第十二話 平常心、平常心だ

 リエゾンから王都へ帰還して邸宅へと戻ったルーカスは、緊張感から上手くイリアと話す事が出来なかった。


 見兼ねたシェリルが助け舟を出し、庭園で朝食を摂る事になったのだが——。


 エスコートに手を繋いだのは失敗だった。


 緊張がやわらぐどころか、羞恥心から余計に気まずい空気となってしまった。


 それでも何とかイリアをエスコートして朝食の席——庭園の景色を楽しむために壁をなくし、柱と屋根で造られた八角形の東屋ガゼボ辿たどり着く。


 そこには上品な意匠のテーブルと椅子が二つ。

 テーブルには白いレース生地のクロスが敷かれ、その上にカトラリーが並んでおり、準備は万全に整えられていた。



(ようやく着いた……)



 ルーカスは無事イリアをエスコート出来た事にほっと胸をで下ろす。


 テーブルの近くまで来ると繋いだ手を離し、椅子を引いて、イリアが着席するのを待った。


 イリアは引いた椅子に腰を下ろすと、「ありがとうございます」と赤らんだ頬で微笑んだ。


 ルーカスはむずがゆい気持ちをいだきながら「どういたしまして」と微笑み返すと、自分も反対側の椅子へ腰を下ろした。


 対面したイリアがまぶたを閉じて深呼吸をしている。

 椅子に座った事で気持ちが落ち着いたのか、彼女の頬の赤みは幾分か引いたようだ。


 イリアは閉じたまぶたを開くと、こちらをじっと見つめた。


 勿忘草わすれなぐさ色の瞳。

 何度見ても、澄んで綺麗な色をしている。



「ルーカスさん。ありがとうございます」



 薄桃に色付く彼女の唇が言葉をつむいだ。



「お礼ならさっき聞いたぞ?」



 銀の髪を揺り動かして、イリアが首を横に振った。

 てっきりエスコートのお礼かと思ったのだが違った様だ。



(他に何か……礼を言われるような事をしたか?)



 むしろ目覚めた時の件を謝らなければと思っていたので、思い当たるふしはない。

 ルーカスは首をひねった。



「ちゃんと伝えないとって思ってたんです。あの時、魔獣から助けてくれた事、ここに保護してくれた事も。感謝しています」



 イリアが深々と頭を下げた。


 しかしそれは、礼を言われるような事ではない。

 魔獣討伐任務で彼女と出会ったのも、助ける事が出来たのも、偶然が重なった結果だ。

 


「気にしなくていい。魔獣討伐は任務での事だし、ここに連れて来たのは——俺の我儘わがままみたいなものだ」



 あの時——。


 倒れるイリアを見て、誰にも触れさせたくないと思った。

 君を助けるのは自分でありたいという、傲慢ごうまんな願いをいだいた。



(……浅ましい想いだな)



 ルーカスが自嘲じちょうめいた笑みを浮かべていると、「それでも」と、イリアが言葉を続けた。



「私が伝えたかったんです。この気持ちを」



 彼女の瞳が真っ直ぐと見つめて来る。

 ルーカスは目がらせなかった。



「ありがとうございます、ルーカスさん。それから……おかえりなさい」



 イリアが微笑んだ。

 陽の光にキラキラと輝く銀糸を風になびかせて、花が咲いたような笑顔に目が奪われる。



「ああ……ただいま」



 みなからも貰った言葉。

 只々ただただ嬉しかったそれが、彼女の口からつむがれると、嬉しさとは違う別の感情で胸が熱くなった。



「……この前の事は、本当にすまなかった」



 ルーカスはイリアが目覚めた直後の件の謝罪に頭を下げた。


 手紙でも伝えてはいるが、やはり謝罪は対面で、誠意を持っておこなうべきである。



「大丈夫です。私も誤解してましたから、お互い様です」



 顔を上げると、イリアはおだやかに微笑んでいた。


 彼女の言葉と笑顔に、謝罪が受け入れられたのだとさとって、胸のつかえが取れて行く。



「ありがとう、イリア」

「これで仲直りですね」



 イリアがはなやかに笑った。

 


(ちょっと違う気もするが——彼女が笑顔ならそれでいいか)



 イリアの笑顔に釣られてルーカスも自然と顔がほころんでしまう。


 笑顔が咲いてなごやかな空気が流れ始めると、それを見計らったかのように朝食が運ばれて来た。


 今日の朝食の目玉はエッグベネディクトらしい。

 トーストしたマフィンにベーコン、ハム、ポーチドエッグを乗せ、オランデーソースをかけた料理だ。


 料理の乗った皿が次々とテーブルの上に乗る。


 焼き立てのロールパン、白パン、クロワッサン。

 色取りの良い新鮮野菜とたまごのサラダ、香草焼きの魚にローストビーフ。


 じゃがいもの冷製スープ。

 他にも数品、副菜におかずが並べられた。


 二人分なので量はひかえめだが十分な品数がある。


 テーブルを彩る料理に、イリアが目を輝かせていた。



「さ、料理も来たことだし、いただこうか」

「はい!」



 ルーカスとイリアは拳を握って胸に当て目を閉じると「日々の恵みに感謝を」と食事の際の挨拶を口にした。


 並べられた料理を手に取ったイリアが、綺麗な所作でカトラリーを扱い、口に運んだ料理を美味しそうに頬張ほおばっている。


 その様子をながめながら、ルーカスも朝食を楽しんだ。






 会話を交えての楽しい食事を終えて、空いたお皿が下げられると、食後には紅茶が運ばれて来た。


 金のがらえがかれた、白い陶磁器とうじきのティーセットに侍女が手際良く紅茶を注ぎ、カップをそれぞれの机の上へ静かに置いた。


 ルーカスはカップを手に取り、満たされた深いべに色の湯を口に含む。


 芳醇ほうじゅんな香り、程よい苦みと甘み——このんで飲む、いつもの味だ。


 イリアもカップに口をつけ、一口飲んだところで「あ!」と声を上げた。



「どうした?」

「これ……確かルーカスさんの好きな茶葉ですよね?」

「ん? 良く知っているな」

「シェリルさんが『お兄様のおすすめの銘柄めいがらなんですよ』って言ってたから、そうかなって」


(……シェリルからの情報か)



 イリアが自分の好みを覚えていたのかと一瞬思ったが、違ったようだ。


 思い出せば懐かしい話だが、この銘柄めいがらの茶葉を好きになったのには理由がある。

 


「元は君が俺に教えてくれたんだ」

「私が……?」



 イリアは驚いた様でぱちくりと目を開いた。

 やはり覚えてないのだろう。



(記憶がないのだから、仕方ない)

 


 ルーカスは注がれた紅茶を飲み干すと、控えの侍女に告げて二杯目を頂き——紅茶の注がれたカップを口へ運んだ。



「……ルーカスさんと私は、友人……その、こ、恋人、だったんですか?」

「ぐっ! げほっ」



 唐突とうとつなイリアの発言に、ルーカスは口に含んだ紅茶でむせた。



「だ、大丈夫ですか!?」



 イリアの心配そうな声が響く。

 紅茶が変なところに入り込んでしまって、ルーカスは何度か咳を繰り返した。



(記憶の事を聞かれるだろうとは思っていたが、何故そんな結論に至ったんだ……?)



 立ち上がり駆け寄ろうとするイリアが見えたので「大丈夫」と手で示して、呼吸を整える。



(平常心、平常心だ)


「……んんっ。……その、友人ではあるが、恋人では……ない、な」

「あ、ち、違うんですね」



 勘違いだと知って、イリアは顔を赤らめてうつむいてしまった。


 ——またしても気まずい雰囲気だ。



「……何故、そう思った?」

「えっと、だって、侍女さんと、お医者様が……。シャノンさんとシェリルさんも、あんな事言うから、てっきり……!」



 イリアはよほど恥ずかしかったのだろう、ますます赤くなった顔を両手で覆って伏せた。



(なるほど、留守にしている間にある事ない事吹き込まれた訳だ。

 ……みなにはあとで詳しく聞く必要がありそうだな)



 表面上は笑顔を取りつくろうが、内心はおだやかではない。


 彼女に誤解を与えた者達への罰は何にしようか——と、心の中で冷笑した。

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