scene 04 恋の宣戦布告

 ――翌日の放課後。


 日直の仕事を終えて部活に行こうとした岡部みゆきは、玄関先で一人の女子生徒に呼び止められた。


「岡部さん、ちょっといいかしら」


 声をかけてきたのは、男子バスケ部のマネージャーを務める宮下千尋ちひろだった。


「……」


 みゆきは眉をひそめた。


 千尋の顔を見ても、思い出すのは嫌なことばかりだった。何といっても、みゆきの第一志望を阻んだ人物だ。彼女の所為せいでマネージャーになれなかったと思うと、悪い印象しかない。


「少し話したいことがあるのだけれど、お時間いただけますか?」


 丁寧に訊ねているが、有無を言わさぬ高圧的な態度だった。


 みゆきは平静を装いながら、自分より頭一つ背が低い千尋を見下ろした。


 クセのないストレートの黒髪に、水色のアンダーリム眼鏡。一重まぶたのクールな目が、みゆきを値踏みするように見返している。


 あの傲慢な態度。やはり気に入らない。

 みゆきは、宮下千尋のことが大嫌いだった。


「わたし、これから部活なの」


 相手をしたくなかったみゆきは、クルリときびすを返して立ち去ろうとする。


「阿久沢先輩のことで大事なお話があります」


 不意に千尋が、動揺を誘うように尚人の名を口にした。その狙い澄ましたタイミングが実に腹立たしい。みゆきは、聞こえなかったフリをしてさっさと歩き出した。


「無視ですか? もしかして、マネージャーの件を逆恨みしてらっしゃるのでは?」

「……っ」


 図星を突かれ、思わず振り向いてしまう。


 するとそこには、ニンマリ笑う千尋が悠然と佇んでいた。このまま立ち去れば、負けを認めたようで惨めな気分になるだろう。そう思ったみゆきは、千尋の前まで大股で戻ると、彼女の細い腕をむんずと掴んだ。


「痛いわ、岡部さん」

「いいから、ちょっとこっち来て!」


 校舎の隅のベンチまで誘導すると、そこに千尋を無理やり座らせた。そして、みゆき自身も隣に腰を下ろす。


「それで、わたしに何の話?」


 背凭せもたれに寄りかかり、突き放すような冷たい声で問いかける。内容次第では喧嘩けんかになるかもしれない。みゆきはそう覚悟した。


「個人的な話で恐縮なのですが、私は阿久沢先輩のことが好きになりました」


 千尋はまったく恥じらう様子もなく、事務的な口調でそう告げた。


「はあ……」


 みゆきは「またか」と溜め息交じりに思った。普通なら「告白する相手が違う」と一蹴いっしゅうしそうな状況だが、彼女にとっては日常茶飯事だった。


 尚人のことが好きだという女子は、判で押したように、まず大抵はみゆきに声をかける。それは幼なじみを通じて、尚人の誕生日や好きな食べ物など、個人的な情報を入手するためだ。結果、みゆきは聞きたくもない恋心を打ち明けられる。


 そして、そのたびに思うのだ。また面倒なのが来たと。


 だが決して邪険にはしない。尚人のカノジョは自分に決まっている、と心の中で優越感に浸りながら、ことさら丁寧に尚人の情報を与えるのだ。


 この宮下千尋という女も、気の毒な片想い組の一人。そう思うと、みゆきは込み上げる笑いをこらえるのに苦労した。


「それで、宮下さんは尚人の何が知りたいわけ? 誕生日とか?」


 しかし千尋は首を振った。


「岡部さんは、何か勘違いをされているようですね。私は質問がしたいわけではありません。誕生日が知りたければ、本人から直接訊けば済む話でしょう?」


 千尋は、そう答えて鼻で笑った。


「ぐっ……」


 みゆきが小さく声を漏らす。今度は込み上げる怒りを隠すのに苦労した。冷静になれ、と自分に言い聞かせ、千尋の意図について思考を巡らせる。


 確かに彼女の性格なら、誕生日くらい直接本人に訊ねるだろう。つまり千尋は、尚人のパーソナルデータが欲しいわけではないのだ。


「だったら何の話? わたし、そろそろ部活に行きたいんだけど」


 もはや苛立ちを隠そうともせず、みゆきは語調をいっそう強めて訊ねた。


「これは失礼しました。では単刀直入に申し上げますが、私は明日、阿久沢先輩に告白しようと思っています。それをあなたに伝えておきたくて」

「は?」

「岡部さんは阿久沢先輩の幼なじみ。表向きは腐れ縁ということですが、本当は彼のことが好きなのでしょう? ですから、事前に知らせておこうと思いました。いきなり彼を横取りするのも悪いですから」


 そう言って、千尋が小馬鹿にした笑みを浮かべる。


 みゆきは、彼女の強気な態度に怒りを忘れ、しばし言葉を失った。だが、すぐにいつもの余裕を取り戻す。そして千尋の無謀すぎる「宣戦布告」を、胸の内で密かにせせら笑った。


「宮下さんが尚人にコクるのは自由よ。わたしに断ることも、遠慮することもない。必要なら応援してあげてもいいけど?」


 みゆきは、心にもない言葉で千尋に応じた。


 尚人が千尋を選ぶことはあり得ない、と確信していたからだ。こんな地味眼鏡の冴えない女を、モテモテの尚人が相手にするはずがない。


 盛大に振られてしまえ。みゆきは心の中でそう毒づいた。


「どうせ宮下千尋は振られる、と思ってらっしゃるのでしょう、岡部さん?」

「え……!?」


 再び図星を突かれ、みゆきは驚愕のあまり息を呑んだ。


「結果を楽しみにしてくださいね。明日になれば分かりますから。ご愁傷さま」


 千尋の自信に満ちた声が、不吉な言の葉を乗せてみゆきの耳に流れ込む。


「それでは私も部活がありますので、これで失礼します」


 千尋は小さな身体をひるがえすと、みゆきの前から颯爽さっそうと立ち去るのだった。


 ベンチから立ち上がったみゆきは、その背中を黙って見送ることしかできなかった。

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