第30話 #30


            ✳︎


 「晴樹の試合に?」

 「はい。今度あるんです。一緒に行きませんか? あ、私の友達の佳苗って子もいるんですけどそれでもいいならと思って誘ったんですけど」


じっと手元のメニューを見つめながら佐藤さんは5秒くらい固まった。彼はいつも、自分が発する言葉を私に届けてくれる前はこうして5秒ほど石化したみたいに固まる。その時間が愛嬌に思える私の頭は、少しずつ彼の生態を理解してきたように思えて嬉しくなるのは私だけが知っている。


 「佳苗って晴樹と連絡取ってる人ですよね?」

 「あ、そうそう。佐藤さんも知っているんですね」

 「はい。あいつからよく、その人のことを聞くので。いいですよ。一緒に行っても。逆に僕、おふたりの邪魔にならないですか?」

 「邪魔じゃないですよ。私は佐藤さんにいてほしいので」


彼はまた固まった。さっきより固まっている時間が長い。ん? 私、何か変なこと言ったか? 改めて言ったことを思い返すと私も彼みたいに固まってしまいそうになるぐらい恥ずかしいことを言ってしまった。私は心の中の状況が手で表現しているくらい慌てながら「いや、違うくて」と付け足した。


 「さ、3人で小早川さんの勇姿を見れたらいいじゃないですか! 佐藤さんも忙しい人だから、なかなか彼の試合を見に行くことも出来ないかもしれないし! って思って、せ、せっかくならと思って」


佐藤さんが小早川さんの試合を見に行っている頻度なんて知らないし、誤魔化せているようにも全く思えない。私は必死に言葉を探しながらさっきの発言を印象づけないように佐藤さんから意識を遠ざけようとした。すると、固まっていた佐藤さんが再び動き出した。


 「あいつ、身長大きいじゃないですか。まぁ身長以外もでかいけど。足とか」

 「は、はい。大きいですよね」

 「なのに名字、小早川ってギャップありません?」


いつもと変わらない何食わぬ顔で私の目を見つめながらそんなことを言うから、私はいつもと変わらない笑顔を彼に向けることができた。


 「確かに。大川とか大島とかって名字っぽいですよね」

 「大川はそのまますぎて逆にピンとこないな」

 「え? なんで? そう言うことじゃない?」

 「冗談ですよ。そうそう。確かに大って漢字が入りそう」


彼の自然な笑顔を、久しぶりに見た。なんか以前より柔らかい表情になった気がする。そんな彼を見ていたら、ついつられて私もまた笑顔になった。


 「はい。桜井さんと佳苗さんがいいなら僕もご一緒します」


改まってそう言って彼の目は普段より見開いていた。私はゆっくりと首を縦に振って彼の目を見つめた。


 「分かりました。予定入れちゃダメですよ」

 「入れません。仕事もその日は入れません」

 「あ、イレギュラーの何かがあったりしたら、もちろんそっちを優先してくださいね」

 「イレギュラーの何かか。多分、無いです」

 「今は分かんなくないですか?」

 「うん。あ、じゃあ今のところは無いです」

 「ふふ。分かりました。あ、佳苗ね。いい子なんで気軽に喋ってあげてください」

 「晴樹からは僕に似てるって聞いてます」

 「佐藤さんに? うーん、それはどうだろ?」


会話を終えた私たちは同じタイミングで手元にあるコーヒーに手を伸ばした。彼のコーヒーを啜る音が、こうして今私と喋っている時間を楽しんでくれているように聞こえて、私は勝手に嬉しくなった。それと同時に、こんなに美味しいコーヒーを私も作れるようになりたいと思った。


            ✳︎


 彼と約束をしてからの日々は驚くほど早く過ぎていき、気がつくと佳苗と佐藤さんと3人で試合を見に行く日を迎えた。改札を抜けて佳苗と一緒に歩いていると、待ち合わせ場所に指定した濃い青色が特徴的な硬い素材の時計台の下には佐藤さんが既に私たちを待っていた。予想通り、時間よりも早く来ていた彼に「すみません、お待たせしました」と言うと、「僕もついさっき来たところです」と言って相変わらずの無表情で私に頭を下げるあたり、いつもの佐藤さんだと思った。彼がゆっくりと顔を上げると、彼は佳苗と視線が合い、2人はじっと見つめ合って、ほぼ同じタイミングで頭を下げた。


 「はじめまして。佐藤です」

 「はじめまして。楠木です」

 「あはは。2人、今日は仕事で会ってるんですか? もっと柔らかくいきましょうよ」

 「最初の挨拶って大体こんな感じじゃない?」

 「それは僕も思います」

 「じゃあさ、私からの提案」


佳苗は急に手を挙げて、私と彼の視線を自分に向けた。


 「今から全員タメ語で喋ろう」

 「え?」

 「タメ語」

 「日菜と佐藤さんは敬語で話し合ってるんですよね? それがそもそも固いでしょ。柔らかくいくなら今日から友達同士で話すようなフランクな感じで話しましょうよ。って言ってる私も今敬語だけど」

 「ど、どうですか? 佐藤さんは」

 「僕は桜井さんがいいなら」

 「じゃ、じゃあそういうことで」

 「うん。分かった」


あまりにも自然に敬語じゃなくなった彼は、鼻の先を触りながら会場である体育館の方を見つめながらそっぽを向いた。絶対、私はそんなすぐに慣れることは出来ないだろうと、軽い絶望を抱いた。


 「てか、まだ2人は名字で呼び合ってるの?」

 「う、うん。だって佐藤さん年上だし」

 「違うよ」

 「え?」

 「桜井さん。楠木さんと同い年だよね? 晴樹から楠木さんの歳を聞いた。僕はその時、同い年なんだって思った」

 「え? え? じ、じゃあ小早川さんは」

 「晴樹は僕の1つ上。タメ語で話してるのは小学生の頃からチームが同じだったから。その流れで今もタメ語なんだ。ごめん、ややこしくて。だから、もちろんタメ語でいいし、さん付けじゃなくてもいいってのが本音」


丁寧に説明されても、全く頭が追いついてこない彼と小早川さんの関係性。私も聞かなかったけれど、どうしてこのタイミングなんだと疑問を抱くのは仕方ないと思う。


 「そ、その本音、もう少し早く言ってほしかったな」

 「ごめんごめん。僕も言うタイミング迷ってた。だから、今楠木さんがそう言ってくれて良かったかも」


ニヤニヤしながら佳苗が私の顔を見てくる。この表情は声に出されなくても言葉が頭の中に伝わってくる。「よかったじゃん」絶対そう言ってる。


 「じゃあいっそのこと、名前で呼び合ったら? 私と晴樹さんもそうしてるし」

 「えー? て、展開早すぎない?」

 「何言ってんの。知り合ってどれだけ経ってんだよ」

 「僕はどっちでもいいよ。日菜さんの方が文字数少ないから呼びやすそうだし」


飄々と話す彼には羨ましささえ感じるけれど、少し寂しい気持ちがあるのも正直なところではある。ただ、彼にはそれが伝わらないようにしながら、自分の気持ちを伝えようと決めた。


 「じゃあ、私も達月くんって呼ぶ……ます」

 「呼ぶますって。必死か、日菜」

 「いや、だって。展開の早さにキャパがついていかないんだよ」

 「日菜はその辺、まだまだ真面目だね。達月くん、日菜のこういうところにも多めに見てあげてね」

 「大丈夫だよ。みんながみんな違ってるから。日菜さんも無理しなくていいからね。前の方が良かったらそうするし」

 「い、いや。私はこっちで慣れたい……!」

 「うん。じゃあそうしよう。改めてよろしくね」

 「う、うん……! よろしく」

 「みんな違ってる……。そうだよね」


体育館に入る前から観客の数に少し驚いていたけれど、いざギャラリー席に行くと私は一層圧倒された。その客数に。その音に。その景色に。普段テレビで見る映像が今、私の目の前に広がっている。観客の私たちにも聞こえるぐらい大きな声でチームを鼓舞する選手たち。その選手たちを見守り、背中を押すように両手に持つ縦型の風船を叩く観客たち。爆弾が爆発したように響き渡るボールを叩く音が私の耳に届く。その全ての臨場感が私の気持ちを高揚させていく。


 「わぁ……。すごいね、実際の会場って」

 「ほんとだ……。なんか、別次元の世界に来たみたい」

 「2人ともバレーの試合を観に来たのは初めて?」

 「うん。私たち2人とも高校の頃までバレー部だったんだけど、こんなに大きくて綺麗な会場でするまで勝ち上がらなかったし、卒業してからもそれまでもプロの人たちの試合を観に来ることはなかったね」

 「そうそう、私も日菜も面倒くさがりだったから。テレビで観れるならそれでいいやって思う人たちなんだよね。達月くんはよく晴樹さんを観に来たりするの?」


佳苗の問いかけに反応するように達月くん(まだまだ呼び慣れない)は佳苗の顔をじっと見つめる。佳苗を見ている達月くんを見ていてると、私の体の内側がムズムズしてくるし、佳苗が達月くんって言っているのを聞いてもムズムズする。不思議な気持ちだけど複雑な気持ちだ。でも気まずい空気にはさせたくないから私は普段通りを振る舞っている。つもりだ。


 「よくは来ないかな。年に1回行くか行かないかぐらいかな。それこそ、優勝がかかった試合とか大事な試合は観に来いって晴樹が言ってチケットをくれてたから観に来たりはしてたかな。今日来たのは去年の11月ぶりだから8ヶ月ぶりとかかな」

 「そ、そっか。やっぱり仲、良いね。2人も」

 「どうだろうね。晴樹がいいやつなんだよ。あ、晴樹いるじゃん」

 「え? どこ? あ、ほんとだ! うわぁー、ユニフォーム似合ってるなぁ! やっぱり!」

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