21st Mov. みんなと勉強会

 ピアノにのめり込んだ生活は続いた。

 六月になり、レッスン二か月目に入ると曲も少し複雑になる。片手弾きから両手を使うようにもなり、一気に音楽らしくなってきた。


 まだまだ左手は一音一音のベース音にすぎないのだけれども、音と音が重なると、とても美しい音色になる。初めて自分の手で綺麗な音を生み出した時なんて、感動で手が止まってしまった。だって、僕がこの綺麗な音を奏でているのだから。もし、八十八の鍵盤を使いこなせれば、もっと綺麗な音が奏でられるんだろう。


 早く伏見さんのように、音を自由自在に操ってみたいものだ。


 そうやってピアノの楽しみを日々味わっていると、学校生活も楽しくなってくる。不思議な縁で仲良くなった四人組は相変わらずで、お昼を食べたり、一緒に帰ったり、買い食いしたりしている。


 これこそ、いたって健全なお付き合いなんだろう。

 伏見さんも特に進展はない。強いて言えば、通信アプリのLINEYで他愛のない内容の会話をやりとりするようになったことくらいかな。


 ピアノ選びの後、カレーを食べたあの日。伏見さんは午後に予定があるということで、お昼を食べて解散になってしまった。その後の行動プランが無駄になってしまって、正直ホッとしたのだけれども、少しガッカリした気分になってしまった。自分自身、不思議な感情に戸惑って、足早にで家に帰ったんだよな。


 それはともかく、学校生活も楽しいし、少しずつ出来ることが増えてくるピアノも楽しい。そうやって日々を過ごせば、訪れるイベントがある。7月の期末テストだ。

 学生である以上、避けては通れぬ道。そして、今後に大学進学を視野に入れるとなると、今からでも成績を落とすわけにもいかない。


 それだけじゃなく、両親にも申し訳が立たない。ピアノを習うことを許してくれただけでなく、月謝まで支援してくれているのだし。そんな両親に対し、ピアノや遊びに夢中になっていて成績が落ちました、なんて口が裂けても言えないのだ。


 問題があるとすれば、僕自身がそこまで頭が良くないこと。幸いなのは、いつもの四人組のうち僕より勉強が出来ない人がいないこと。

 だから取れる方法は……。


「勉強会がしたいって? 珍しいじゃん。野田がそうやって人を頼るなんて」


 机を寄せ合って弁当を食べている最中に切り出した提案。

 中野は心底珍しいと言わんばかりに驚いている。


「出来れば自力で何とかしたかったけど、自分一人でできることは限られてるし。今まで通りに勉強していてもみんなに敵わないから、勉強の仕方とか教えてもらえないかなって」

「へぇー。どういう心境の変化なん?」


「大事なことが別に出来たって言うか、何と言うか……」 

「……まあ、俺は良いけど、お二人さんは?」


「私は別に良いよ。どうせ今回も紬は、勉強そっちの気でレッスンに打ち込んでるみたいだし」

「今回は教える方なの! 自分の演奏じゃないから、勉強に割ける時間は増えてるし……」


 いつもと違って、しっかり否定する伏見さん。勉強から身になると頭の上がらない神田さんに対し、珍しく抗弁している。


「ほーん。じゃあ、いつもの勉強会は無しでも大丈夫ってこと?」

「いえ、それとこれとは話が別と言いますか……」


 と、思いきや早速白旗を上げてしまう。

 この手の話で神田さんには敵わないようだ。

 僕にとっては三人でやるより、四人でやる方が良いので願ったり叶ったりでもある。


「素直でよろしい。じゃあ、こっちもOKってことで」

「みんなありがとう。勉強会するなら、いつが良いかな?」

「いつもはそろそろ始める時期かな。直前でやっても復習の時間取れないしね」

「時期もそうだけど、どこでやるかも考えねえとな」


「あっ、確かに!」

「そうね。いつもは紬の家でやってるけど、四人で男子もいるとなるとどうなんだろう。お母さん先生はその辺りおおらかそうではあるんだけどね」


 うーん。と伏見さんは首をひねる。

 女の子同士で行き来するのと、男子が家に上がり込むのでは話は変わってくる。

 それに女子の部屋だと緊張して勉強に集中できない自信がある。


「その辺りはお母さんに聞いてみないと何とも言えないかな」

「だよね。どっちかっていうとパパさんが嫌がりそうな予感」


 あはは……と乾いた笑いで同意し合う二人。

 伏見さんのお父さんは、そっち方面に厳しいらしい。

 でも結先生はお母さん先生と呼ばれているのに、伏見さんのお父さんはパパさんと呼ばれているのか。……いや、あまり深く考えない方が良いかな。


「図書館じゃ教え合うような雰囲気じゃないし、放課後の教室も騒がしいしな。やっぱ誰かの家が良いんだろうけど、ウチはなぁ……」

「中野の家だと問題あるの?」


「妹がいてうるさいんだよ。それに立川駅から三十分ほど電車に乗ることになるな」

「へー! 妹さんいるんだ! 中野君似なら可愛いだろうね!」


「可愛くねえよ、あんなやつ。生意気盛りで、何かって言うと口答えするんだ。それだけじゃなく、勝手に部屋に入って小説持って行ったり、服を持ち出したりしやがって」

「意外ね。中野は誰とでも上手くやってると思ってた。でも、きっと妹さんは中野のこと好きなんじゃないかな」

「うんうん! そうだよね!」


「便利な金蔓くらいにしか思ってないって。新刊買えば、早く読めって急かされるし、買ったばかりのTシャツなんかもいつの間にか無くなってやがるんだぜ。そういう時は決まって、あいつの部屋にあるんだよ」

「服の趣味も本の趣味も中野と同じなんだね」


「そう言われてみるとそうかもしれないな。だけどさ、中学生で時代小説ばかり読んでるってどうなんだ?」

「中学生の女の子が読んでちゃいけない?」


 少し冷たい空気感を出しながら、神田さんは心持ち不機嫌そうに尋ねた。

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