第3話 二人の影
やり残したこと。そう聞かれて浮かぶことといえば、クリアしてないゲーム。滞納していた学校の課題。食べてみたかった新フレーバーのアイス。
五億当選とかスーパーパワーとか、叶えられないような願望に近しいものを除外すれば、そんな些細なことしか残らなかった。
ぽつぽつと口に出しながら上げていく候補を、少女は小さく頷きながら聞いていた。
「...これくらいしか...」
「もうちょっと大きい未練とか、ない?自分が心から強く決意して、達成したかったひとつの目的だとか。」
強く決意して、達成したかったこと。最近ではたった一つだけあった。ずっと惰性で生きてきた俺が使命感のようなものを抱いて、わざわざ暑い中歩いてまで行きたかった場所。
「ここに...来ること。」
「「見つけて」って声が聞こえて、俺ッ、昔から霊感みたいなのがあって!」
「助けを求めてる気がして...!」
「じゃあ、君はその決意を最後に死んだんだね。なんで死んだかとか憶えてる?」
「いや、まったく....」
「...まあ、とにかく。君はこの屋敷に行くっていう未練を残して...」
「...ごめん。私のせいだね。」
少女は、また泣き出した。今度は確かな悲しみを湛えた表情をはっきりと浮かべて。
信じちゃいないけど、仮定する。俺は祭りが終わってからここに来るまでのどこかで死んでいて、幽霊になった状態でたどり着いた。
少女はその考えを補強していく形で、知っていることを話してくれる。
この屋敷は心霊スポット。故に「幽霊」と呼ばれる存在が集まりやすい。
その中でも「地縛霊」だと自身を指して言う少女は十年以上もここにいて、やってくる他の幽霊や霊感を持つ人間と交流したことがあるのだという。
俺もその一人だった。だが、タイミングが悪く、下手に語りかけたせいで惰性で生きてきた俺の最大の目的を「この屋敷に来ること」で上書きしてしまい、俺は偶然死んだ。
少女は、その事に責任を感じている。幽霊は生前の未練を達成したとて必ず「成仏」できるわけじゃない。それが事故なんかで死んだ者なら尚更。
いつしかもっと続くはずだった「生」に執着するようになり、手に入ることのない願望を追い求めずっとこの世を幽霊としてさまよい続けるのだという。
俺を呼び寄せたのも無意識。所謂ところの「ポルターガイスト」であり、大概の相手は無視してくれるから大丈夫だと思っていたらしい。
「君も長く幽霊やればわかるよ。」
「でも、幽霊になったからって必ずもう死んでるとは限らないんだ。肉体があれば元に戻れるかも。」
「私みたいにならないように、手がかりが見つかるまで。それまでそばにいるから。」
「ああ、そう...」
「...正直、ちょっと嬉しい。私の未練、誰かに見つけてもらうことだったから。」
少女は、おもむろに首に巻いていたマフラーを引っ張り取り払った。そこには、縄のようなもので絞めたように黒々とした痛々しい痕が残っている。
生前、孤独感に苛まれた彼女はここで自殺をした。ロープで首を吊って。死体になってまで憐れんで欲しかったのかな、と儚げに微笑むその姿に、俺は自分がどれだけ仕方のない人間かを知らされた。
もっと必死に生きればよかった。可能性を求めれば人がいつ死ぬかなんて数字で顕せる。そして誰もがそれを、知っても見過ごす。
死んだ。死んだんだ、俺は。なんの前触れもなく命を含む全てを奪われた。透けてしまっている両手に視線を落とす度に思い知る。
どうせできることもない。彼女の言う通り、この場所でひたすら待ち続けるしかない。
そう考えると、少し楽になった。自分で作り出した鎖に苛まれる日々に飽き飽きしていたところだった、こんな経験も悪くないか。
「えっと...名前、聞いてもいいかな。」
「
「綺麗だね。名前。」
余裕が生まれたのか、何もかもがどうでもよくなったのか、俺はなにも考えずただ感性の赴くままに彼女を褒める言葉を贈った。
それに少しだけ笑って、少しだけ頬を赤くして。ありがとうと返す。
率直でしかないやり取りがあまりに新鮮で、笑顔があまりに可愛らしくて。俺は、このまま、ずっと幽霊でいいや。なんて思った。
俺と夏目はそのままバルコニーに上がって、身の上話を交わした。重ねるごとに大きくなる親近感。彼女は俺に似ていた。
定義が曖昧になり、上っ面だけで出来ているんじゃないかと疑う友達関係。勝手に膨張する孤独感に押し潰されそうになり、トドメは陰湿ないじめ。
誰にも打ち明けてこなかったんだろう、後ろめたい話をしているというのに顔は明るくて。まるで毒が抜けていくように。
すごいな。幽霊になると考えが変わる。言い知れないなにかがそうさせるのか、俺の心が思ったよりもおおらかだったのか。
今は、夏目と話す時間だけが楽しい。話題が世間話に移り変わっても、日が落ちてきても、なにも飲まず食わずでも、一睡たりともしなくても、か細く可憐な声だけが俺を満たした。
時間感覚もとうに狂っている。それを確かめる術はない。カレンダーも時計も止まったまま埃を被ってる。
何日が経ったかもわからない。別のなにかに充てていたはずの時間でさえ、ただここに、夏目の隣に座っているだけでいい。
一方的なものしか知らなかった、恋をしている。俺は今まさに。
そして、ある夜。いつものように他愛のない話をしていた時、ガヤガヤという男女数名の話す声が耳に飛び込んできた。
見ると、いくつかビニール袋を手に提げている。中庭へ入り込んだその集団は、取り出したものを地面に並べていく。
紐がついている、派手な模様が描かれた筒。花火だった。そういえばあの夏祭りでは花火やってなかったな。
導火線に火が着き、走る火花が根元に達した瞬間、夜空に光が灯った。
色とりどり。乾いた轟音を立てながら次々と打ち上がるささやかな大輪。それを夏目と二人で眺める。
死んでるだなんて信じられない。瞳に反射する花火。バルコニーの柵に添えた手に、俺は自分の手を重ねた。
幽霊同士なら触れ合える。これも夏目に教えてもらった知識だ。君は、俺の世界をすっかり塗り替えてくれた。
これも惰性。すべて惰性。ただ置かれた環境に適応して、楽しみ方を探した結果行き着いたのがこの永遠に等しいランデブー。
最初はこのままでいいのだろうかと思った。でももうどうでもいい。しかし、夏目は手を引き抜いて俺をまっすぐ見据えて告げる。
「小椋君。本分、忘れないでね。」
「なに?それ。」
「小椋君がまだ死んでなかったら、元の生活に戻れるかもしれないから。」
「私はそばにいてあげるだけ。」
「いいよ。俺、どうせ死んでるし。」
その瞬間、頬に痛みが走る。夏目が平手で打ったとわかるまで、少し時間がかかった。
幽霊同士なら触れ合える。ぼやっと花火を眺めていた俺は、水の中から引き上げられたような感覚になった。
「馬鹿なこと言わないで...!私は小椋君のことが誰よりも大好き。」
「でも、幽霊になってまでずっと一緒にいたいだなんて思わないよ。」
頬を打った音を聞かれたのか、そもそも鳴ったのか。花火に興じていた集団はバルコニーの方を見て一様に青ざめた顔をしている。
そして、そちらに視線を送った瞬間、手に持っていたものを投げ出し一目散に駆け出していってしまった。
誰かに姿を見られた事実よりも俺は、今のリアクションが生きた人間が目にする「幽霊」に対するそれであることが衝撃だった。
「ほら。どうせ好きになるなら、生きてる私を好きになって。幽霊のカップルなんて怖がられるだけだよ。」
「それが無理なら、小椋君だけでも生き返って私を迎えに来て。」
ずっと微睡みの中にいた。事実に裏付けられた絶望が俺の思考を固めて、ただ目の前の拠り所に寄りかかるだけのダメ
でも、想いは本物だ。日々を過ごして俺は彼女を愛するようになった。そのことだけは何があっても揺るがない。
俺が身体を取り戻す。可能性が少しでもあるなら、それが彼女の望みなら。
「...わかったよ。」
「それまで、そばにいてくれる?」
「もちろん。」
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