気付けなかった想い
魔力の使い過ぎは思った以上に体に負担を掛けたようで、目が覚めた時には数日経っていた。起き上がってみると身体が軽い。すっかり回復しているようだ。
使用人によると、あのお義母様が元気になるまではそっとしておくよう言ってくれているらしい。その言葉に甘えてゆっくりさせてもらう事にした。
たっぷりとお湯を張ったお風呂でくつろぎ部屋で何もせずに過ごす。明るいうちから、こんな優雅な時間を過ごすのは初めてだ。
(それでも、森の小屋で昼寝する方が気持ちいいかもしれない)
髪を解いたまま椅子に腰かけて窓の外を眺める。外の風は冷たそうだ。嵐が過ぎて冬がやってきた。
扉を叩く音がする。今日は誰とも話をしたくないので、使用人には呼びに行くまで来ないように言ってある。迷っていると、すっと扉が開いてジリアムが入って来た。
「ジリアム、お義母様に見つかったら叱られてしまうわ」
ジリアムが私の部屋に入る事は滅多にない。入るとしてもお義母様やユリアが一緒だった。
ジリアムは何も言わずに目の前まで来ると、椅子に座る私の前に跪いた。そして私の顔を見上げる。
「頬が⋯⋯ひどいな。痣になってしまったね。君の美しい顔が台無しだ。あいつをここに呼んだ俺のせいだ。ごめん」
そして縛られていた両腕を確認する。こちらも痣になってしまっている。
「ごめん、ごめん」
ジリアムは顔を伏せると私の手をぎゅっと握った。ぽたりと涙が落ちる。
「もう大丈夫よ、泣いたりしないで」
ジリアムはそのまま肩を震わせる。
「あいつは王都に送り返した。もう二度とこの領地には立ち入らせない」
「そう。二度と会いたくないわ」
「それに」
ジリアムが顔を上げた。美しい瞳には涙が溜まり揺れている。
「あいつから聞いた。君が舞踏会の時に俺がしたことを知ってるって」
私は視線を落とした。何も言わない。何を言っていいのか分からない。
「どれだけ言い訳をしても、君の信頼を取り戻すのは難しいと思う。でも俺には君が必要だ。君を愛してるんだ」
「あの女性に夢中だって。私の事は関係ないって、あなたはそう言ってた」
「ごめん、寂しかったんだ」
「寂しい?」
「君は、どれだけ俺が願っても触れてくれない。君が俺を好きじゃない事は分かってるんだ。家同士が勝手に決めた婚約だから、それは仕方ない。でも俺は君を愛してる。どんなに愛しても全然気持ちが返って来ない事に疲れたんだ」
ジリアムは涙を流す。とても苦しそうに見える。
「どうして、私があなたを好きじゃないなんて思うの。私だって、私だってあなたを愛していたのに」
私の言葉に、ぎゅっと眉を寄せて悲しそうな顔をする。
「嘘だ。俺に気を遣ってそんな嘘をつくなよ。君は他に行く所が無いから、仕方なくここにいるだけだ。俺の事が好きでここにいるわけじゃない。ちゃんと分かってるんだ」
「そんな事ない。⋯⋯いえ、あなたに会った事がない時はそうだったかもしれない。でも、あなたに会ってあなたを好きになって、あなたといつか結婚出来ると思うと本当に嬉しかったのよ」
「本当に?」
私が頷くと、私の両腕を引いて抱き寄せた。塔の時のように強く強く抱きしめる。
「俺の事を許してくれる? 俺にもう一度君の信頼を得る機会をくれる? 君の事を愛していてもいい?」
返事の代わりに私はジリアムの背を抱きしめ返した。しばらくすると、ジリアムはそっと体を離し私の頭を撫でて髪をすいた。何度か繰り返し、痛くない方の頬にそっと触れると顔を寄せて唇を合わせた。
あんなにずっと憧れていたのに心は沈んだままで、唇に温かい粘土を押し付けられたような不快感がある。私の凍り付いてしまった心は、ジリアムの熱い言葉にも溶けてくれなかった。
(私が触れなかったから、寂しかったから。全て私が悪かったんだ。私が招いた事だ)
◇
冬の植物の採取は意外と時間がかかりそうだ。雪は降らないけど、いつもは寒いので小屋で過ごす事が多かった。だから他の季節のように植物が生えている場所が正確に分からない。
あまりのんびりしていられないので、翌日からは手伝いを再開することにした。
「一緒に連れて行ってもらえない?」
オズロの家に向かう後ろからユリアが追い付いて来た。改めてお礼を伝えたいのだと言う。
「リリイナは、もうとっくに、オズロ・ハインクライスが嫌な奴じゃないって分かってたの?」
「ごめんなさい、分かっていたんだけど皆を裏切っているような気になってしまって言い出せなかったの。ユリアも知っていたの?」
ユリアは答えずに俯いた。
「きっと兄の方に問題があるのよ」
タイラーの言葉が蘇る。全部女に押し付けようとした、そう言っていた。
扉を叩くとすぐに開かれた。予め今日から作業を再開したいと伝えておいたから、待っていてくれたのだろう。ユリアが一緒にいる事に少し驚いたような顔をしたけれど中に通してくれた。
「この前は、本当にありがとうございました」
入るなりユリアが深く頭を下げる。私も隣で深く頭を下げる。オズロの助けが無かったらどうなっていたかなんて、想像もしたくない。
「大きな怪我がなくて良かった」
オズロが椅子を勧めてくれたけど、ユリアは立ったまま緊張した声を出した。
「覚悟が出来ました。あなたの妹さんと兄の間に何があったのか、教えて頂けませんか?」
ユリアは私を振り向く。
「リリイナも一緒に聞いて欲しい。一緒に話を聞いて、それでも兄と一緒に生きていくのかどうか考えて欲しい」
聞きたくない気持ちと、聞きたい気持ちが入り混じる。でもユリアの後押しが無いと、このまま気になり続けると思う。私もユリアももう、ジリアムの言い分が嘘だと分かっている。
私はユリアをしっかり見て頷いた。
「今、話しますか? 後日改めますか?」
オズロがいつも以上に感情を感じさせない声でユリアに尋ねる。ユリアは今、と答えた。
オズロは黙ったまま居間の隅の机に向かうと、引き出しを開き1通の手紙を取り出した。封筒から紙を出して広げるとユリアに渡した。目線で私にも見るよう促す。
受け取ったユリアが便箋に箔押しされている印を見て驚きの声を上げる。
「これは、宮廷の正式な文書ですか?」
オズロは軽くため息をついた。
「当事者の兄である私が話す事は信用しにくいでしょう。あの事件は、恐らくあなた方が想像しているような、痴情のもつれという事では処理出来ない重大な事件でした。
宮廷における正式な事件として処理されています。その調査書を取り寄せました。罪人を取り調べる官吏が取り調べた物ですから、安易な嘘やごまかしは許されない。
思いつく限りではこれが、一番公平に事件の全容をあなたにお伝えする方法です」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます