【SW2.5SS】空の箱庭
ひよか
迷い人の居場所
その日の朝、キャロラインは本を読んでいた。
誰もいない自宅で朝食を摂り、冒険者として働くために所属する冒険者ギルド支部「
まだ成人したばかりの、儚げな印象を受ける白い肌とツインテールに結った銀色の髪の少女は嫌でも冒険者ギルド内では目立ちがちである。ものものしい鎧を身にまとった屈強な戦士や大きな杖を携えた魔法使い達が彼女を横目で見ながら通り過ぎる。たまに顔見知りなのか、挨拶していく者もいる。キャロラインは挨拶されれば、本から目を上げてそれを会釈で返していた。
彼女の身分を示すものは、「空の箱庭亭」のエンブレムの他に首から提げた導きの星神の聖印である。かなりの魔力を持つハルーラ神官として、ギルドの職員達などの一部の者達から一目置かれている。即席のパーティーながら一緒に組んで、最初は幼く見える彼女を侮っていたがその活躍を見て舌を巻いた冒険者も多い。
「ふぅ…今日はここまでにしよう」
しおりを途中のページに挟み、本を閉じる。キャロラインは手つかずだった蜂蜜入りの紅茶に手を伸ばし、一口つけた。
茶の風味を口腔内で味わい、深呼吸をして店の天井を見上げる。
(私…こんなことしてていいのかな…)
『我々にはたったの30年弱しか時間がないんだ。だからお前も早く新しい血を作って、悔いのないよう生きて、早く散る覚悟を決めて余生を生きるんだよ』
今はもうこの世にいない、大事な人の遺した言葉が頭に響く。
(そんなこと言われたって…私にだって別にやりたいことはあるよ。やっぱり、時間がないからやりたいことを自由にやっちゃダメなの…?)
キャロラインは顔を降ろし、再び大きな深呼吸…ではなく、ため息をついた。リラックスをするはずだったのに、頭の中はいつもの悩みで混濁してしまった。
「キャロラインちゃん」
「わっ!!」
不意に横から声をかけられ、キャロラインは軽く椅子から飛び上がってしまった。その様子に声の主も驚いてしまう。
「あっ、ごめんね! 驚かすつもりはなかったんだけど…」
「い、いえ、私が考え事してただけなので…大丈夫です」
キャロラインは声の主を改めて見た。白い髪に大きな赤い椿の花が映える、美しいメリアの女性だった。
「ならいいけど…隣いいかな?」
「あ、はいどうぞ、エミリーさん」
エミリーと呼ばれた女性は、キャロラインに対し笑みを浮かべて彼女と同じテーブルの席に着いた。その手には蜂蜜と柑橘類の果汁が搾られた水が入ったコップがある。エミリーもキャロラインと同じく、ものものしい装備はしていなかったが、こちらは首から伝令神の聖印を提げていた。
(エミリーさん…『空高く伝う声』の名で知られる軍師様…)
エミリーはブロードソードランクの冒険者で、神官ながら豊富な戦略的知識を持ちパーティーメンバーを鼓舞する軍師としてよく知られる存在である。更に戦場ではマンドリンを持ち、小鳥を従えて呪歌を奏でる吟遊詩人としての才能も備えていた。
キャロラインは信仰する神は違えども同じ神官として、少人数のパーティーでは一緒に行動することは少ないが、大人数での討伐依頼などでは顔を合わせたこともあり、とはいえ取り立てて仲が良いわけではない、顔見知りのような間柄だった。
「ふふ、久しぶりだねえ、最近忙しかったから。元気だった?」
「はい、元気です…そんなにハードな依頼はこなしてないので、最近」
親しげに話しかけてくるエミリー。キャロラインはあまり外向的な性格ではなく、こうやって他人に積極的に話しかけられる人族は驚くと共にうらやましくなってしまう。
それに――
(長命種…)
エミリーが長命種のメリアなのは聞いている。と言うより、その穏やかな性格を見ればすぐに分かる。短命種のメリアはもっとせっかちである。
(確か長命種は三百年くらい生きて、その後木になる…それって、死後も生きていられるってこと?)
蜂蜜水のコップをあおるエミリーを横目で見ながら、キャロラインは考え込む。
(長く生きて、歴史も残せて、肉体も残せるなんて…私には到底出来ないことだ。もう今までの人生半分くらい終わってる私には…)
長く生きられない運命のキャロラインは、無意識に世にあふれる長命な種族をうらやんでしまう。その度に、焦りが生まれる。
(…って、いけない。また変なこと考えちゃった。この人は別に私に悪意を持って接しているわけじゃないのに)
そしてその度に、他人を僻む自分を責めてしまう。エミリーの前で、後ろ暗いことを考えていたのをごまかすため、キャロラインは自身の紅茶をあおった。
「実はあなたに会いたかったんだよ。ちょうどよかった…相談したいことがあってね」
「…私に相談したいこと、ですか?」
エミリーが人懐こい笑みを浮かべたまま、キャロラインの考えなど気取った様子もなく話しかけてくる。キャロラインは心の中で、自分の邪な考えを読み取られなかったと胸をなで下ろした。
「うん。私が知っている限り、『空の箱庭亭』で魔物…とりわけ魔神の知識を持っているのはキャロラインちゃんがトップクラスだからね。なにせ、魔神から人々を守るハルーラ神の使いだし…。よければ、ちょっと今回引き受けてる依頼のことで相談したいと思って」
「そんな、私みたいな若輩者が…恐れ多いです。でも、私の知識がお力になれるのなら、お話しさせてもらいたいです」
知識を褒められることは素直に嬉しい。顔を少し赤らめながら、キャロラインはエミリーに話の続きを促した。と同時に、あえて髪の毛で見えないようにしている、片耳にピアスの形でつけた『魔の扉』のことを悟られたのではないかとも勘ぐった。別にばれたところでいきなり強く糾弾されるわけではないが、それでもなるべくは隠したい代物である。
「ありがとう。えっとね…私たちのパーティーが受けた依頼だから、あまり詳しいことは言えないんだけど、とにかくとある地域に人が近づくと何者かに襲われる事件が何件か起きてね、それの調査を頼まれたんだ。それで、うちのメンバーの斥候の技術があるふたりに軽い調査を頼んだんだけど、魔物が何匹かうろついていたそうなんだ。でも、ふたりは特別魔物に詳しいわけではなくて、正しい情報を出せなくて申し訳ないんだけど、あんな蛮族は見たことないって言ってて…」
「…魔神かもしれないと」
「…うん、その可能性もあるかなって」
「とりあえず、現場を調査したというおふたりのお話を聞きたいです。ここにいらっしゃるのですか?」
「ここに来るよう言ったからもうすぐ来ると思うよ。ひとりは引っ張ってくるようにね」
「…引っ張ってくる?」
笑顔でエミリーはここにいない斥候二人のことを全て分かっているかのように不可解に説明するので、キャロラインは首をかしげた。
それと同時に、食堂のドアが大きな音を立てて開け放たれた。
「うぉ~っす!! おっはようございま~す!! みんな朝から元気してる~?? アタシは元気だぜぇ~!!」
「元気じゃねぇだろ!! こんな朝から酒飲んで酔っ払いやがって!!」
「朝から、じゃないよぅ~、昨日の深夜から、だよ!」
「だからって朝まで繁華街でハシゴしてんじゃねぇよ! 依頼の話し合いがあるっつうのに…朝からお前を探す身にもなってみろ!」
「よかったな~、見つかって~」
「ひとごとだと思いやがって…」
入ってきたのは二人の背の高い女性だった。一人は灰色の褐色肌に長い白髪を結わいた女性で、顔を上気させた笑みを浮かべながら足をふらつかせていた。それを肩を抱いて支えているのはもう一人、金髪のポニーテールを結った耳のとがった女性である。
「あ、来たね。ちょうどよかった」
「………」
エミリーはその二人を平然と受け入れ、キャロラインはその光景に唖然としてしまった。
いや、唖然としているのはキャロラインだけではなく、朝のまばらな冒険者の客達も同じだった。数人はあっけにとられ、数人は「またか…」といった感じで頭を抱えている。
「ほら、連れてきたぞ」
「エミリ~! おっはよ~!」
「おはよう、カレンにアンナ。お話しするからこっち来て席着いてね。あとすみません、ふたりにお冷やください。ひとつはジョッキで」
冷静な様子で店員に水を頼むエミリーと、気の抜けた笑顔でふらふらとエミリーの方に手を振る褐色肌の女性と、それを鬱陶しそうに肩で支える仏頂面の金髪の女性が、ゆっくり歩きながらこちらのテーブルに寄ってくる様子を、キャロラインは思考停止したまま黙って受け入れるしかなかった。
***
「これ、お酒の味しないんだけど~?」
「水だよ! 夜通し飲んどいてまだ飲む気かよ! 頭冷やせ!」
「まあまあ、アンナならこれくらい酔っててもお話しできるからいいじゃない」
「………」
ジョッキの水を一気に飲み干した褐色肌の女性――アンナと呼ばれた――は、上を向いた口の上でジョッキを逆さにして軽く振っているが、雫が落ちてくる様子はない。
夜通し酒を飲んでいたということで、足はふらついておりしゃべり方も緩慢なものの、呂律が回っていないわけではなく動きもしっかりとしている。よほど強いのだろう。
「じゃあふたりとも揃ったことだし、話し合いを始めようか。ありがたいことに、キャロライン先生にも協力願えたし」
「せ、せんせい…!?」
「おお、あんた魔神に詳しいことでギルド内で有名だよな。協力助かる。よろしく、オレはカレン」
「アンナだよぉ~先生よろしく~!」
「は…はあ…」
アンナを支えて店に入ってきた金髪の女性はカレンと名乗った。その高身長と特徴的な耳の形から、エルフであることは間違いない。しかし、エルフというと柔和なイメージがあるが、このカレンは雰囲気が普通のエルフとは違った。顔立ちが刃物のような鋭さがあり、そばにいるだけで緊張感が高まるような風貌だった。それに加えて、自然を愛するエルフのイメージに反し、対極にあるような魔動機術の象徴たるマギスフィアや小銃を装備している。
(こっちの素面の人はエルフ…そして、こっちの酔ってる人は…確か、他の地域から流れてくる者が多いシャドウ…)
顔を赤くして上機嫌に笑いながら、キャロラインに対してペコペコ頭を振るアンナは、様々な種族が出入りする「空の箱庭亭」でも珍しいシャドウと言う種族だった。灰褐色の肌に白い髪、そして特徴的な「第三の目」が額にある。シャドウ達は夜の種族と言われ、この目で闇夜を見通すのだという。
「おかわり~! 今度はお酒を混ぜてくれよ~!」
「混ぜねぇよ!! いい加減にしろ!」
ジョッキを近くにいた店員に向けて笑顔で突きつけるアンナに、カレンが怒鳴りつける。店員は「はいはい」といったような慣れた感じでジョッキを受け取り、水を汲みに行った。
「ああ、この子達は気にしないでお話を続けようね。まあ、相手が魔神だった場合の対策をアドバイスしてほしいんだけど…」
「…おい、オレをこいつと同じくくりにするな。オレはちゃんと話し合いに参加するぞ」
「え~、なになに~? 楽しいお話~?」
「うん、みんなでお話ししようね」
「……はあ」
エミリーが至って普通のことのように、めいめい自由に動くパーティーメンバーをまとめてしまうので、キャロラインはすっかり緊張と毒気が抜かれてしまった。これは軍師というよりも、幼い学童たちの引率の先生である。キャロラインは学校に通わず個人教師をつけて勉学に励んでいたが、一度幼い時にキルヒアの学校の課外授業に特別参加したことがあり、確かその時の引率の先生がこんな感じだった。
「カレン、確かなにか拾ってきたよね?キャロラインちゃんに見せてくれる?」
「ああ。オレたちふたりで探索に行ったんだが、魔物がうろうろしててよ。そいつらをかいくぐってひたすら資料になるもの集めようとしてたんだが、アンナがやたら魔物と戦いたがってな…止めるのに必死でこれしか集められなかったが、なんか参考になるか?」
そう言ってカレンは小さな布袋を取り出し、中身をテーブルの上に並べた。
「なにかの破片…ですか」
「ああ」
キャロラインが見たものは、大小様々な破片だった。刃物のような光沢をしているものや、真っ黒で元々の物体がなんなのか判断しかねるもの、かろうじてアクセサリーのような形をしているものもある。
「全てが魔神に関係しているとは限りませんが…魔神関係でしたら、ハルーラ様の知恵をお借りしてもいいですか?」
「ああ、魔法を使うんだね。どうぞ」
「それでは失礼して…ハルーラ様、
キャロラインは目を閉じて、首の聖印に念じ神への祈りを唱え、それに応じて聖印は淡い光をこぼした。エミリーとカレンはその様子を静かに見ていたが、アンナは「ほへー」と目と口を丸くして見とれていた。
ゆっくりと瞼を開くと、心なしかその赤い瞳は星のようにきらめいていた。
そして卓上に散らばった欠片をおもむろに手に取り、ひとつひとつ確かめるようにゆっくりと観察しはじめた。鋭利で危険なものは慎重に取り扱い、そうでないものは手のひらの上で転がしたりして、一見端からすると、玩具のように弄んでいるようだった。しかし、他の三人はそれを咎めるどころか息を呑んで結果が出るのを見守っていた…アンナは相変わらず目を丸くしていたが。
やがて、キャロラインは最後の欠片をテーブルの上にゆっくりと置いた。
「…今置いたものは、棍棒のような鈍器の欠片ですね」
その口ぶりは至って冷静に、淡々としていた。
「他にも剣や斧のような刃物の欠片もあります。人族のものという線もありそうですが、山賊でもこんなに乱暴に扱うことは稀だと思うので、それに大きさからして蛮族のもの…そうですね、ボルグあたりでしょうか」
「ほうほう…」
「ほへ~」
「それと、それ以外のものはやはり魔神のものだと思います」
大口を開けたアンナを除く二人の目が鋭くなった。
「この黒い欠片はおそらく角の欠片ですね。あとこちらの壊れた装飾品のようなものは、一部の魔神が好んでつけているものです。これらの物品から考えて、カレンさんが調査した場所で蛮族と魔神の群れが衝突したのではないでしょうか」
「蛮族と魔神が衝突…?」
「ええ。縄張り争いのようなものだと思います。あとは、実際に現場を見てみてどんな魔物がいるのか確かめないとなんとも言えませんが…以上が、私が今考えられる全ての推測です」
キャロラインは語り終えて周りの三人の顔を見た。エミリーとカレンは渋い顔で考え込んでおり、たまに「魔神か…」とつぶやいていた。
そんな中で真剣な他の二人と空気が違うのが一人。
「……すっげー!!」
「!!?」
先ほどまで目を丸くしていたアンナが、突如その目を輝かせて椅子を倒しながら飛び上がるように立った。
「エミリーもすっげー頭いいけど、アンタもすっげー頭良いなぁ~! 体ちっちゃくて声もちっちゃいんだけど、説明してる時の声、頭にスッと入ってきた! 鋭かった! すっげー感動した!」
「…あ、あの…」
「大丈夫だよ、アンナは酔っててもホントに思ったことしかしゃべらないから。言い方はアレだけどちゃんと褒めてるんだよ」
「ああ、鬱陶しいのは誰もが納得するが、これがこいつの精一杯の賛辞だ」
「…はあ、あ、ありがとうございます…?」
「うふふ~!」
アンナの突然の行動には予測が出来ず驚いてしまったが、当のアンナは屈託のない笑みを浮かべて拍手をしているので、キャロラインは不思議と悪い気持ちにはならなかった。ここは素直に賞賛を受け入れることにした。
「お待たせしました、お冷やになります」
「あ、ありがと~! ついでになんか摘まめるものおねがいできる? できれば焼いた肉がいいねえ!」
店員がジョッキに注がれた水をテーブルに持ってきたので、アンナは食事を注文した。それに対しカレンが呆れて口を挟む。
「おい…ゆうべから大量に飲んどいて食事は摂らなかったのかよ…」
「うん! 酒飲むのに集中するから食事はしなかった!」
「…。なんでこいつはいつもこう…」
笑顔で答えるアンナの顔を見て、カレンが頭を抱えてしまった。店員はそれを見なかったことのようにそそくさと軽食を取りに厨房の方に入ってしまった。
「ありがとう、キャロラインちゃん。じゃあ、仮想的を魔神として、その対策を練っていこうか」
「…はい、そうします」
「だな。もうちょっと現場を捜査する必要があるが」
三人は姿勢を正して、深い話をする体勢を整えようとした。しかし、その中でアンナはだらけたようにテーブルに突っ伏してしまった。
「はあ~、安心したら更にお腹空いちったよ。ちょっと休まない?」
「それはお前だけだ! ちゃんと話し合いに参加しろ!」
「あはは、いいじゃないカレン。アンナってご飯食べるとすぐ元気取り戻すから、逆にちょっと一息ついた方がいいかもしれないよ」
「…ったく、エミリーはアンナに甘ぇよな…」
テーブルに顎を着けて目を細めるアンナ、それを見てクスクス笑うエミリー、頭を抱えるカレン。
(この人達、本当に仲よさそうだよな…)
そんな三人を見て、キャロラインは複雑な気持ちになった。
冒険者は切った張ったが日常であり、過剰に悲観的になる必要はないが、命の覚悟を決めて依頼に取り組まなければならない。特に自分の残りの人生に限りがあるキャロラインは、毎回「ここで散るかもしれない」と覚悟を決めて挑んでいる。とは言え、簡単に倒れてやる気はさらさらない。
(私は覚悟を決めて毎回依頼に取り組んでいるのに、この人達は依頼を受けてどこか楽しそう。何がそうさせるの…? やっぱり寿命…?)
エルフはキャロラインからしたら永遠とも形容できる長寿種族であるし、シャドウも確か人間並みには生きるはずである。命のかかった戦いに楽しそうに挑めるのは、やはり勝てば長く生きられる、という余裕の表れなのだろうか。
(って、私また変なこと考えてる…この人達は別に悪くないのに…)
「で、キャロラインちゃんさえよければなんだけどどう?」
「えっ!?」
無意識に後ろ向きな考えをして俯いていたキャロラインに、不意を打つようにエミリーが話しかけた。
「あれ、聞いてなかったかな? 是非現場でもその知識を借りたいから、よければ今回の依頼に加わってほしいんだけど」
「…え、私がですか…?」
寝耳に水の提案に、先ほどまでこのパーティーに羨望と嫉妬の感情を抱いていたキャロラインは困惑した。
「ああ、そうだな。魔物に対する知識はエミリーもあるが、対魔神とあっちゃあ念のため専門家の指示を仰ぎたい。オレとしてもアンタに同行してほしいところだな」
「でも…皆さんがお受けした依頼でしょう? 報酬のこともありますし…」
「それなら心配いらないよ。3人でも多いくらいの金額だったし。もちろんあなたの希望金額も汲むよ」
「そこまでしていただかなくても…」
急な誘いに焦って首を横に振ってしまう。今までキャロラインは適当な依頼を斡旋してもらい、それに同調した別の冒険者とギルド内で多少の話し合いの上、現地集合で依頼の任務に当たっていた。
このように明るく依頼に誘われたのは初めてのことだ。
(私が、この人達のパーティーに参加しても大丈夫なの…? こんなに明るく、長い未来を生きられる人たちを、妬むような私が…)
「大丈夫大丈夫! キャロルならアタシらとうまくやれるって~! ねっ、キャロル!」
「………」
テーブルに顔を突っ伏していたアンナが、その顔を上げて笑顔で元気にキャロラインに話しかけた。一方のキャロラインは、聞き慣れない、今の脳内では理解できない単語が出てきて思考停止していた。
「ん、どったのキャロル?」
「……キャロル?」
「え、名前キャロラインっしょ? 言いにくいっしょ? だからキャロル!」
「…」
キャロラインは目を丸くして、ぼんやりな笑顔を浮かべたアンナの顔をじっと見ていた。
「あ、いいねえ、せっかくだから私も愛称で呼んであげたいね、キャロルちゃん」
「そうだな。同じギルド所属の仲で一緒に行動するんなら呼びやすい方が良いよな」
「ええと…あの…」
キャロラインはパニックになり、頬に両手を当ててオロオロしてしまう。それを見かねたエミリーは心配して声をかけた。
「大丈夫? さっきのお誘いといい、ちょっと馴れ馴れしすぎたかな?」
「いえ…そうじゃなくて…。私、親にもずっとキャロラインって呼ばれてきていて、人にキャロルなんて呼ばれたこと…なくて…」
顔を赤くして俯いてしまったキャロラインと、それを囲む三人のテーブルは、一瞬の静寂に包まれた。
それを破ったのは、アンナだった。
「ぎゃははは! か~わいい!! じゃあ今日からキャロルだ! 嫌でもキャロルって呼んでやるぞ!」
「嫌がることはやめとけ…」
「あ、あの…別に嫌じゃないです。好きに呼んでいただければ…」
手を叩きながら嬉しそうに爆笑するアンナと、恥ずかしくて縮こまってしまうキャロラインの対比が微笑ましかったのか、エミリーは口に手を当ててクスクスと笑いながら、キャロラインに優しく話しかける。
「じゃあ私もキャロルちゃんって呼ぶね。よろしく。それでなんだけど、どうかな? 依頼の方には参加してもらってもいいかな?」
「は、はい…私でよければ…」
「よかった。決まりだね。あとで依頼カウンターの方に行って、依頼のパーティー登録を追加で書き込もう。それまではちょっと雑談でもしようか」
「今からじゃダメなのか?」
「アンナの軽食が来てないよ。それに、私も話し込んで喉が渇いたから、お水のおかわりをもらおうかな」
「それもそうだ。オレもこいつ探し回って疲れてるからよ、なんか軽いもの頼むか」
雑談、と聞いて何を話していいのか分からないが、他の人たちは本当にとりとめのない会話をしている。今まで他人と雑談するような余裕がなかったキャロラインは、新しい世界に来たような感覚だった。
それも、嫌じゃない感覚。
(私をパーティーに誘ってくれて…それも愛称で呼ぶなんて言い出して…こんなこと初めてだ…。でもなんだろう。今まで私には時間がないって焦っていたけれど、初めて人生に『遊び』を入れるってこんな気持ちになるんだ)
色々詰め込んで終わる人生より、たまには単純にその場をとりとめなく楽しむことも、悔いなく生きる秘訣なのかもしれない。
そんなことを、簡単にこの人達は教えてくれた。
「あの…ありがとうございます、アンナさ…」
「ぐ~………」
「……」
自分を愛称で呼んでくれたアンナに礼を言おうとしたら、アンナはとっくのとうに再びテーブルに顔を突っ伏して、夢の世界へ入っていた。
「ああ~、ゆうべから飲んでたならこれはしばらく起きないね。仕方ない、しばらく見といてあげるか」
「じゃあ今来た軽食オレがもらうわ。おっ、肉団子か。うまそう」
「ぐ~、すぴ~」
「………」
完全に、礼を言うタイミングを逃してしまったキャロラインは、何も動じない二人の態度に呆気にとられてしまった。
「…あの、すみません。アンナさんって、いつもこうなんですか…?」
「うん。夜に飲み歩いてちゃんと帰ってこられれば部屋で寝てるよ。シャドウは毒に強いとこあるからねえ、しばらく寝たら二日酔いもなくシャキッと目覚めるんだよ」
「うらやましい限りだよな、コイツの単純な性格も含めて…肉団子うめぇ」
「そうですか…」
キャロラインは自分も少し落ち着こうと、紅茶の入ったカップに手をつけたが、中はいつの間にか空だった。
いつもなら終わってしまったことは忘れすぐ次に取りかかる焦った暮らしをしていたが、今は違う。
カップをカウンターに戻すのではなく、もう一杯頼めば良い。
アンナが起きてから、改めて話をすれば良い。
(未来に余裕を持つなんて、思ってもみなかった…)
長く生きられる者を羨むのではなく、自分が後から思い出して『よかった』と思えることをすればいい。きっとそれが、悔いなく生きると言うことだ。
***
――後日。
「…えーと、ごめん、名前なんだっけ?」
「…キャロラ…キャロルと申します…」
「アハハ、ごめん、カレン達に聞いたらパーティーに参加するって話アタシ聞いたらしいんだけど、全然覚えてないや! ごめんごめん!」
「…大丈夫です…これからよろしくお願いします…」
「こちらこそー! アタシもがんばるからな!」
「…アンナの奴、泥酔してる時何故か仕事関連のことは覚えてるんだが、人付き合いのことはすっぽり抜け落ちるんだよな…。キャロルに言っとくべきだったぜ」
「それもそうだったね…まあ、これからみんなで仲良くなればいいじゃない」
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