第二話 平和≪paix≫
ゼナーチェ王国陥落の報から十数日が過ぎて——。
帝国は不気味なほど動きがなかった。
親書を送っても返答はなく、かと言って帝国軍は勢力を保ったままゼナーチェ王国領内に駐屯しているため、警戒を緩める訳にもいかない。
国境では緊張が続く中、何事もない日々が過ぎていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
後方支援部隊の仕事は、補給・整備・輸送・建設・衛生・連絡——等々、多岐に渡る。
戦場で表立って敵兵と対峙する場面は少ないが、どの役割も軍を維持するため極めて重要である。
数ある役割の中からルーカスとカレンに割り振られたのは、補給管理の部署。
食料・燃料・薬品といった軍需品の在庫の統制、管理、手配や輸送、会計処理を含めた準備を一手に受け持つ部署だ。
システム化する事で簡略化できる業務に思えるが、戦場は生き物。
変化する戦況に合わせて効率的な補給を計画するには、柔軟な思考による判断と工夫、予測能力が不可欠であり、経験だけでなく知略の求められるポジションだった。
(……とはいえ、俺達に回って来るのは在庫の確認作業や、指示書通りに物品を手配する簡単な業務)
今も物資を保管するために建てられた倉庫内で、在庫確認をしているところだ。
特に難しいと思う作業はない。
緊張感はあるものの開戦している訳でもなく、比較的穏やかな日が続いていた。
その証拠に——。
「カレン」
「なぁに?」
「カレン、近い」
まるで、王都の街中で
彼女の振る舞いに、ここが何処であるか忘れてしまいそうだった。
「婚約者なんだからいいじゃない。
俺の傍から離れるなー! って言ったのはルーカスでしょう?」
「確かに言ったけど。適切な距離感ってものが……」
彼女と触れ合うのは嫌じゃない。
——だが、周りの目がある。
ちらりと周囲へ視線を向けると、同じように確認作業に当たる騎士や、王都から駆け付けたカレン専属の護衛騎士が微笑ましそうにこちらを見ていた。
二人きりの時ならまだしも、恥ずかしいというのが本音だ。
「それに、職務中に
ルーカスは腕を振り解いて距離を取り、粛々と確認作業——指差呼称で物品を確認しながら、クリップボードに挟んだ書類へ正確な数を書き込んでいく——を続けようとした。
それが、カレンは面白くなかったのか。
「ルーカスってば、冷たい! この前はあーんな情熱的に抱いてくれたのに。あの言葉も嘘だったのね?」
とんでもない爆弾発言をしてくれた。
わざとらしく悲し気な演技までして。
一斉に驚愕の視線を向けられ、倉庫内がざわつく。
カレンの護衛の一人——短くふんわりと切り揃えた髪型が良く似合う、黒を混ぜた暗い青髪の女性騎士、セイラン・アムソニアに髪色と同色の瞳で
セイランは侯爵家の令嬢で、カレンの友人。
ルーカスとは騎士学校時代の同期でもあるのだが——。
彼女は不義理を嫌い、冗談が通じない。
現に、カレンの発言を真に受けたのだろう。
腰の剣へ手をかけ「ルーカス殿……?」と鬼の形相を浮かべている。
このままではまずい。
非常にまずい。
「ご、誤解だ! カレンの事は大切に想ってる! この前ってあの時の事だろ? 抱き締めただけで一線は越えてないぞ! この名に懸けて誓ってもいい!!」
ルーカスは声を張り上げた。
後から考えればもっと上手い切り抜け方があったと思う。
……思うが、動転している時ほど、思考が働かなくなるものだ。
反響する声が消えて、倉庫内がしんと静まり返った。
すると。
「力説することかな、それ」
「外に丸聞こえだぜー」
嚙み殺した笑いを混ぜた陽気な男の声が二人分、背後にある入口の方から聞こえてきた。
物凄く聞き覚えのある声だ。
「あ、ゼノン兄様! ディーン!」
カレンがパッと笑顔を咲かせ、嬉しそうに手を振った。
ルーカスも勢い良く振り返る。
見知った幼馴染達の姿がそこにあった。
「身の潔白に名まで懸けるとは。マジで堅物だなぁ、ルーカスは」
「婚前交渉は確かに禁止されてるけど、そうなればそうなったでどうとでもなるのにね。妹に魅力がないのかと兄として複雑な気分になるよ」
「誘惑はしてるんだけどね。全然ダメ」
軍服を着崩したディーンが腹を抱えて笑い、ディーンとは対照的に軍服をかっちりと着込んだゼノンが肩を竦め、カレンが「ふぅ」と大きな溜息を吐く音が聞こえた。
この三人のタッグは、この上なく面倒くさい。
また何を言い出すとも知れず、ルーカスはすぐにでも逃げ出したい衝動に駆られた。
だが、誤解したままのセイランから殺気を向けられ、野次馬と化した騎士達の目がそこらにある。
逃げ場がない。
ただ真面目に職務に当たっていただけなのに、どうしてこうなるのか。
理不尽を絵に
けれど、そう遠くない未来で気付く。
ここが戦場で、この平和は
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