばないくらい!」


 凄い嬉しそうに自分の母親の話をする伏見さん。

 自慢のお母さんなんだろう。実際、美人で明るくて経営も上手だし、自慢要素ばかりな気がする。


 でも、結先生が演奏しているのは見たことが無い。

 昔、演奏したところを見たことがあるのだろうか。


「何かで結先生の腕前を知る機会があったの?」

「中学生の時に屋根裏の物置を整理していたら黒い四角いのが出てきて。それはVHSっていう動画を記録しているやつらしくてね。それに『結 発表会』ってシールが貼られてたの。すぐに見たかったんだけど再生する機械も見当たらなくて。で、お店に持って行ってデータ化してもらったんだ。それを見たらビックリだったよ。小6の時の発表会でね、私より年齢が下なのに演奏は圧倒的に上手なの。その時かな。あぁ、私って全然才能無いなって思っちゃったんだ」


 伏見さんの発表会の演奏を聴いて、僕は生演奏と映像で見聞きする演奏では差があると感じた。圧倒的に生演奏の方が迫力もあったし、揺さぶられるようなパワーがあった。


 だけど、伏見さんが言うには古い動画で見聞きしたものであっても、自分との才能の差を感じたらしい。よりによって、当時の自分より幼い母親の映像を見て、自分より上手かったということを知ってしまうなんて。


 中学生のころに受け止めるには重すぎる。

 母親の叶わなかった夢を叶えようと頑張っていたのに、自分より幼いころの母親にすら劣っているだなんて。それを知って素直に頑張れる子供がいるのだろうか。


「そうなんだ……」

「そうなの。それ以来、頑張っていればいつか届くと思ってたプロへの道が、本当は、そこまで繋がっていないってことに気が付いちゃったの。それからかな、演奏にもどこか熱が入らなくて、発表会でのお披露目演奏でも、失敗が少なくて聴き応えがある曲を選んだりするようになったのは」


 果てしなく遠い先を目指して進んでいた道が途中で途切れているように思ってしまう。もしかしたら、続いているのかもしれないけど、先行きが見えず、希望だけを頼りに進んでいた子供には過酷すぎる。


 もしかしたら、それでも自分を信じられる子だけが、大きく成功するのかもしれない。

 でも僕には、彼女の辛さも足を止めてしまった気持ちも分かる気がした。

 分かる気がしたけども、何もしてこなかった僕には、何かしらの声をかける資格がない気がしていた。


 何か言うべきか、言わざるべきか。僕は逡巡していた。

 沈黙が続いて、お店のBGM がやけに大きく聞こえる。

 その沈黙を打ち破ったのは、やはり彼女だった。


「でもね、それが今年の四月に変わったんだよ。野田君たちが声をかけてくれたから」


 中野が神田さんに声をかけた時のことだろうな。あの時、初めてまともな会話をして、話の流れで伏見さんが演奏する発表会を見に行くことになった。

 厳密には僕は声すらかけられていなくて、隣に突っ立っていただけなんだけれども。


「本当はね、あの演奏会でピアノとは縁を切るつもりだったの。高校受験も失敗しちゃって音大付属の高校に入れなかったし。そもそも私には才能が無いって知っちゃってからは、そこまでピアノが好きになれなかったから」


 伏見さんは僕の想像以上に追い込まれていたらしい。

 いや、自分で追い込んでしまったのか。日頃は大らかで細かいことを気にしない性格なんだけど、彼女の人生とも言うべきピアノに関してはそうじゃないみたいだ。


「そこまで思い悩んでいたんだね。何も知らずに押し掛けちゃってたよ」

「それが良かったんだ。また真剣にピアノに取り組めて、ピアノが好きになれて。それに野田君たちとも仲良くなったし、野田君をピアノ好きにも出来たから」


「確かにピアノ好きは否定出来ないな」


 伏見さんは我が意を得たりとばかりに満面の笑み。

 得意気になったように少し胸を反らして、こう告げた。


「そうでしょ? 私には分るのです。野田君はピアノが大好きだって。それに私が好きなピアノを好きになってくれて嬉しかったの」


 前半こそ多少のおふざけを含んだ言葉尻だったが、後半はとても真摯な言葉の響きだった。

 気恥ずかしくて茶化したい気持ちが沸き上がる。けれど、ここは誠実に向き合うべきだろう。


「僕は、伏見さんがまたピアノを好きになれたってことが嬉しかったかな。将来の夢も見えてきたみたいだし」


「そうだね! 私はピアノの先生をしていくと思う。今まで頑張ってきたことや苦労してきたことを、これから始める子たちのために役立てたいの」

「立派なことだよ。伏見さんの積み上げてきた人生そのものが、将来の役に立つんだから。僕にはまだ何もないけど、伏見さんのようになりたいなって思ってる」


「何もなくなんてないよ。野田君には、良い所いっぱいあると思う」

「そうだと良いんだけど……。今は将来やりたいことも見つかってないし、どうなるんだろ」


「私だって、ついこの間まで何も見えてなかったよ。でも、将来のこととかやりたいことって、いつか、ふっと見えてくるものなんじゃないかな。野田君はクールに見えて熱い所もあるし、ピアノは一生懸命みたいだし。きっと、今までは野田君に向いているものに出会えてなかっただけなんだよ!」

「自分に向いているものか……。確かにピアノほど夢中になれるものなんて、今まで無かったな」


「でしょう! 私には分っているのです! 君には幸せな未来が待っていることでしょう!」


 彼女の明るさは、もがき苦しんだ小さいころの経験のおかげなのかもしれない。悩んで、迷って、葛藤して。それでも歩み続けた彼女の強さ。

 華奢で小さな彼女。見た目ではわからない強さがある。


 その強さは、決して前に出てくるものじゃなくて、周りを照らす太陽のような明るさになっているように思える。

 彼女にとって、それは辛く苦しい時期だったのかもしれない。けれど僕は、その彼女の明るさに救われている。


 現に将来のことを考えて不安だった胸の内は、暖かく幸せな気持ちで溢れているのだから。

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