井戸に沈む(二)
改めて「お茶」なんて言うから何か大層なことがあるのかと身構えていたけど、そういうことではないらしい。
私が寝起きしている部屋に、
今までにも何回かしているお茶なしの会話と変わらない。お茶と甘味のあるなし程度の差だろう。
甘味として皿に乗っているのは干し柿などの果物だ。
菓子の類でなくて助かる。果物なら私も普通に食べる。
ただ、お茶は、甘茶なんだろうな。甘茶だよね、きっと。
なんでお茶を甘くするんだろう。それとも天然の甘さかな。
苦いお茶が飲みたい。コーヒーでも紅茶でも烏龍茶でもいい。普通の、苦くて甘くないやつはないのだろうか。
向かい合わせに座ったトキヒト様と私の横に、茶碗を三つ、お盆に乗せた
茶碗のひとつがトキヒト様の前に置かれ、トキヒト様が私に尋ねる。
「茶と
なんとまさかの選択制。ありがたいです。
覚悟を決めて甘茶を飲もうと思ってたので。とてもありがたい。白湯サイコー。
「じゃあ白湯で」
「いただきます」
さっそく茶碗を取る。いつも通り、ちょうどよい温度に冷まされている。
熱くて持てない、ということが一度もない。大変ありがたい心遣いです。
とりあえずあたたかい茶碗が手に心地良い。
茶碗を両手で包み考える。
さて、何を話そうか。
これまではタイムスリップかどうかの探りを入れようとして玉砕したり、
帝ってどんなお仕事なのかとか、トキヒト様のこととか、わりと興味はあるんだけど、あまり個人的なことを聞いて変な誤解を招いてもな、と思うし。
聞いてはいけない事を聞いて、帰りに支障が出ても困る。
なるだけ関わらないようにいるべきなんだろうな、とは思うんだけど。
気のせいで思い上がりかもしれないけど、ここ数日トキヒト様の距離感がちょっとバグっている気がしている。妙に近いのだ。
二人でお出掛けした辺りから。
歳とか既婚かとか聞いたら変な感じになるかな。先日私が家族のことを聞かれた流れで聞けたら、自然だったんだけど。
「あなた様は」
同じく茶碗を手に取ったトキヒト様が、先に口を開いた。
「お茶はお好きではなかったのですね?」
あ、そうか。そうなっちゃうよね。あんな食い気味で
まあ言い出すタイミングがなかっただけで、別に隠すことでもない。
この際だから正直に話して甘茶は出さずにいてもらった方が、無駄にもならないし。毎回捨てるのも結構申し訳ない気持ちでいっぱいだったし。
「あー……、ええ、実は、甘いお茶がちょっと苦手で。すみません。ちょっと言い出しにくくて」
実際に苦手なのは甘味全般、というのは特に言う必要も無いだろう。ここでは砂糖を使ったお菓子の類いは出てこない。
果物とかは好きなので、その辺り人に説明するのがちょっと難しい。
ちなみに煮物やめんつゆなど料理が甘いのとかは全然平気。苦手なのはほぼスイーツ。
「そうでございましたか。道理で」
あ、でもその場合、
いや、もう苦手だって言っちゃったから手遅れだけど。
トキヒト様が穏やかに微笑んでいる。
まあでも、夢二の言葉を信じるとするなら、怪しいのはトキヒト様ということになってしまう。
でも、それはどうだろう。
確かにいつも穏やかに微笑んでいるのが怪しいと言えば怪しいのかもしれないけど。
どちらかと言うと、夢二の方が断然怪しい。あれ以来一度も姿を見ないし。
「気を遣わせてしまいましたね。今後は、その辺りも気にすることに致しましょう。どうぞ、お召し上がりください」
そういえば、トキヒト様は夢二を知っていたりするだろうか。聞いてみようかな。
そんなことを考えながら、トキヒト様に促され白湯を飲む。ちょうど喉が渇いていたのでごくごくと飲んだ。
「……?」
なんだろう。なんかちょっと、変な味、だった? 気がする。
気のせい?
なんとなく飲み干したあとの茶碗をじっと見てしまうが、もちろんそこに怪しいものはない。
「甘い茶が苦手とは、本当に、あなた様は予想外なことばかりです」
くすくすとトキヒト様が楽しそうに笑っている。
「重ね重ね申し訳ないです」
「いえ、私もよく確認をせずにおりましたから。果実などは召し上がっておられたので、甘いものはお好きだろうとばかり。せっかくの機会です。こうして膝を突き合わすも何かの縁でございましょう。あなた様のことをもっと教えてくださいませ。手始めに……そうですね、他に苦手なものはございますか?」
帝にそんなことを言っていただく様な大層な人間ではありません、という言葉が喉まで出かかったけど、助けて貰ったお礼のお茶の席で、そんなことを言うのは無粋かもしれない。
本日は何でも答えさせていただきますとも。
「苦手なもの……蛇、かな。鱗とかうねうねにょろにょろしてるのが無理です。あとホラー……怖いのが苦手です。暗い所とか、そこの井戸も、実はちょっと、怖くて」
答えながらも、内心で首を傾げる。なんか、違和感がある気がする。倦怠感?
あれ。なんか、ちょっと眩暈もする。私具合、悪かったっけ……?
にこにこと話を聞いているトキヒト様の姿が揺らいだ、気がした。
「この間も、怖い夢を。誰かが、夜中に……」
手から、茶碗が滑り落ちた。
なんだろう。力が入らない。
「ああ、起きておられましたか」
トキヒト様は、私の異常には気付いていないらしい。普通に笑って、そう言った。
起きていた、って、そっか。あれ、夢じゃ、なかったんだ。
いや、でも途中からは夢だ。夢で間違いない。
だとしたら、どこからが夢で、どこまでが現実だっただろう。
それに、じゃあ、あの花は。
「井戸に……」
ぐらぐらする。
「ええ、夜半井戸に、花を手向けに」
私の言葉に、トキヒト様がにこやかに頷いて補足した。
あ、じゃああの白い花は、本当にお供えだったんだ。
え?
井戸に?
「冥府は地の底にあると申しますでしょう」
めいふ……?
めいふ、ってなに。
おかしい、さっきから考えが全然まとまらない。
「トキヒト様……あの、私、なんか……おかしい……気が」
揺れる視界の中で、トキヒト様がにじり寄ってくる。
傾いだ私の上半身を、目の前に来たトキヒト様がそっと受け止めた。
真っ白な着物の腕が、私をまるで愛おしいもののように包み込む。
やっぱり、いい匂いがする。
高級なお香みたいな。高級も低級もわからないけど。
いや、そんな場合じゃない。さすがに、おかしい。
「なんか、おか、し」
口までまわらなくなってきた。
なんで……?
ああ、そういえば、さっき飲んだ白湯。あれはおかしな味がしたような気がする。
え、白湯に……?
動かない身体を無理やり動かし、顔を上げる。見上げた先のトキヒト様は、いつもの穏やかな表情で私を見下ろしていた。
いつも通り、薄っすらと笑みを浮かべている。この、状況で。
「トキ、ヒト……さま」
トキヒト様の腕の中で、気が遠くなっていく。意識がどんどん薄れていく。
「な……ん、で」
応える声は、なかった。
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