第12話 通学バスの中で
高校までは車で三十分ほど。
以前は自転車で通学していたけど両親の勧めで当面はバスで登校することになった。頭を打った後遺症が急に現れるかもしれず、人目があれば助けを求められるからだ。
「やっぱり橙輔が座った方がいいんじゃない?」
駅に向かうバスは学生や会社員で満員状態。たまたま空いていた一人分の席に比奈を座らせ、おれは近くの手すりに掴まっていた。
「気にすんな。比奈は走ってきたんだろ、ゆっくりしてろ」
「ありがと。でもきつくなったら言ってね、すぐ代わるから」
「サンキュ。でもホントに大丈夫だから」
事故のことがあって、みんなおれを心配してくれる。
通学だって最初は義父さんが毎日レクサスで送迎するって言うから必死に断って、お互い妥協した結果がバスだ。
正直気恥ずかしいし、高校生の息子にそこまでしなくていいと思うんだけど、まぁ、病室で母さんが泣き崩れる姿見たらな。
「お父さんもお母さんも橙輔のことが心配なんだよ。あたしだって自分の知らないところでまた橙輔が倒れたらって思うと……つらい」
「どうも」
もしも立場が逆だったとして、比奈が事故で脳にダメージを受けたとしたら、おれも心配だと思う。
でもそれは『彼女』だからってわけじゃなくて。たとえば母さんや義父さん、桃果や真結でも同じレベルで心配すると思う。自分にできることはないか必死で探すと思う。
いまのところ『彼女』に対する特別な感情がおれにはない。思い出せないだけなのかな。
「桃ちゃんさん、昨日のテレビ見ました? こーんなに小さなウサギさんがもふもふでふわふわで、とーっても可愛かったんですよ」
バス前方で桃果と真結が楽しそうに話していた。
「そうなの? 桃、ホラーの実況動画観てたから。体中から腕がにょきにょき生えてくるキモいボスがいてさ~」
「はぅ! デスゲ実況苦手です~」
性格は真逆っぽいのに仲良いんだな、あいつら。
「比奈たちは桃果とも知り合いだったんだな」
「うん、みんな同じ三ツ葉中学だよ。お姉ちゃんと佐倉さんは同じクラスだったから姉妹みたいに仲良いね。あたしはちょっと苦手なんだけど」
「はげしく同意」
佐倉さん、という呼び方が比奈と桃果との距離を感じさせる。
「あ、もしかして比奈が言ってたイジワルな『あの人』って桃果のことか?」
「あは……」
比奈は苦笑いを浮かべた。あたり、ということか。
「まぁ連絡先を交換しているだけでそこまで親しいわけじゃないから。橙輔が退院してバタバタしていただろうし、わざとじゃないと思うよ、たぶん」
バタバタもなにも、おれの部屋でばりばりポッキー食ってたけどな。
でも桃果にせっつかれなければ花火に行かなかっただろうから、ある意味では恩人……なのかな。認めたくないけど。
「あ、橙輔。じっとして」
腰を浮かせて手を伸ばしてきた。
熱い指先が首筋にぴとって触れた瞬間、心拍数が跳ね上がる。
「橙輔の、かわいい」
しきりに髪の毛を撫でている。
「なっ、なんだよ」
「ごめんなさい。ピョンッと跳ねた寝癖が可愛くてつい」
「まったく――」
そのときだ。
キキキー……。はげしいブレーキ音とともにバスが揺れる。
「うおっ」
バランスを崩した。
踏ん張りがきかず比奈の方に体を投げ出す。
「ひゃっ」
気がつくとすぐ目の前に比奈の顔があった。
前のめりになった時とっさに腕を出して衝突を回避したのだが、そのせいで壁ドンしたみたいになっている。
「ごごごごめん」
慌てて体をのけぞらせる。
「ううん平気だよ。橙輔こそケガなかった?」
「お、おお。へーき。一体なんだろな」
『えー、お客さまにご案内します』
何事かとざわつく車内に運転手さんのアナウンスが流れる。
『先ほど自転車の飛び出しがありましたので緊急回避しました。やむをえない事情により急ブレーキを踏むことがありますので手すりなどにお掴まりの上、十分にご注意ください。それでは発進します』
「……だってさ。困っちゃうね」
顔を赤らめている比奈を見ていると、ふいにキスの感触がよみがえってきた。やわらかくて、あたたかくて、変な感じだった。
おれのファーストキス。比奈は初めてじゃないと言ってたけど何回目なんだろう……。
「? どうしたの橙輔?」
「なんでもない!」
恥ずかしさのせいで顔を背けてしまう。
そのまましばらく無言のままバスに揺られていたが――パシッ、と軽く手が当たった。
「ん?」
比奈は明後日の方向を見ているのに再びパシッと、今度はさっきより強く当たる。
「どうした? 虫でもいるのか?」
「……じゃなくて、手、つなぎたいんだけど。さっきみたいに急ブレーキがあるかもしれないし、心配だから。だめ?」
「だめというか……」
こんな公の場で?
戸惑うおれの目に信じがたい光景が飛び込んできた。
「でね、おにいったら桃があげた納豆ぜんぶ食べたんだよ。あんなに嫌いだったのに」
談笑する桃果と真結はごく当たり前のように手をつないでいるではないか。
「そんなことしたんですか、意地悪ですね桃ちゃんさん」
「大豆イソフラボンの摂取を勧めたんだよ~」
本人たちはまったく気にしている素振りがない。まさかおれが喪った一年間に女の子同士でも手をつなぐのが主流になったのか? それとも百合的な関係……。
「橙輔、やっぱりまだ無理かな……?」
悲しそうにうつむく比奈。
女の子同士がこんなにイチャイチャしているのに、切なげな眼差しておねだりしてくる彼女が気の毒になった。
「まぁ……少しだけなら」
「やった」
「あと二人に気づかれないように」
「じゃあこうしよう。橙輔は手すりに掴まって」
「? おう」
言われるまま、近くにあった手すりを握った。すると比奈が上から手を重ねてくるではないか。
「こうしていれば、また急ブレーキがあっても安心でしょ。手つないでいるのもバレにくいし、いいアイデアだと思わない?」
指を絡めてくる。
にぎにぎ。
(うわぁ、ふつうに手握ってるよりよっぽど恥ずかしいんだけど……!)
自分とは異なる体温。あったけぇ。
しかもマシュマロみたいにやわらかい。
「ふふ。こうやっていると橙輔の手って大きくてゴツゴツしているよね。なんだかお父さんみたい」
「さ、左様ですか」
平静を装うつもりが変な敬語になっちまった。
「まぁお父さんとはこんな風にしないけどね」
ぎゅっと力を込めてくる。
やばい、ドキドキする。
「ご……ごめん、おれの手、汗ばんでるかも」
「へーき。あたしも同じだから」
上下に重ねていたはずの手が、いつの間にか手すりを介した恋人つなぎになってる。
にぎにぎ。ぎゅぎゅ。
ああ汗が止まらねぇ。
「思い出すなぁ。橙輔、初めて手をつないだ時もすごく恥ずかしがってたんだよ。花火大会のお誘いをOKしたあと『一応恋人になったんだから手つなぐくらいいいよな』って言いだして。なのに数秒も経たずに『もうムリー!』って逃げるから思わず追いかけたの。あたしこう見えて足速いんだ、自己ベスト七秒台きってる」
速っ! 怖っ!
「ん? なんでおれは逃げたんだ? 自分から告ったのに」
「あたしも不思議で問いただしたの。なんて答えたと思う?」
「さあ」
「それがね」
比奈はこらえきれないように手で顔を覆う。
「こうやって顔を覆って、幸せすぎて死んじゃいそうだって言うの。ずっと夢見てたから怖いって。笑っちゃうよね、まだ手つないだだけじゃんって。……でも、あたしのことそんなに想ってくれてたんだって知ってキュンとしちゃった。あの時は恥ずかしくて言えなかったけど」
ゆっくりと腰を浮かせると、おれの耳元に唇を寄せた。
「好きだよ橙輔。だいすき」
瞬間、顔にボッと火がついた気がした。
「っ……! そ、そういう大事な言葉って、安売りするもんじゃない、だろ」
「お父さんが教えてくれたんだ。海外からの留学生だったお母さん超絶美人でライバルがたくさんいたけど、毎日真摯に愛を伝えたら自分に振り向いてくれたんだって。だからあたしも橙輔が惚れてくれるまで毎日言ってあげるね。大好きって」
――結局、手を振りほどくことができず降車するまで手をつないでいた。
いつの間にか桃果が冷たい目で見ているし、真結は口元を覆って笑ってる。
もういろいろ無理。恥ずかしくて記憶をなくしたいくらいだった。
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