荒魂への巫女舞

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荒魂への巫女舞

 学校の屋上には、開けた場所に広がる景色があった。

 夕焼けが空を染め、オレンジ色や紅色の光が雲を優しく照らしていた。

 遠くには山々が連なり、その間に広がる田園風景が穏やかな雰囲気を醸し出し、田舎ならではの景色を作り上げていた。

 風はそよそよと吹いており、風が運ぶ匂いは、新鮮な大地や草木の香りが混じり合い、緑の匂いを運んで来る。

 そこに、セーラーを着た二人の少女がいた。

 一人は閉じた扇子を手に舞いを魅せる。

 長い黒髪が美しい少女。

 背が高く、スラリとした体型をしていた。

 彼女のロングヘアには、ふんわりとしたウェーブがかかっており、まるで黒いシルクのような光沢を放っているように見えた。その髪型が彼女の凛とした雰囲気を一層引き立てている。

 そして、切れ長の目をしており、まつげは長く奥には吸い込まれそうな黒い瞳が輝いていた。

 目元に影を落としており、どこか憂いを帯びた表情をしているように見える。

 健康的な肌と透明感ある白い肌がコントラストを成していて、より美しさを引き立たせていた。

 名前をひいらぎ小夜子さよこといった。

 そして、小夜子を見つめる少女がいた。

 髪はやや長めで、滑らかな栗毛をアップにまとめる。

 まだ幼さの残る顔立ちだが清涼感があり、明るく大きな瞳が輝き、その瞳は、内に秘めた情熱と優しさを映し出している。

 彼女の笑顔は穏やかで、常に周りを温かく包み込むような魅力を持っていた。

 名前を小日向こひなた彩華あやかといった。

 ゆっくりとしたリズムで始まる舞は、小夜子の左手の動きから始まった。

 左手は上へと上がり、大きく円を描くように広がり、それからゆっくりと下へと降りていく。

 次に、扇子を持った右手を静かに胸の前へと運び、扇子を開く。扇子は弧を描きながら外側を向き、霊気が残像となって残されていく。

 小夜子は顔を少し上げ、瞳を閉じながら呼吸をする。

 そして再び目が開くと、流れるように動く。

 その優雅な動きは、徐々に加速していき、やがて彼女は水鳥のように舞う。彼女を包む大気が風となり、髪が揺れては流れる。

 その姿は美しくも力強く、表情にも強い意志を感じさせた。

 風が撫でるようにそよぎ、それに乗って小夜子の髪がふわりと浮き上がる。

 その舞いは、まるで天に昇っていくかのように力強くも花のように、どこか儚く見えた。

 そして、舞は終わりを迎えた。

 小夜子は最後まで凛とした表情を崩すことなく舞い終えたのだ。

「小夜ちゃん素敵」

 彩華は瞳を輝かせながら拍手を送った。その顔は自分のように、とても誇らしく、胸を張っているようにも見える。

「子供の頃から社交ダンスをしていただけに、巫女舞も上手ね」

 彩華は褒め称えた。

 小夜子の家は、この地域にある神社を務める家系であった。彼女は、巫女として幼い頃から神社で修業をし、神事の際は巫女舞を舞っていた。


【巫女舞】

 巫女によって舞われる神楽の舞の一つ。

 巫女神楽みこかぐら八乙女舞やおとめまいとも。

 古代日本において、祭祀を司る巫女自身の上に神が舞い降りるという神がかりの儀式のために行われた舞がもととなり、それが様式化して祈祷や奉納の舞となった。

 今では職業として、神社で働いているイメージが強い巫女だが、その昔、巫女はシャーマンの能力を持っていた。元々はこの能力を行使するための手段として舞が使われた。

 憑依巫女による神との交信の際に行われる儀式のひとつだった。神に舞を捧げ、楽しんでもらうことで心を和ませ、降りてきてもらえやすくするための儀式。

 明治時代以降は憑依という神がかりの色はなくなり、神道での神事の際に神への感謝の気持ちを込め、奉納されるようになる。この頃から芸能色も強くなり、より華やかな舞も新しく創作され、多くの神社で祭礼の際に行われるようになった。

 時代が変わり、様々に変化している巫女舞だが、その役割は「神に捧げる舞」ということに変わりはない。


 巫女舞は、神社に祀られている神を敬い、神々に感謝を示すために舞いを捧げる。

 小夜子の母親は巫女舞の名手であり、彼女の母親から娘へ受け継がれた伝統だ。

「ふふ。ありがとう。でも、彩華だって私と同じくらい習い事が上手でしょ。一緒にダンスの披露をしたじゃない」

 彩華は小さく首を振る。それに合わせて、長い髪も静かに揺れた。

 少し照れ臭そうに言うのだった。

 彩華は元々恥ずかしがり屋で大人しげな少女だ。

 しかし、小夜子と友達になり、彼女と付き合うようになってから、積極的な性格へと変わっていった。

 小夜子が人を惹きつける魅力を持っているのに対し、彩華は周りを明るくする力を持っていた。

 二人の性格は静と動というように対照的であるが、お互いが相手の魅力を引き立て合っていた。

「あれは小夜ちゃんと一緒だからできたんだよ。それに、小夜ちゃんみたいに舞いは上手くないし……」

 彩華は自分の髪に触れながら、自信が無さげにした。彼女が、そう口にするには訳があった。

 それは、小夜子と共に巫女舞をする誘いだ。

 以前、小夜子に誘われて二人でダンスパートナーとして社交ダンスを披露したことがあり、その際には素晴らしい舞いだったと周囲から賞賛を受けたのだ。

 それ故に、小夜子は彩華を交えて二人で神事に巫女舞を披露することを望んだ。

「自信を持って。彩華以上に、私のパートナーになれる人はいないわ」

 小夜子は彩華の手を取ると微笑み、小さくウインクをした。彼女の態度は、それほどに本心を表した発言だった。

 小夜子に手を握られ彩華は恥ずかしくなり、顔を紅潮させるのだった。

「うん……。私がんばる」

 そして、小夜子が触れる自分の両手を胸の前に持ってくると、彩華は小さくはにかんだ。


 ◆


 神社の境内は、静謐で神聖な雰囲気に包まれていた。

 鳥のさえずりや風のそよぎが、心地よい自然の音楽を奏で、そびえる木々からは、木の葉の揺れる音が静かに聞こえてくる。

 そんな中、白い小袖に緋袴の巫女装束を着た彩華と小夜子が立っていた。

「巫女装束って可愛い」

 彩華は巫女装束に少し興奮気味だ。

「きれいよ。彩華」

 小夜子は、そんな親友の姿に思わずクスリと笑ってしまった。

「小夜ちゃんだって、女神様みたいで、とってもきれいだよ」

 彩華は、小夜子の姿を誉めた。

 小夜子は着慣れている為か巫女装束がよく似合っており、歩く度に舞う長い黒髪が美しい印象を放つ。

 そして、女性らしい曲線美が強調される姿が美しくもあった。

 対して彩華は、その姿は可憐だ。

 その明るく元気な性格が、白と赤という日本における伝統的な祝い事で使われる色の衣装を着ていることでより一層引き出され、活発さの中に可愛らしさも感じられた。

 そんな美貌の二人が寄り添って立つ様は神秘的なオーラを放っているようだった。

 二人とも整った容姿を持ちながらも、花のような自然さと淡さがまた愛おしいのかもしれない。

「じゃあ。巫女舞の練習をしましょうか?」

 着物姿の女性が、二人に呼びかけた。

 深い黒髪を美しくまとめシニヨンにし、髪の結び目にはかんざしを挿し、髪をきれいに際立たせていた。

 和服の着こなしも彼女の美しさと気品を持ち、シックな濃いグレーの色合いながらも彼女の雰囲気と調和している。

 微笑むと、周囲にほんのりと明るい光が広がるような印象を与えた。

 その微笑みは小夜子に似ており、彼女の家族であることが、すぐに連想された。

 名前をひいらぎ由美子ゆみこといった。

 一見すると小夜子と少し年の離れた姉のように見えるが、由美子は小夜子の母親であった。

 これから二人は巫女舞をするのだ。

 彩華は小夜子に誘われてから、巫女舞の練習は何回かやってきたが、二人が巫女装束を着ての巫女舞はまだだった。

 そのため、今日は本番前に予行演習として、二人で舞うことにしたのだ。

 もちろん、二人は練習では何度も舞っていた。

 本番と同じ場所で巫女装束を着て行うのは初めてであった。不安と緊張感が二人の中に渦巻き始める。

 そんな二人を優しく見守る由美子だったが、その表情には少し心配もみられない。二人の努力と技量に安心しているものが見受けられた。

 二人は静かにお辞儀をする。

 小夜子は鈴のついた舞扇を広げる。

 小夜子の神社で使う、鈴扇子だ。

 この鈴扇子は、一般的な扇子よりも比較的大きなものであり、紙もしっかりしている為、力強く振うことができる。

 彩華も倣うように鈴扇子を広げた。

 ゆっくりと歩き始める。

 二人の動きに、風がそよぎ、髪になびいた。

 小夜子は静かに舞い始める。

 その動きは美しく上品な振る舞いであったが、神聖かつ神秘的な雰囲気が感じられ、引き込まれるように。

(小夜ちゃんが私を選んでくれたんだ。期待に応えないと……)

 彩華にとって本番に近い形での舞であるだけに、心の奥底では明らかに緊張が表れていた。そんな彼女だからこそ気力を振り絞り懸命に集中しょうとした。

 そんな彩華の姿を、小夜子は暖かく見守る。

 彩華は、巫女としての才能も持っているし、努力家であるから必ず成功できるだろうと思っていた。

(でも……)

 小夜子は何か嫌な胸騒ぎを感じるような気がしていた。まるで大きな壁が立ちふさがり圧迫感が押し寄せる……。

 ふと風向きが変わった気がした。

 刹那――。

「きゃっ!」

 小夜子の声と共に手に持つ鈴扇子に衝撃が走った。


  バシッ!


 という音と共に、鈴扇子が弾け飛び小夜子の手から離れ、地面に落ちる。

 小夜子は、その場にしゃがみ込んだ。

 手を前に出したような格好で疼痛を覚えた表情をしているところを見ると、手そのものに何か衝撃を受けたのかも知れないが、周囲には、それらしい物はなかった。

「小夜ちゃん!」

 彩華は何が起こったのか分からない様子で、慌てて駆け寄ると、しゃがみ込んだ小夜子の背中に手を当てた。

「大丈夫よ、彩華……」

 小夜子は落ち着いた口調で答えた。心配する彩華を気遣うが、小夜子の手から血が滴り落ちる。

「血が」

 彩華は、小夜子の手を見た。

 よく見ると、手の甲に傷ができ血が滲んでいたのだ。

 神社の周囲にあるケヤキが枝葉をざわめき、風が吹き荒れる。

 森に棲む鳥が全て空へと放り出されるように逃げ惑う。

 雲の影が神社を覆い始め薄暗いものが境内に漂い始めていた。

 先程まで空は晴れていたハズなのに、急に天気が崩れ始めた。その雲は風に乗って渦を巻くように動いていく。

 やがて、その雲の動きが止まったかと思うと、辺りに雷鳴が轟き出したのだった。

「小夜子。彩華さん、社務所に戻りましょ」

 由美子の呼びかけに、彩華は小夜子に手を貸すと3人は社務所へ入った。

 彩華は不穏な面持ちで、外を眺めていた。

 風が強まり、雷雲が空を覆い隠す。

 由美子は、小夜子の手当を終える。

 自分の白い手に包帯が巻かれ、小夜子はそれを見つめていた。

 手の甲に巻かれた包帯が痛々しい。

「小夜ちゃん。何があったの?」

 彩華が訊く。

 すると、由美子が代わりに答えるように娘に言った。

「小夜子。あの時、あなたの身体に何かが降りて来たのね……」

 小夜子は、小さく頷いた。

 彩華は、その言葉の意味が分からなかった。

「……降りて来た。って、何が小夜ちゃんを襲ったんです?」

 彩華の疑問に由美子が答えてくれた。

「本来巫女舞は、巫女自身の身に神が舞い降ろす為の舞いなの。神を降ろす為の、特殊な力」

 彩華は、何となくその意味が分かった。

 そして、小夜子もそれが何なのか気付いた様子だった。

「小夜ちゃんの体に神様が降りて来た……。でも、小夜ちゃんを神様が傷つけるなんて……」

 すると小夜子が言った。

「お母さん。私が、感じたのは猛々しいもの……。荒々しい力を感じたわ。恐ろしい何かが降りて来たのかも知れない」

 彩華は、言葉を失った様に呆然とした表情になったが、由美子は別の事を言った。

 それはとても不吉な言葉だった。

荒魂あらみたまね」

 由美子は言った。


荒魂あらみたま

 神道における概念。

 神様と聞くと優しく温和なイメージがあるが、神には善神である表の顔とは別の裏の顔も存在する。人々の平穏な生活を壊し、命を脅かし不幸を呼ぶ悪神としての側面がある。

 日本の神には、善と悪の二面性の魂がある。

 荒魂あらみたま和魂にぎみたまだ。

 荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂。

 勇猛果断、義侠強忍等に関する妙用とされる一方、崇神天皇の御代には大物主神おおものぬしのかみの荒魂が災いを引き起こし、疫病によって多数の死者を出している。

 これに対し、和魂は神の優しく平和的な側面であり、仁愛、謙遜等の妙用とされている。

 荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れであり、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮、豊受大神宮の多賀宮といったように、別に祀られていたりすることもある。

 人々は荒魂と和魂を支えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を執り行ってきた。この神の御魂の二面性が、神道の信仰の源となっている。


荒魂あらみたまって、神様が祟ってきたんですか?」

 彩華は不安な表情を浮かべ、由美子に尋ねた。

 小夜子も口を結んでしまう。

「いいえ。これは神様じゃなく、この街の祖先の霊が荒魂として降りてきたみたいね」

 由美子は、巫女舞の舞い手である小夜子に降りかかった災いが何であるか分かった。

ひびき様よ」

 由美子は告げた。

 響というのは、この地域に居た、昔話に登場する名士だ。

 大規模な雨と河川の氾濫による洪水に見舞われました際、その指導力と勇気を示した。

 彼は初期から豪雨の被害状況を正確に判断し、安全な場所への避難経路を確立。冷静な判断力と決断力が、地域の人々の命を救ったという。

 だが、地域の状況を鑑み直訴を行ったことで処罰される。

 地域の人々は、彼の霊を弔う慰霊碑を作った。

「今、街では駅周辺の再開発をしているのは知っていると思うけど、その工事の際に響様の慰霊碑を壊していたのよ」

 由美子は申し訳なさそうに言った。

「酷い……」

 彩華は絶句し、由美子は続ける。

「そして、一霊四魂いちれいしこんと言って。人の中にも荒魂は存在するの」


一霊四魂いちれいしこん

 人の霊魂は天と繋がる一霊・直霊なおひと4つの魂から成り立つ、という幕末の神道家の本田親徳によって成立した本田霊学の特殊な霊魂観。

 四つの魂、すなわち荒魂あらみたま和魂にぎみたま幸魂さきみたま奇魂くしみたまであり、それら四つの働きを、直霊なおひがフィードバックし、良心のような働きをする。

 

 由美子は、外の様子を見た。

 まるで台風でも近づいているかのように、風が強くなっている。

 天気予報では台風の接近はあると聞いていたが、まだ太平洋上で日本に上陸するのは3日後と聞いている。

「人が神の意に反した行いをして機嫌を損なうと、裏の顔である荒魂となって現れる。これは、台風に荒魂の力加わり威力を加速させてしまっているわね……。他の地域とは別に、この街には類を見ない災害が起きる可能性があるわ」

 由美子は唇を噛むと動き始める。

「お母さん、どこに行くの?」

 小夜子が訊く。

「慰霊碑よ。修復をして鎮める儀式を行ったけれど、功を奏していないことが分かった以上、何とかしないと」

「私も行くわ」

 小夜子は反応するが、由美子はなだめる。

「危険だから小夜子は、ここに居て。彩華さん、小夜子をよろしく」

 由美子は、そう言って出かけて行った。

 彩華と小夜子の二人は、社務所で荒れ狂うような風の音を聞いていた。

 すると小夜子が、ナッツを小鉢に入れて持って来た。

「小腹が空いたでしょ。一緒に食べよ」

 小夜子が言うと、彩華は頷き、小鉢の中のナッツを口にした。

 香ばしい香りが広がり、軽く歯ごたえがあり、ほのかな甘みが口に広がる。まろやかで濃厚であり、適度な油分が調和した優雅な味わいがあった。

「おいしい」

 彩華の言葉に、小夜子は表情を緩める。

「お母さんの好物なの。ナッツにはアンチエイジング効果があるのよ。《若返りのビタミン》とも呼ばれるビタミンEが豊富に含まれてて、血行を促進したり、新陳代謝を活発にしたりして、肌のターンオーバーを正常に近づけてくれるんだから」

 小夜子の言葉に、彩華は由美子のことを思い出す。

「小夜ちゃんの、お母さんの若々しさの秘密は、このナッツのおかげかな?」

 彩華は、そう小夜子に訊き返す。

「かもね」

 すると小夜子は小さく笑う。

 彩華の表情が和らぐ。

 二人がしばらく談笑していると急に強風が吹きすさんだ。

 境内に風が走るような音が鳴り響き、社務所が揺れた。二人は思わず身を寄せ合い恐怖に耐える。

 そして再び雷鳴が大きく鳴り響く。

 小夜子は、窓から空を見上げて唖然とする。

「あれは……」

 空は黒い雲で覆われ、神社を囲む森に巨大な人影のようなものがあった。

 小夜子は、その影を見るなり顔色が真っ青になる。それは恐怖そのものを表しているようだった。

 彩華も、それに気づき、黒い影を見つめる。

「さ、小夜ちゃん。あれ何なの……」

 彩華は恐怖を覚え、小夜子の手を取る。

「荒魂よ。今、お母さんが慰霊碑の方に向かってるけど、巫女舞をしたことで本体は、ここにとどまり続けているのよ」

 小夜子は、今の事態を説明しつつ彩華を不安にさせないようにする。それから彼女は意を決したように鈴扇子を手にすると、外へ出ていこうとする。

「小夜ちゃんダメよ。外には荒魂がいるんだよ」

 彩華は、小夜子を引き留めるが彼女は冷静に言った。その言葉には落ち着きがあった。

「このままだと。街に災害が降り掛かって、沢山の人がケガをしたり死ぬかも知れない。私なら大丈夫だから、彩華はここにいて」

 小夜子は、そう言って社務所を出て行った。

 風と雷が凄まじい咆哮を上げていた。

 小夜子は、鈴扇子を手に、参道を歩いていく。

 風が暴れ狂い、木々や枝葉が悲鳴を上げるかのように荒れ狂っていた。

 小夜子の黒髪が乱れ、緋袴やたもとも激しくはためく。

 参道沿いを歩いていくと、突然目の前に巨大な黒い影が立ちふさがった。

 荒魂だ。

 身の丈10mはあろうか。まるで巨人のようで、人のような上半身を剥き出しに、顔は鬼のようだった。

 その禍々しい姿は小夜子の恐怖心を駆り立てる。

 小夜子は、荒魂を前に袖口から祝詞の書かれた奉書紙を取り出す。

 そして、紙を広げると祝詞を唱える。

 祖霊拝詞という、先祖をお祀りする祖霊社の前で奏上する祝詞だ。

代代よよ先祖等みおやたち 御前みまへおろがまつりてつつうやまひもまをさく ひろあつ御恵みめぐみかたじけなまつたかたふと家訓みをしへのまにまに つつしわざはげみ……」

 小夜子は、必死に唱えるが、荒魂は怒り狂ったように叫び声を上げる。

 すると風が暴れ狂い、境内に転がっていた小枝や石が舞い上がった。

 それらは小夜子に襲い掛かる。

(お母さん)

 小夜子は覚悟して目を閉じた。

 その時だった――。

 目の前を何かが通り抜けたと思うと、激しい打撃音が鳴り響く。

 小夜子は、その音に驚いてしゃがみ込んでいたが、起こったことを確かめるために目を開ける。

 すると、そこには彩華の姿があり、小夜子をかばうように立ち塞がっている。

「大丈夫、小夜ちゃん?」

 彩華は小夜子に顔を向ける。顔こそ両手で覆っていたが、額から蛇の舌のように細く血が滴り落ちていた。

「彩華! どうして」

 小夜子は、叫んだ。彼女は、小夜子を庇い荒魂の攻撃を正面から受けたのだ。

彩華は、額に滴る血を拭うと笑みを返す。

「忘れたの。私達、ケヤキキョウダイだよ。お姉ちゃんが危ない時は、妹が守るのが私の使命なんだから」

 彩華は、そう言うと小夜子に手を伸ばす。

二人は血よりも深い姉妹・ケヤキキョウダイなのだ。


【ケヤキキョウダイ(契約姉妹)】(『ダンス・オブ・ハート 誓いの姉妹』より)

 山形県の西部、鶴岡市大岩川地区には、12歳、13歳になった女児が、くじ引きによって義姉妹の組み合わせを決め、生涯にわたって助け合うことを約する。

 これを「ケヤキキョウダイ」と呼び、義姉妹ながらも血の繋がった兄弟姉妹よりも尊重される。


「彩華……」

 小夜子は、彩華の手を借りて立ち上がると、再び荒魂に向き直る。

 境内の中で風が唸りを上げ、風に乗って石や小枝が再び二人に襲い掛かるが、小夜子は鈴扇子を広げ、大きく振る。

 鈴扇子は、風を受け、激しい音を立てる。その音は嵐の音をも凌ぐほどだった。

 そして小夜子の前に大きな竜巻が現れ、小枝や石の群れを弾き飛ばしたのだ。

 神道には修祓しゅばつという穢れを払う儀があり、方法として古来から火水風がある。

 小夜子が得意としている風術だ。


【風】

 神道では、風は神の息吹であり強い風によって悪しきものを吹き飛ばす。いわゆる神風という言葉は、ここからきている。

 神道では紙垂しでをつけた大麻おおぬさを振り、御神風を巻き起こし悪しきものを吹き飛ばす意味がある。


「彩華、行くわよ」

 小夜子が声をかける。

「うん。お姉ちゃん」

 彩華は、その掛け合い合図に二人は駆け出し、荒魂である黒い影に接近した。

 荒魂は巨大な腕を伸ばし、小夜子を掴み取ろうとするが彩華は扇子の鈴を鳴らし、鈴払いを行う。

はらたまへ きよたまへ……」

 略拝詞を彩華は唱える。


【鈴】

 神道では、鈴をよく目にする。

 拝殿入口(向拝)に吊してある大鈴(坪鈴)を始め、巫女が舞いを奉納するときにもよく鈴を手にしている。

 また、お守りや破魔矢などにも小さな鈴がついている。

 古来より鈴には「邪なるものを祓う力」があると考えられてきた。鈴の音には、邪を払い、神聖な力を呼び寄せるとも言われている。


 彩華が鈴払いをすると、荒魂は周りから見えない鎖が何重にも括りつけられるように動きを封じ始める。

 そして、鈴扇子を持った小夜子が荒魂に近付いた。

 小夜子は、鈴扇子を大きく振ると風が起こり、荒魂の体を斬り裂くように激しく吹き荒れた。

 風は、荒魂の身体を斬り刻むと、黒い塊を撒き散らす。

 だが、荒魂は巨体であるが故に、その質量は莫大であり、その全てを刻むことはできない。

 荒魂の斬り裂かれた体から黒い血が吹き出すように流れ出た。それはまさに血と表現するに相応しく、見るものに不安や不快感を与えるものであった。

 荒魂は苦しみもがきながらも、黒い血に塗れた大きな右腕を小夜子に向けて振り下ろす。

 小夜子は逃げることなく鈴扇子を閉じる。

 扇子を刀の柄のように握ると、右脚を踏み込みながら袈裟懸けに振り抜いた。

 すると、扇子の先端から生じた風が荒魂の腕を斬り裂き、脇腹が裂けて血飛沫が舞った。収束された風は、高圧エアーカッターのように鋭い切れ味を持つ。

 小夜子は、その手応えに手ごたえを感じる。

 荒魂は膝を付き、その場にうずくまる。

「彩華、巫女舞をするわよ。荒魂を鎮めるのよ!」

 小夜子は、彩華に指示を出す。

「分かった」

 その指示に彩華は頷くと、二人は荒魂の前に並び立つ。

 鈴扇子を広げ前へと突き出す。

 鈴の音が広がり微かに響き渡る。

 二人の巫女は静かに一歩踏み出す。

 その足元に広がる砂埃が、霊気で舞い上がった。

 彩華と小夜子は対顧する荒魂を見つめ、神聖な意志を込めて扇子を振り始める。

 二人の舞は息の合った動きであり、見る者を魅了するものだった。それは、和魂を持つ神の御前で奉納しているかのよう。

 扇子を水平に振ると、鈴の音を大きく鳴らす。

 心地よい鈴音が響き、扇子が風を巻き起こし、小夜子と彩華の周りに霊気が広がる。

 荒魂の姿が微かに揺らぐ。

 神聖な舞が荒魂の不浄な力に対抗していた。

 霊気は徐々に荒魂の周りに広がっていき、空気までもが清らかになっていくようだ。

 その時だった――。

 二人の巫女を取り巻くように不可思議な光が溢れ出す。

 その光はまるで荒魂を包み込むように広がっていく。

 小夜子は、自身の霊力と彩華の霊力が合わさり、更に神聖な力を強めていくのを感じていた。

 ケヤキキョウダイは霊的な力が同年代のものが共有することで、その力が最大限に発揮されるとも考えられていた。

 二人の持つ霊力が合わさり、不可思議な光を放ちながら荒魂の霊体を包み込む。

 そして、光の渦は荒魂を包み込み、霧が晴れて行くように消え去っていった。

 彩華は疲労感から、その場に座り込む。

「彩華!」

 小夜子は、そんな彼女に駆け寄ると介抱する。

 彩華は、咳き込みながらも微笑んで見せた。

「やったね」

 彩華は疲れた表情ながら、小夜子に向かって微笑む。

 小夜子は彩華を抱きしめた。

 吹き荒れていた境内は落ち着きを取り戻し、風も穏やかになっていった。

 雲の切れ間から、天国に続く梯子はしごのように光が降り注ぎ、神社を明るく照らし出す。

 荒魂は、風と共に去り、まるで何事もなかったかのように穏やかな時間が流れているようだった。

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