一章 金青のアンダステ

一話 これがはじまり

     どこまでも光輝く青

     限りなく青い光

     金青こんじょうのアンダステ











 それはゆっくりと、崩壊してゆく。

 人々の阿鼻叫喚はあちこちにあり、彼らは目の前で起こっている事が現実のものなのか、自らに問う。

 今まで自分達の全てであったものが少しづつ消えていく。

 崩壊ののち、そこには何も残らない。

 あるのは記憶と思いだけ。




 ─────ごめんなさい、ごめんなさい、助けてもらえなくてごめんなさい・・・来てくれてありがとう─────


 ソレルは蔓模様の背表紙本を閉じてこの言葉は誰に言ったのだろう、と考えてみた。考えても分からないので本を寝台に放り出す。

 これは遥か昔、実際にあった事をまとめたものだ。世間一般に知られていない部分がほとんどで、彼女は戸惑う。何故なら、自分が短命で残酷な死に方をするとこの本はいっているからだ。

 「はぁぁぁぁぁ」

思いっきり誰かに聞かせる様な大袈裟なため息をついた。一人しかいない部屋で。

 「あははははは」

 次は自暴自棄に笑ってみた。結局どちらも虚しいだけだった。もう一度ため息をついてソレルは寝台から体を起こす。

 この本はダルーナの先生から譲られたもので、「君に深く関係のある事が書かれているからよく読んで」と言われていた。まさかの内容で、どう受け止めれば良いか一読しただけでは考えがまとまらない。

 「よし」

 と、勢いよく立ち上がった。こんな時は甘いものでも沢山食べて、思いっきり羽目を外そう。そう決めたら早かった。備え付けの衣装棚から子供っぽい服を引っ張り出し、靴も底がぺたんこなものを取り出して、屋台村専用の通貨と入村証を引き出しから出す。 

 今ソレルのいるピィロ(列車トーヴォの車両)は東中央駅に止まっている。そこから彼女の故郷ガリア王国へ行くには駅からヴァラキア方面行きの連結指示を受けなければならない。それなのに待機の指示が出てかなり経つ。何度も催促してみたがまだ待機のまま。仕方なく後を彼に任せて部屋へ戻り、さっきの本を開いたのだった。

 彼もまだ操作室だろう。彼、シャトウィルドは彼女の世話係を兼ねる側近で今回の外交の責任者でもある。見つかったら怒られるな、「自覚しろ」と怒鳴る姿が浮かびながらも素早く着替えた。鏡の前で身なりを確認してからこっそりとピィロの外へ出て屋台村へ向かう。


 屋台村は大きな駅には必ずある。壁で囲われた屋台村は入村に許可証が必要で、専用通貨もある。これらは前もって審査を経た登録が必要だ。ソレルは何度も利用している常連でアンダステ中の屋台村に行った事がある。

 今回東中央駅の屋台村には題目が付けられ「あまい誘惑に誘われたい」という事だ。ソレルはこれを見た時すぐに「誘われます」と目を輝かせて叫んだ。

 屋台村の門番に許可証と通貨を見せて中へ入れてもらう。許可証を発行された人しか入れないうえ、中は警備員が配置されていて子供ひとりでも安心出来る場所でもある。最もソレルは成人しているのだが、身長が思ったほど伸びず童顔で実際の年齢よりも三歳くらい下に見られる。普段は身長を調節出来る特注の靴でそれらしく見えるようにしているのだが、屋台村にこっそり行く時は子供を装って行く。


 「美味しい匂いに満ちてる」

 門を潜ってすぐ声に出た。晴れやかな表情で左右を見渡し喜びを爆発させる。

 門から真っすぐ大通りがあり、左右に屋台が並ぶ。突き当りを左に曲がってすぐまた左に曲がると別の通りがある。俗に表通りと裏通り。表通りは門から入ってすぐの為、客がじっくり見てくれる。それなので店を出す方は出来るだけ表通りに出したいと思っているが、場所は抽選で決まる。運悪く裏通りになってしまった時はなんとか自分の店に来てもらおうと表通りに呼び込みを配置するのが通例になっている。その為門から入ってすぐは表通りの呼びかけと裏通りの呼び込みでより賑やかだ。声の渦の中、店を吟味しながらゆっくりと進むこの時間は何ともいえない楽しさがある。

 甘い誘惑らしくお菓子の屋台が多くて心が弾んでくる。ソレルはお菓子が大好きでお茶に合うかを常に意識している。

 本当は好きな菓子職人がいるのだが、その人は自分の技術向上の為、修行中の身。一方的に頼み事をするのははばかれる。

 時折り、エヌのお菓子食べたいと愚痴ると、シャトウィルドが頼んでやると言ってくれるのだがソレルは控えた。

  (邪魔はしたくないし、もしかしたら屋台村に店を出すかもしれないし)

 そんな事を考えながら歩いていると表通りを半分以上進んでしまった。

  (あれ? 気になる匂い無かった?)

 ソレルは美味しいものを嗅ぎ分ける嗅覚を持ち、絶対的に自信のある味覚がある。ただぼんやり歩いていても分かるはずだった。

 戻ろうかと思ったところで気になる会話が飛び込んで来た。


 「聞いたか。パテロ崩壊の噂」

 商人風の男達の世間話のようだ。

 パテロとは人口浮遊地の事でアンダステでは人が住む所の九割はパテロだ。それが崩壊するなら本当に大変な事になる。気になったソレルは男達から付かず離れずで聞き耳を立てた。目の前の店で飴菓子を買い、一つを口に含みながら別のお菓子を物色している振り。

 「パテロ売買で値を吊り上げようとした奴が流したっていうあれだろう?」

 「あれじゃない、今起こっている事だ。東中央駅が込み合ってるのはそれと関係してるらしい。古いパテロが機能停止になるとか、実際に停止したとこがあるとか騒いだ事があったろ」

 「古いのは誰も住んでないんじゃないか?」

 「パテロが停止したらどうなるんだよ」

 「人工大地が裂けるのか?」

 焼き菓子の詰め合わせを二つ買い、男達の会話が聞こえる範囲を越えないように注意する。

 「だからまだ表立って問題になってないんだってさ。パテロの崩壊は重大な事件になるからな」

 「そういえば、かなり前にパテロについて論文を書いた学生がいたな」

 ソレルは試食の品を貰い、食べながらその店の一番人気の商品を眺める。

 「そうそう、それで専門家が動いたらしい。調べてみたらパテロの寿命が分かったってさ。古いものの方が危険だって。これは公になってない本当の話だぞ」


 ソレルは試食品を食べきると男達からゆっくり離れた。

  (確証のない話。でも論文の事はどこかで聞いた事があるような・・・)

 記憶を手繰ってみる。そうだ、かなり前に父とシャトウィルドの会話に出て来たはず。あの時二人は不思議でならないと言っていたような。何が不思議なのか分からなかったが、論文を書いたのはガリア王国の学生ではなかったか。

 そんな事を考えながら歩くうち裏通りへ入った。と、何やら気になる匂いが鼻をつく。期待を胸にそちらへ向かうと果汁屋が。あれ、と思いながら何が気になったのだろうと、見本を見ているとおかしな名前が。

 ワカレモジュース。

 ワカレモって揚げてシャキシャキ、煮込んでネットリとろりと調理法で食感の変わる、あのワカレモだろうか。見た目はごつく細かいヒゲに覆われた芋の一種でとても美味しい。頭を捻っていると店主から声をかけられた。

 「お嬢ちゃん、ワカレモジュースが気になるの? 試すかい?」

 笑顔で頷くと、店主は吸い口付きの小さい器に入ったジュースを差し出した。

 ワカレモ独特のそほ色の飲み物をひと口吸ってみる。喉の奥に一気に流し込んで、目を見開き店主を見上げる。

 「お、おいしい、です。ワカレモの甘みとコクがしっかり残っているのに、あの特有のねっとり感がなくて、さらっとしてる。飲みやすい」

 思わず力説してしまった。

 店主はニコニコっとして「そうだろう」と頷きながら喜んだ。大柄で髪の毛と髭の境が分からないような店主は満足そうにしている。見かけによらず繊細な仕事してるな、と失礼ながら思いつつ大きめを注文した。

 ジュースを飲みながら、これの匂いではないなと断言する。では何の匂いが彼女をここへ来させたのか。隣の屋台を見てみると、からの台。売り切れのようだ。けれど残り香が漂っている。それはソレルの好きなクースクースの香り。ほかにも色々入っている焼き菓子か。店の兄さんに尋ねてみた。

 この店はクースクースの焼き菓子を売っているのだが、今日の店出しと予約の数を間違えてしまい、今職人が急いで焼いているそうだ。初日に試食を多く出して味をみてもらうと評判を呼び、毎日予約が入っているという。

 ソレルの興味を引いた。クースクースは硬い殻に苦味と強い旨みのある木の実で下処理が面倒なうえ、蒸し方と時間によって苦味が弱くなるが、その代わり旨みは無くなる。加減が難しいので使う職人は少ない。ソレルは微妙な苦味と沸き立つ旨みを引き出した職人を知っており、彼女の作るお菓子が大好きだった。思い出しただけで口の中が潤うくらいに。

 「待つかい」と店の兄さんはソレルに聞いたがこれ以上時間をかけてはいられない。抜け出したのがばれたら大変だ。申し出を断って、もの凄く後ろ髪を引かれながらソレルは戻って行った。焼き菓子も買ってあるし、何やら不穏な事を聞いたので戻った方が良いと感じたのもある。


 ソレルは門から出て間もなく背後に二つの気配を感じて足を止めた。同時に前方の人混みの中から一人の青年が現れる。可愛い顔立ちには似つかわしくない、怒りを抑えた表情でソレルを凝視する。

 「やっぱりここだったか」

 一言だけ言うとソレルの背後に控えた二人に目で合図をする。ソレルの背後に現れた護衛達は距離を縮めた。

 「立場をわきまえろ、と何度も言ってるだろ」

 ため息混じりに言われると、ソレルは神妙な面持ちでシャトウィルドの前へ歩いて行く。

 「ごめんなさい」

 「俺より、後ろの二人に言え。何かあったらあいつらが困る」

 言われてソレルは後ろを向き、自分に付けられている護衛達の顔を順に見て頭を下げる。

 「勝手に出て行ってごめんなさい」

 思いがけず頭まで下げられて、護衛達は恐縮する。今回初めてソレルの護衛を任されたのだが、どの様な人物かは知らなかったからだ。自分達は使い捨てでもおかしくないと思っているし、嬉しいという気持ちも湧いてきたが護衛として表に出さず僅かに口角を上げた。

 「行くぞ。話しておく事がある」

 シャトウィルドはソレルと並んで歩き出した。ちらと彼を見上げると怒りは全く無く、むしろ困惑しているようだ。

 「出られるの?」

 ソレルの質問にシャトウィルドは少し考えてから答えた。出来るだけ動揺させたくないという思いがあった。

 「分かった事はヴァラキア空域へはすぐには行けないという事だ」

 「何かあるの?」

 「あるみたいだ」と声を落とすとシャトウィルドは沈黙した。続けて言うべきか悩んでいるような。

 ソレルは先程屋台村で聞いた事を話した方がいいと感じてシャトウィルドに語った。パテロ崩壊の噂はシャトウィルドにとっても初めて聞く情報のようだが思ったより驚いていない。おかしいと思いつつ彼を見上げると、憐れむ様な表情で見返された。

 どうかした?と言おうとしたが声は出なかった。彼は今まで見た事のない、悔しさ? 苦しみ? のような、負の感情をごちゃ混ぜにした表情で口を開いた。

 「商人達が言っていたパテロは第二次建設のものだろう。あの時のものは二つか三つ廃墟になっているはず。だけど、アンダステで最も古いパテロには人が住んでいる。ヴァラキア空域の四つのパテロだ」

 一度言葉を切ってソレルの翡翠色の瞳を見ながら続ける。ソレルはすっかり忘れていた事を思い出させられて目を見開き、心がざわめいた。鼓動が大きく速くなっていく。

 「さっき、ガリアの外交団と言って待機解除を正式に要請したら、向こうは一瞬沈黙した」

 それが何を意味するのか分からないソレルは彼の次の言葉を待つ。固定されたように真っすぐ見つめて。

 「はっきりと言わなかったが、恐らく、ヴァラキア空域で何かあったんだと思う。お前の話と合わせてみると・・・・・もしかしたら、何かあったのは、ガリアかもしれない」

 崩壊という言葉は使えなかった。

















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