第4話 やっぱりこの顔かぁ

 川に沿って歩き始めてから二日が経過した。

 一メートル程度だった川幅はかなり広がり、向こう岸まで渡るのは橋が無いと難しそうだ。

「そろそろ人の気配とか無いかなぁ」

 文明は水近くを拠点に発展していくものだと、授業で習った記憶がある。ここがゲームの中でも異世界でも、生物に水が欠かせないことは同じはず。

 その他は完全に無計画だけど、マップが確認出来ないので仕方がない。

 サバイバルに関してはなんの知識も無いようだけど、先輩のお陰で存外快適に過ごせている。

 足場の悪いルートの先導も、美味しい木の実を教えてくれるのも、進んでいる時も寝ている間も危険を教えてくれるのも、全て先輩だ。

「ねぇ、先輩。本当に寝なくて大丈夫?夜起きてくれてるんだし、今の内に寝たら良いよ。落ちないようにちゃんと抱えるよ?」

「ぴー」

 自分が寝ている間も夜通し見張りをしてくれているが、昼間も一向に休もうとしない。モンスターといえど、かなり無理をしているんじゃないだろうか……。この会話も何度目か分からないが、決まって首を横に振られる。

 道中、クエスト時と同じモンスターと遭遇しかけたが、先輩の察知が早かったため避けることが出来た。初回はやはり強制イベントだったのだろう。今後のためにも経験は積んでおいたほうが良いのだろうが、正直まだ思い出すだけで体が強ばる。

 巨大すぎるモンスターが突如目の前に現れた時は、もう駄目だと思ったが、あれは一体何だったのか……。

 


 あの後、いつの間にか眠りについていたようで、最初に目覚めた時のように朝日と先輩の鼻息で起こされた。体は戦闘中の傷や筋肉痛であちこち痛かったが、不思議と気分は落ち着いていた。

「おはよう、先輩」

「ぴぃ!」

 よほど心配をかけたらしく、嬉しそうに飛び跳ねてくれた。

 このままここにいても何も変わらないし、とにかく動こう。

「次のクエストは【街へ行こう】だったっけ。場所とか知ってる?」

 案内役も兼ねているのかと訪ねてみたが、首を傾げるだけなのでそうではないらしい。

「マイページにマップとかなかったかな」

 昨日はタップできないところが多くてあまり覚えていないが、もしかしたら見られるようになっているかもしれない。

「……どうやって出すんだ、あれ?」

 勝手に出ては気がつくと消えているあの画面。自分の意志で出せないはずは無いと思うが、念じるだけでは出てこないらしい。

 昨日はダメだったけど、技じゃないならいけるかもしれない。ゆっくり立ち上がり深呼吸をする。

「メニュー!」

「……ぴぃ」

 力強い声と裏腹に何も出てこず静まり返る広場。気を使った先輩が一声鳴いてくれただけだった。

「ど、どうにかして出さないと…………」

 行く宛もなく彷徨うのは勘弁願いたい。ゲームならいざしらず、こんなリアルな場所で遭難は洒落にならない。

 痛い奴になるのは承知の上で、あらゆるパターンを試した。ホームやマップ、クエストなどと単語を変えてみたり、後ろに「オープン」と付けてみたり。キリッとした顔で言ってみたり、あらゆるポーズを付けてみたり…………。

 結果は惨敗である。先輩以外は見ていないとはいえ、精神ダメージが大きい。もう厨ニになりきれる年頃ではないのだ。羞恥で地面にうずくまる自分を、先輩がふすふすと慰めてくれる。

「とりあえず、進もうか」

「ぴっ」

「生き抜くにも、人を探すにも川を見つけなきゃだと思う」

 立ち上がり砂をはらい、改めて伸びをする。

「行こうか。目的地はわからないと思うけど、何かと頼りにしてます、先輩」

「ぴぴっ!」

 モンスターとの戦闘では、先輩がいなかったら自分が死体になっているところだった。頼もしい相棒を肩に乗せ、森の中へと進んでいった。


 一時間ほど、といってもあくまで体感だけど、森を歩いているといくつかの発見があった。

 まず角についてだけど、先輩以外の生き物も見かけ範囲では全て角がついていた。鳥、うさぎ、リス、鹿。いずれも馴染みの深い生き物のはずなのに、取ってつけたような角がなんだか気になる。

 鹿に至っては、上の方に生えている通常の角に加えて、サイドにも二本角が生えているため計4本となる。先輩もホーンボアもそうだけど、モンスターとして作ったと言うよりモンスターということにした、みたいな。

「あのオープニング映像作った奴ならこんなもんなのかな」

 白い空間で見せられたストーリーを思い出すと、手抜きな部分があるのはまぁ納得出来る気もする。

 恐る恐る近づいてみたけど、ポップアップには【友好種】と表示され襲う気配もなかった。

 次は、虫について。

「やっぱりいないね」

 気温は春から初夏くらい。森といえば虫、といっても過言でないイメージがあるが、いない。

 蚊やハエなどの生き物にまとわりつくタイプ、蟻やダンゴムシなどの地面や木などを這うタイプ、アブラムシなどの草に居着くタイプ。どれかいるだろうと土を掘っても見たが、冗談抜きで見当たらない。

 移動する身としては快適でありがたい話だが、それを上回る不気味さに肌が粟立つ。

 現実を突きつけるような感触と、作り物を疑うような欠落。一体、ここはどこで、自分は何者で、どうしてこんなことになっているのか。

魔王でも倒せば答えがあるのだろうか。

 

 それは突然現れた。まさしく、【突然】だった。

「うぉ」

 前を向いて歩いていたのに顔面から何かにぶつかった。岩や木の様な硬さは感じず、鼻が少しダメージを受けた程度ではあるが、全く予期せぬ衝撃によろけてしまった。

「え……」

 前を向き直して視界に映ったのは毛むくじゃらの壁。

 大きな毛はゆっくりと上下に揺れている。呼吸をしているように。

 それが生き物である可能性に気が付くと、瞬く間に全身の血の気が引く。

(やばい)

 視線だけを動かしながら、静かに一歩一歩下がっていく。

(でかすぎないか……)

 十歩ほど下がったところでようやく全体が視界に入った。自分がぶつかったのは足だったらしい。目線だけの移動では情報が得られないので、ぎこちなく頭を上げた。大層奇妙な生き物の姿が映る。

 目が、合う。

(像……いや、アリクイ?)

 像の様な長い鼻。だが大きくペラペラの耳は無く、体全体は毛で覆われている。尻尾は牛を思わせ、ぶつかった足はネコ科に近い。

 一部だけなら見覚えがあっても、キメラのように合体したそれは怪物そのものだ。次のクエストは街に向かえとしかなかったから、これは完全にイレギュラーだろうか。とてもチュートリアル中に遭遇する相手ではない。

 異様な見た目とは裏腹に優しい瞳で、不思議と恐怖は無かった。それでも、その巨体に圧倒され体が動かない。

 長い鼻の様なものが太陽に向かって伸びてくる。

(な、なに⁉)

 目をつむり息を飲むと、頬に触れられる感触がした。暖かく、硬いような柔らかいような、何とも言い難い感触。ビクつきながら目を開けると、横顔からすーっと遠ざかっていくのが見えた。

「え、なで……?」

 今、撫でられたのだろうか。困惑する自分を横目に、それはすぅっと姿を消した。

「はぁぁぁぁぁ」

 無意識に止めていた息を一気に吐き出し、同時に腰が抜けてしまった。襲われなくて良かった。

「先輩は……え、なんか平気そうだね」

「ぴっ」

 怯えているのかと思いきや、「どうした?」と言わんばかりに首をかしげていた。

「先輩には見えてなかったとか?」

「ぴー」

 首を横に振る。

「見えてて平気だったの⁉」

「ぴっ」

 いや、そんな当たり前に頷かれても。まぁでも、勝手に圧倒されていただけで、確かに怖い感じはしなかった。実際危害も加えられてない。

「うーん、むしろ、ぶつかってごめんなさいしないといけなかったかな」

 

 それからまた歩き出して、少ししてから先輩が肩から飛び降り走り出した。

「先輩⁉どこいくの?」

「ぴぴぴ!」

 付いて来てと言っているようで後を追いかけると、十分程で幅一メートルくらいの川にたどり着いた。

「川だ!先輩凄い!」

 あの位置からせせらぎの音が聞こえたんだろうか。兎は耳が良いイメージだけど、本当によく聞こえるんだな。

 涼し気な音とキラキラ水面を反射する光。水を見て、ようやっと喉の渇きを自覚した。

 ゴクッゴクッ

「あぁー美味しい……っ」

 安全かを考えるべきだったと少し反省したが、先輩も美味しそうに飲んでいるので問題ないことにした。

 とにかく喉から全身が潤っていくのが感じられる。考えてみれば、目を覚ましてから丸一日以上何も口にしていないのだ。記憶の中のどの水、いや飲み物よりも美味しくて、一口呑み込むごとに冷たさが食道を伝わっていくのが分かり、生きているんだと実感する。美味しすぎて涙が出てくる。

 

 ぐぅぅぅ


「あー、お腹も空いた!」

 気が抜けたのか、驚くほど大きな音がした。今は食べるものは無いが、水さえあればなんとかなる。

「はは……引くほど血まみれじゃん」

 流れの緩い場所で水面を覗くと、髪も顔も血まみれの姿が映る。

「先輩って……女の子かな?」

「ぴー」

「男の子だね!じゃぁちょっと失礼して」

 先輩に断りを入れて、着ているもの全てを脱ぐ。顔や手だけじゃない。着ているもの全てが血まみれだし、正直臭い。血の匂いと獣臭と泥の匂い。汗とかもあるだろうけど、それは感じないくらい他がきつい。水だけでは限界があるが、とにかく流したい。

「あー冷た」

 上流で浅いし流れが速いから、手ですくった水をかけてこすってを繰り返すだけでも、真夏の気温ではないから流石に冷たい。

 確認できる範囲で流し終えたら、次は真っ赤に染まった制服を洗った。衣類に染みこんだ血は落としきれないが、薄くはなるし臭いもましなはずだ。

 真っ裸でその辺の枝に服を干して、少し後悔。

「先輩、怖そうなのとか、人が来たら早めに教えて……」

 まっぱでモンスターから逃げるのもはもちろん、探している「人」にこの姿を見られるのは避けたいところ。まだ日も高いし、出来るだけ絞ったので早く乾いてくれ。

「ぴ……」

 ちょっと呆れているのが伝わるぞ。

「やっぱりこの顔かぁ」

 綺麗にした顔を改めて水面に映す。初日に画面で見たアバターのイラスト。服もそうだが、顔もそのまんまだった。

 容姿を確認しても、馴染みはあるが記憶は思い出せないらしい。

正確には、具体的なエピソードが全く出てこない。ぼんやりと、学校の様子とか人と話している場面とかは出てくるが、相手の顔も内容も全てにもやがかかっている。

「考えてもしょうがないし、今日はとりあえずここで野宿します」

「ぴ!」

 了解!と伝わってくる元気な返事。長い耳をピコピコ動かし、小さな頭を上下に振る。一挙一動が可愛くてたまらない。先輩は命の恩人で、心の支えで、癒しだ。

 その日は、どこからか先輩が持って来てくれた木の実を食べ、日が傾く頃には乾いていた服を着直し、大きめの石に背を預け、お腹に先輩の温もりを感じながら眠りに就いた。

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