第6話 その頃のライドは①

 氷雪が吹き荒ぶ。

 その時。

 ライドは魔剣を手に疾走していた。

 海上に築かれた氷の大地を駆け抜ける。

 吐く息は白い。

 髪の毛先、頬やアーマーコートの裾は氷結し始めていた。


 風も海も空さえも。

 世界が凍る。

 凄まじいまでの勢いで終焉へと向かう。

 青き古竜の猛威は留まらない。


『グオオオオオッ!』


 鎌首を上げて咆哮を轟かせるグルードゥ。

 両翼を広げると、風雪が吹き荒ぶ。

 ライドは空歩エア=レスを使って跳躍した。

 吹雪の領域から一気に脱出すると、グルードゥに魔剣の切っ先を向ける。

 そして、


焔裂戟フレム=ボウルガ!」


 業火の槍が魔剣より撃ち出される!

 第五階位のフレム系精霊魔法だ。

 だが、そこに込められた魔力は膨大だ。

 この戦いは大邪神との死闘以来――いや、単独戦闘であることを鑑みればそれ以上の危機である。精霊たちは次々とこの場へと集い、無尽蔵の魔力をライドに奉じていた。


 その精霊数は実に数千万にも及ぶ。

 結果、その威力と規模は、もはや火山の噴火にも等しかった。

 槍どころではない業火の奔流は冷気を穿ち、グルードゥの胴体に直撃する!

 ――が、


『グオオオオオオオオオッ!』


 竜鱗の表層は焼け落ちるが、致命傷には程遠かった。

 その程度の負傷を古竜は意にも介さない。

 事実、すぐに再生し始めていた。

 グルードゥはアギトをライドに向ける。

 死を呼ぶ竜の息吹ドラゴンブレスだ。


 だが、それをみすみす放たせたりはしない。


『バウゥッ!』


 バチモフが吠えた!

 全身を雷に変えて雷速で跳躍。一筋の雷となってグルードゥの鎌首を射抜く!


『――グウッ!』


 流石に首を撃たれては息吹ブレスも吐けない。

 グルードゥは牙を鳴らし、


『小賢しい雷精が!』


 両翼を広げて全方位に吹雪を巻き起こす。

 ライドとバチモフは大きく後退して死の領域から撤退した。

 バチモフが雷鳴と共に移動して、ライドの元に控える。


「………ふゥ」


 ライドは大きく息吐いた。流石に呼吸が乱れていた。


(厳しいな……)


 ライドは表情を険しくする。

 息を吸い込めば肺が痛い。

 約束通りにサヤが待機している後方辺りは無事のようだが、ここら周辺はそろそろ人間が生きていけるような環境ではなくなりつつあった。


 だというのに一向に致命傷が与えられない。

 業火による損傷も、バチモフの雷撃もすでに再生を終え始めている。

 このまま戦い続ければ、それだけでライドは死に至るだろう。


(どうする……)


 かじかむ手で魔剣を握り直す。

 そうしてライドが打開策を考えようとした、その時だった。


『このまま戦い続ければわれが勝利するな』


 グルードゥがそう告げた。


『だが、それでは興醒めだ。英傑に対して非礼でもある』


 青き古竜は双眸を細めた。


『ならば見せよう。我が魔法を』


 言って、右の爪を振るった。

 烈風が吹き荒れる。

 しかし、それはライドを狙ったものではなかった。

 後方で女性の悲鳴が上がる。

 ライドがハッとして見やると、サヤのいる氷の大地に巨大な爪の跡が刻まれていた。


「――サヤ!」


『案ずるな』


 グルードゥは鼻を鳴らした。


『ヌシの寵姫を狙ったのではない。あの娘に手出ししないのは約束ゆえにな』


 そう告げるのと同時にサヤの乗った大地がゆっくりと離れていく。

 どうやら爪撃で切り離されたようだ。


『では、とくと見るがいい』


 グルードゥは鎌首を上げて天を仰いだ。


『精霊魔法とは違う。世界に新たな理を刻む竜種の始原魔法をな』


 そう告げて、喉から音を紡ぎ出した。

 それは人語でもなければ咆哮でもない。

 まるで歌のような穏やかな音だった。

 そうして、


『―――――――――』


 人間には聞き取れない声をグルードゥは放った。

 その直後だった。

 天を覆う暗雲の中から何かが降りてくる。


「――――な」


 ライドは目を見張った。

 それはあまりにも巨大すぎる氷塊だった。

 その威容はもはや氷山である。

 それが冷気を放ちながら、ゆっくりと降ってくる。


(――あれはまずい!)


 ライドは双眸を鋭くする。

 刺突の構えで魔剣を氷山に向けて構えた。

 魔剣の切っ先に魔法陣が展開される。

 そして、


「大いなる開闢かいびゃくの星よ。今こそ創世の時!」


 自身にとって最強の魔法を唱えた。


天照降臨フレム=アガルタス!」


 ――ズゥンッ!

 空に大火球――疑似太陽が顕現する。

 第十階位のフレム系極大魔法である。

 しかも込められた魔力も膨大だ。その大きさは砦さえも呑み込みそうだった。

 恐らく人類史上でもこれほどの威力の魔法は初めてのはずだった。


 だが、それでも――。


 ……ズズズズゥン。

 激突した氷山が太陽を沈めていく。

 超々高熱の太陽の表層を凍結させていく。


『太陽が凍らぬとでも思ったか?』


 グルードゥが不敵に笑った。

 最大威力の魔法であっても圧し負ける――。

 かといって逃げ場もない。

 氷山の大きさは氷の大地の八割を圧し潰すほどだ。


「―――くッ!」


 ライドは歯を軋ませる。

 そして魔剣を逆手に構えて、剣腹に片手を添えた。

 太陽をも押さえつけて氷山が迫る中の数秒間の沈黙。

 ライドの表情は険しかった――が、


「――よし!」


 そう呟くと同時に魔剣を中心に再び魔法陣が展開された。

 ライドは小さく呼気を放ち、


「勇者よ、今は眠れ。静寂なる安息の地にて」


 訥々と唱えた。


大暗闇城ヴァイス=ウィルズホルド


 直後、激突する氷山と太陽の直下に闇の大渦が生まれた。


『――なに!』


 さしものグルードも瞠目した。

 巨大な闇が太陽も氷山も呑み干していく。


『完全なる魔法の無効化だと! そのような魔法を!』


 そうこうしている内に二つの極大魔法は完全に闇に呑み込まれた。


『おおッ!』


 グルードゥは感嘆する。

 グルードゥは知る由もないが、それはかつてライドがレイのために創った防御魔法だった。本来は第七階位の精霊魔法である。だが、それではあの氷山は凌げない。

 だからこそ今、極大魔法の域にまで構築し直したのである。

 わずか数秒のことだった。

 その間に幾度も試行して組み直した。

 極限状態の集中力だからこそ出来た芸当だった。


「―――ふ」


 ライドは空歩エア=レスで大跳躍する。

 バチモフも主に続く。

 遥か上空でライドは魔剣を上段に構えた。

 魔剣の刃が煌めく。

 それをグルードゥは見上げて、


『フハハ! 見事なり! 悪神殺しよ!』


 心からの称賛の声を上げた。

 そうして――。



       ◆



 ……ザザザ。

 波を掻き分ける音が聞こえる。

 丸い窓からは穏やかな大海原が見える。

 その船室には一人の女性がいた。


 年の頃は十九ほどか。

 腰まで伸ばした艶やかな黒髪に、前髪の間から覗く黒い右目。左目の方は隠されて分からないが透明色だった。穏やかなる美貌を持ち、和装を纏っている。しかし、戦士――彼女の故郷では『侍』という――である彼女の腰に愛刀はなかった。


「……はぁ」


 彼女――サヤ=ケンナギは大きな胸を揺らすほどに深い溜息をついた。

 サヤはいま船室にて椅子に座っていた。

 傍らには、バチモフが丸まって座っている。

 そして目の前には、ベッドの上で眠るライドの姿があった。

 腕や手などには包帯が巻かれているが、命に別状はないそうだ。

 そんな彼を見やり、


「……私、何しているんだろう……」


 サヤは強く唇を噛んだ。

 結局、自分は彼に守られているだけだった。

 彼のために生きると誓ったばかりだというのに。


「今の私は弱い。けど……」


 サヤはライドの額にそっと手を触れた。

 少し前まで発熱していたが、今は安定している。


「必ず強くなります。あなたの剣になれるように。ライドさん……私のあるじさま」


 愛おしそうに瞳を細めて、サヤはそう心に誓う。

 彼女はずっとライドの看病をしていた。

 グルードゥとの決闘。

 結論から言うと、それは痛み分けのような形だった。

 グルードゥにはまだまだ余力があったようだが、自身の魔法を凌がれた時点ですでに敗北を認めていたらしい。

 最後の一撃をあえて受けた上で、ライドが勝者であると讃えた。

 そして竜の試練を乗り越えた褒賞の一つとして近くの大陸にまで背に乗せて連れて行こうと申し出てくれた。

 しかし、ライドのダメージも相当に大きかったので、大陸ではなく、近くの船にまで連れて行って欲しいと願ったのだ。グルードゥは承諾した。


 ただ、そこで誤算が起きる。

 ライドとサヤとしては見失った貨物船にまでという意図だったのだが、グルードゥは適当に飛んで見つけた一番近い船・・・・・にまで送ってくれたのだ。


「まさかこんなことになるなんて……」


 サヤは溜息をつく。

 と、その時、コンコンと船室の扉がノックされた。

 サヤは「どうぞ」と応えると、扉が開かれて、


「ドラゴンの姐さん」


 入って来た船員にそう呼ばれた。


(……ドラゴンの姐さんって)


 内心で頬を引きつらせるサヤ。

 バチモフは顔を上げて『バウ!』と鳴いた。

 あまり見ないサイズの大型犬にその船員は少し腰が引けつつ、


「ドラゴンの旦那はまだお目覚めに?」


「はい。けど、もう熱は引きましたので」


「そうっすか。それはよかった」


 船員が胸を撫でおろす。


「もし旦那に何かあってドラゴンの怒りを買ったらどうしようかと思ったっす」


「……あはは」


 サヤは乾いた笑いを零した。

 なにせ、彼らにしてみれば、いきなり海上にドラゴンが現れたのだ。

 その気になれば、鉄鋼船でも一撃で沈められる怪物である。きっと生きた心地もしなかったことだろう。しかも背中に人を乗せたという意味不明な状況だ。

 サヤたちをドラゴン使いとでも勘違いしても仕方がないのかも知れない。


 ともあれ、


『ではさらばだ。またいずこかで会おう。精霊王とその寵姫よ』


 そう告げて、グルードゥは飛び去っていった。

 サヤとしては「いえ、待って。ここじゃないです。この船じゃないんです」と言いたかったのだが、ライドの疲労も重く、傷の手当てを急ぎたかったのでやむを得ずこの船に世話になることにした。

 船員たちも、喋るドラゴンに乗ってやってきた異様な人間たちを無碍にすることなど恐ろしかったらしく、ライドたちを丁重に迎えてくれたものだ。


 そうして二日が経った。


「姐さん。もうじきっすよ」


 船員が言う。


「もうじき島に着くっす。あ! あれっすよ!」


 船員が丸い窓を指差した。

 サヤも目をやる。窓の外には小さな島の影が映っていた。


「あそこが俺らの拠点っす」


 そうして船員は告げた。


海賊島・・・グラダゾードっすよ」


(か、海賊かいぞくじま……)


 サヤは何とも言えない気分になった。

 ――そう。

 この船は貨物船ではない。

 それどころか真っ当な船ではなかったのだ。

 よりにもよってグルードゥは。

 近くにいた海賊船にまでライドたちを送ってくれたのである。


(あるじさまは本調子じゃないから……)


 サヤはグッと拳を固めた。


(今度こそ私が守らないと)


 そう決意した。



 ライド=ブルックスの冒険は続く。



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