本当にそう見える?
「やっと、窓ガラスが戻った!」
嵐の日、騒ぎのせいで雨戸を下ろせなかった塔の窓は、翌朝には見事に割れてしまっていた。特別な大きさの窓なので手配に時間がかかり、ひと月以上経った今になってやっと元の状態に戻った。
窓が開きっぱなしだと、とても寒い。6階まで駆け上がっても凍えるくらいだった。
冬は日の出が遅い。この最後の塔を上り切った辺りでやっと朝日が顔を出す。私は明かりを消すと、ゆっくりと光が広がる森を眺めた。
(このまま、森に行ってしまいたいな)
ジリアムを起こしに行きたくない。ただそれだけの事がとにかく気が重い。毎朝、彼に会うのが楽しみで飛ぶように駆けていた頃が懐かしい。
深呼吸をしてから、塔を下りてジリアムの部屋に向かった。
こんこん。
扉を叩く。少し間を空けてから扉を開いて中に入る。
カーテンが引かれている室内は日差しが遮られていて薄暗い。私は彼の寝台に歩み寄るとそっと声を掛けた。
「おはよう、ジリアム。起きて」
ジリアムはすうすうと寝息を立てている。私は寝具の上からそっと肩をゆすった。
「ん」
ジリアムがごろんと寝返りを打ち、うっすら目を開いた。そして優しく微笑む。
「おはよう、僕のリリイナ」
「おはよう、ジリアム」
私は微笑んでからカーテンを開けようと背を向ける。
「ちょっと、待って」
ジリアムは寝具を跳ね除けて起き上がると私に抱きついた。夜具の中にいた彼はとても温かい。
「わ、冷たいな。外は寒かったんだね」
ジリアムはいったん私を離して自分の方に向けると、再びぎゅうっと抱きついて来た。
「ほら、カーテンを開けて支度をしないと」
離れようとするけれど、ますます力を入れられる。
「まだ足りない」
私は諦めてジリアムの背中をそっと撫でた。
(彼が他の女の人に目を向けたのは、寂しかったから)
ジリアムは少し離れると、身をかがめて私の頬に口づけをして首筋に顔を埋め『君の香りがする』と言う。私は相変わらず温かい粘土を押し付けられているような気分になる。
(彼に寂しいと言わせてはいけない)
「仕方ない、支度するか」
解放されたので、全てのカーテンを開いて部屋を出る。私が出て来るのを待っていた侍女たちが代わりに部屋に入る。
◇
「ねえねえ、今日はゴンドドの群れを見に行きましょうよ」
冬の植物の採取は順調に進んでいる。難しそうな物から手を付けたので、残っているものは確実に場所が分かっている種類ばかりだ。1日くらい遊んでいても問題ないと思う。
「ゴンドドには、それほど興味がないが、見るべきものか?」
「絶対に」
少し面倒そうなオズロを無理やり連れて森の奥に行く。ゴンドドは巨大な芋虫のような見た目でムチムチしている。大きな個体は大人の男性ほどもある。素早くないので襲われたら逃げれば良い。恐れるような魔獣ではない。
「私が合図したら後ろを向いて、もう一度合図するまで絶対に見ては駄目よ」
「そんな事が必要なのか?」
「絶対に必要なの」
私の真剣な言葉にオズロは頷いた。
慎重に気配を探る。失敗したくない。
(来た!)
私は手に持ったかごの中を確認する。大丈夫。
「いい? そこで後ろを向いて。私が声をかけるまで絶対に振り返らないでね」
「分かった」
私は背を向けたオズロから少し離れてから、かごから鮮やかな黄色の長いドレスを取り出した。着ている服を脱ぎ捨てて急いでドレスを着る。着ていた服をかごに入れたところで、ゆっくり進んで来ていたゴンドドが、私の辺りにまで到着した。
彼らの進む速さは、歩き始めの幼子がよちよちと歩くくらい、ゆっくりしている。
私は10匹ほどの群れの進路にごろんと転がった。数匹が私を避けて進む。
「見てみてー!」
大きな声で呼びかけると、オズロがこっちを振り返る様子を見せた。私はあわててうつ伏せになった。すぐ横をゴンドドがムチムチをした体をよじらせて通り過ぎて行く。大きく息を吸い込む。
「さて、私はどこにいるでしょうか!」
ゴンドドは、生息する地域によって色が違うらしい。この森のゴンドドははっきりした黄色で、その群れは森の中では異質だ。まるで卵の黄身が流れ出して移動しているように見える。
私の黄色のドレスは、同じく黄色のゴンドドの群れに溶け込んでいるはずだ。
(ふふふ。見つけられなくて驚くかしら)
出来るだけ身動きしないようにして息を殺していると、ぐいっと両腕を掴まれて引っ張り起されてしまった。
「きゃあ! そんなにすぐ分かっちゃった?」
「こんな所に、しかもゴンドドの群れの中に転がるなんて正気なのか!」
怒っているのか、呆れているのか、とにかく楽しんでくれなかったようだ。
(つまらないんだから)
「こうやって移動している時のゴンドドは、魔力が満ちている状態だから人を襲ったりしないの。だから危なくないのよ。まあ、どのみち私は襲われないけど」
へくしょん、とくしゃみが出てしまう。少し寒い。
「こんな気温なのに、そんな薄着で地面に転がったりするからだ! さっさと元の服を着るんだ!」
どうやら怒っているらしい。私はもう一度後ろを向いてもらって服を着替えた。
「全然、ゴンドドに見えなかった?」
「⋯⋯」
オズロは答えずに小屋に向かって歩く。
「だって、この季節が一番黄色がはっきりしてるの。私ね、ユリアがどこかのお土産でこのドレスを買ってきた時にこれを思いついたんだけど」
オズロは一瞬だけ私がかごから引っ張り出したドレスに目を向けた。
(聞いてはいるのね)
「今まで誰にも披露する機会がなくて残念だったの。でもほら、せっかく森の相棒が出来たから披露しようと思って、夏からずっと今日のこの日を待ってたのよ」
「夏から考えてたのか!」
呆れたように目を見開いている。
「全然、ゴンドドに見えなかった?」
もう一度同じ質問をしてみる。オズロは、ふうと息を吐いた。
「色も位置も悪くはなかった。でも、君の髪の毛が服の上に広がって光っているから、ゴンドドらしくなかった」
「髪の毛!」
森に来る時は長い髪を後ろにまとめて結んでいる。立っている時は、まっすぐまとまっているけれど、寝転んだ事で広がってしまったようだ。
「それは気づかなかったわ。悔しい。今度は気を付けるわ」
「もうやるな」
確かに寒かった。春になったら少しゴンドドの色が褪せてしまうけど、もう一度試してみよう。そう思っていた気持ちは、次の日にあっさり潰された。
「これを見てみろ」
家を訪れた私に、オズロは1枚の紙を出した。
「ゴンドドの絵を描いたのね!」
ゴンドドの群れが描かれていた。色がついていないけど、昨日のゴンドドの事だと分かる。
「この中に、君がいる」
「え!」
じっくり見る。真ん中あたりにのゴンドドは、頭部分が少し光っていて人間のような足も見える。
「⋯⋯これ?」
「そうだ」
それはゴンドドには見えるけれど、とても不格好だ。
「私、こんな感じだった?」
「こんな感じだった」
ムチムチしていて、無様に転がった中年男性のように見える。
「本当に? 私こんなに太ってるかな」
「普段は太って見えないけど、あの服を着て転がる君は、こんな風に見えた」
「⋯⋯」
想像していた姿とは全く違う。
「これにも、何か物語を書くか?」
「書かない」
「遠慮するなよ、何か書けばいいじゃないか」
「書かない」
「ふっ」
私に二度とゴンドドの真似をさせないように意地悪をされている気がするけど、もしかしたら本当にこんな風に見えているのかもしれない。
もうゴンドドの真似はしない。絶対に。
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