電車の忘れ物


「忘れ物はありませんか?」

というアナウンスが流れるたびに、彼は思い出した。

あの日、電車に忘れたものを。あの日、彼は恋人と別れた。理由は些細なことだったが、彼は頑なになってしまった。そして、彼女にプレゼントした指輪を返された。彼はそれをポケットにしまったが、電車に乗って降りるときに落としてしまったのだ。


彼はすぐに気づいて、駅員に届け出たが、指輪は見つからなかった。

彼は毎日駅に通って、忘れ物センターに問い合わせたが、指輪は見つからなかった。彼はインターネットで探したが、指輪は見つからなかった。彼は指輪を探すことに執着し始めた。彼は指輪を見つけることができれば、彼女とやり直せると信じていた。


ある日、彼は電車の中で奇妙な男に声をかけられた。

「君、指輪を探しているんだろう?」

男は言った。

「どうやって知ったんだ?」

彼は驚いた。

「私は忘れ物の専門家だよ。君の指輪も見つけてあげられるよ」

男は言った。

「本当か? どこにあるんだ?」

彼は興味を持った。

「それはね…」

男は言って、耳元でささやいた。


その後、彼は姿を消した。誰も彼を見かけなくなった。駅員も忘れ物センターもインターネットも彼の存在を知らなくなった。彼女も彼のことを忘れてしまった。彼はどこへ行ったのだろうか?


答えは簡単だ。彼は電車に忘れられたのだ。

男がささやいたのは、

「君の指輪は電車の中にあるよ。でも、それを取り戻すには、君も電車の中に入らなきゃいけないんだよ」

ということだった。

彼はそれを信じて、電車に乗り込んだ。そして、二度と降りることができなくなった。


電車の中では、他にも忘れ物が沢山あった。傘やバッグや本や帽子や……そして人間や動物や幽霊や……彼はその中に紛れ込んでしまった。

そして、指輪を見つけることもできなかった。


「忘れ物はありませんか?」

というアナウンスが流れるたびに、彼は思い出した。あの日、電車に忘れられた自分を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る