第十五話 交流≪interagir≫

 少女、レーシュとルーカスが初めて言葉を交わした日から、二人の交流は始まった。



(彼女は言葉数が少なく、自分から何かを尋ねてくる事は稀だったが……こちらの問い掛けには真摯に答えてくれた。包み隠さず、ありのままを)



 国境での王国と帝国の戦い。〝ディチェス平原の争乱〟と呼ばれる先の戦の顛末も「どうなったのか?」と問えば、レーシュは教えてくれた。



「どちらも、撤退した。貴方の力が……両軍を壊滅状態に追い込んだ。戦争を終わらせた」


「壊滅……?」



 ルーカスはこの時、初めて知った。


 あの瞬間「全て壊れ、崩れてしまえ」と破滅を願ったように、自分に目覚めた力が敵だけに留まらず、味方にも被害を及ぼしたのだと。


 どれだけの命が、飲まれて消えたのか。

 両軍合わせたら、五万……六万……。もしかしたらそれ以上の可能性もある。とてつもなく、規模の大きな話だ。


 理性をなくして激情のままに力を行使した結果に、ぞわり、と冷たいものが背を這った。


 拘束具に繋がれた両手を、見つめる。鎖が擦れて、金属音がする。



「俺が、殺した……」



 開いた手は綺麗なはずなのに。

 沢山の人の命を奪ったと認識した途端、真っ赤に染まって見えた。


 罪悪感が重くのしかかる。名も知らぬ相手だったとしても、彼らを大切に想う誰かがいたはず。理不尽な暴力によって大切な人が奪われる痛みは、自分も直前に経験していたというのに。



「——う……っ!」



 悪心がして口元を押さえた。胃の辺りから何かがせり上がって来る。

 思いと共に吐き出してしまえば、少しは楽になれるのだろうが、これ以上、醜態を晒したくなかった。



「どこか、痛いの?」


「……大丈夫……だ」



 ルーカスは吐露しそうになるものを堪えて、気持ちを落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。しかし、なかなか上手くいかない。


 すると、レーシュがあの旋律を口ずさんだ。



『愛し子よ お眠りなさい

 マナのゆりかごにいだかれて……』



 気が狂いそうになる度、ルーカスを繋ぎ止めた歌。

 嘘みたいに体が楽になっていく。


 彼女の唱歌には、不可思議な力がある。それが何であるのか迄は理解が及ばないが、歌はルーカスの心の拠り所になりつつあった。


 しばし、透明感のある歌声が部屋に響き渡った。






 落ち着きを取り戻したルーカスは、レーシュが歌い終わるのを見計らって再度尋ねる。



「父上——王国軍の元帥げんすいと、皇太子こうたいしゼノンがどうなったか……わかるか?」


「うん。無事に、王国へ帰還してる」


「そうか……」



 「良かった」と、ルーカスは安堵した。父とゼノンが無事ならば、ディーンも無事である可能性は十分にある。


 多くの命を奪っておきながら、身内の生存を喜ぶのは内心申し訳が立たないが、それでも喜ばずにはいられない。

 


「それと……、貴方が守っていた人も、王国へ。葬送の儀も、終わってる」



 カレンの事を言っているのだろう。

 実際には守れず、亡骸なきがらを抱いてわめいていただけなのだが、彼女の目にはそのように映ったらしい。



「……そう、か。教えてくれて、ありがとう」



 身体だけでも、故郷に帰れて良かったと、思うしかない。

 けれども、きっと。多くの人がカレンの死に胸を痛め、悲しんでいるはずだ。


 喪失感は簡単に拭えるものではない。ルーカスの胸もズキズキと痛んで、目頭が熱くなった。



「…………大丈夫?」


「正直、混乱してる。色々と、消化しきれなくて……」



 力なく眉を下げて見せると、レーシュはまた歌をつむぎ始めた。仮面で表情はうかがえないが、彼女も悲しんでいるように見える。



(彼女はこういった時、言葉の代わりに旋律を紡ぐ事が多かった。どうコミュニケーションを取れば良いか、わからなかったんだろう。

 けれど、彼女なりに慰めようとしてくれた。その気持ちが、俺は嬉しかった)



 このように少し奇妙な交流を、ルーカスはレーシュと重ねて行った。


 ——来る日も、来る日も。彼女は牢を訪れた。



(その姿を見ない日はなかったくらいだ。あまりにも頻繁に顔を見せるものだから、ある時、不思議に思って俺は尋ねた)



「どうして、君はここへ来るんだ?」


「……邪魔……だった?」



 ほんの少し、声のトーンが低い。



「そうじゃない。けど、任務もあって忙しいだろ?」



 一人、孤独に過ごすより、彼女が居てくれた方が断然いいに決まってる。

 ただ、彼女の負担になっているのでは、と心配だった。



「……問題ない。それに……」


「それに?」


「…………ううん。何でもない」



 何を言いかけたのか気になったが、追及はしない。話したくない事の一つや二つ、誰にでもあるものだ。


 「問題ない」とはいうものの、ルーカスにはどうにも、彼女がプライベートな時間を犠牲にしてここへ来ているように思えた。



「でもさ、休みの日とか、空いてる時間は好きに過ごしたいだろ? 気分転換に出掛けたり、買い物へ行ったり。気にかけてくれるのは嬉しいけど、そういうプライベートな時間を優先してくれよ」


「好きに……? ぷらいべーと? って、なに?」


「え?」



 意味がわからないとでも言うように、レーシュが小首を傾げる。

 ルーカスはその様子に困惑した。こちらとしても意味がわからなかった。


 もしかしたら単語の意味が理解できなかっただけでは、と思い至り、言葉を選んで言い直す。



「えーっと、任務以外の、自由な時間のことだよ。女神の使徒アポストロスだって、常に任務に縛られてる訳じゃないだろ? 神秘アルカナっていう凄い力を宿してるだけで、そこを抜きに考えれば普通の人と変わらないんだからさ。生き甲斐というか、君なりの楽しみが何かしらあるだろ?」


「……自由……楽しみ……? ……ごめんなさい、よく、わからない。私は、女神様のしもべ猊下げいかは、使命の事だけ考えればいいって……」



 ルーカスはレーシュの返答に愕然がくぜんとした。言葉を失った。



(——イリアは……旋律の戦姫・レーシュは、使命の為だけに生きているのだと、知った。

 そう在るべく、猊下——枢機卿すうききょうに教え込まれて、生きて来たんだ……っ!)



 不憫ふびんだと思った。例え世界が混沌としていても、これくらいの年頃であれば普通は、学園に通って友人を作り、平凡な日常を謳歌しているものだ。むしろ、そうすべきなのだ。


 軍人である自分でさえ、学生時代にはその時間があったのだから。


 だというのに彼女は、女神の使徒アポストロスとなったが為に、一切の楽しみを許されず閉塞した世界で生きている。



(まるで、女神の……奴隷のようだった)



 それがルーカスはどうしようもなく悔しくて。



「……っ、俺が、教えるよ。俺が見て来た世界、経験した楽しい事、嬉しい事……。君に、話すよ」



 気付けばそう伝えていた。

 彼女は「うん」と相槌を打つも、相変わらず首を傾げている。


 語り聞かせただけで、すぐに何かが変わるとは思わない。

 けれど、きっかけくらいにはなるだろう。

 自分をくらいところから掬い上げてくれた彼女が自由を知るための——。






(あの時はわからなかった。でも、やつらは知っていたんだ。イリアの宿命を……!

 言葉数が少なかったのも、コミュニケーションが苦手だったのも全部! 不要なものだからだ!

 だから——!)

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