「俺は犯人じゃない!」

吹井賢(ふくいけん)

「俺は犯人じゃない!」



「―――だーかーらっ! 俺は犯人じゃねーっての!!」


 八月。某日。都内某所。

 うだるような暑さが続く夏の休日の昼下がり。


 仕事の為にマンションを出た俺が、交差点で信号待ちをしている時だった。

 突如として腕を掴まれた。


「いいえ! ボクはちゃんと見てたのです! あなたが、そこの彼を突き飛ばしたのを!」


 長い髪を派手なピンクに染めた若い女は、頬をぷくりと膨らませる。


 ……周囲の視線が痛い。

 通行人達は、何事だろう?と怪訝そうにこちらを一瞥し、しかし立ち止まることはなく去って行く。

 無理もない、この暑さだ。揉め事にわざわざ首を突っ込む気にはならないだろう。


 歩行者用の信号機はとうの昔に青になっていた。

 というか、既にもう、赤に変わっていた。


「ほら、そこで座ってるあなたも! いつまで座ってるですか!?」

「え、自分ですか?」

「お前以外に誰がいんだよ」


 俺は呆れて言う。


 つーか、よく座ってられるな。

 自動車に轢かれ掛けたところだってのに。


 そもそもこの事件――いや、これを事件と見做すかどうかには議論があるだろうし、俺としては猛然と反論している次第なんだが、それにしたって、この事件の当事者、車道に突き飛ばされた張本人が、なんでのんびり木陰に座ってんだよ。


「だって、しんどいじゃないっすか。よくそんなに大声出せますね、お二人共」


 出したくて出してるんじゃねえよ。

 このままだと、「信号待ちの若者を車道へと突き飛ばし犯」として逮捕されかねない勢いだから反論してるだけだよ。


「……『信号待ちの若者を車道へと突き飛ばし犯』って、なんすか?」


 知るか。

 俺に聞くな。

 このピンク髪の主張を纏めるとそうなるだけだ。


 曰く、信号待ちの最中、アンタが突然、車道にふらふらと出て行ったけど?

 それは、後ろにいた俺が突き飛ばしたからで?

 つまりは、俺は殺人未遂犯、ってことらしい。


「え、あなた、殺人犯なんですか。怖いっすね」


 ……お前を殺した殺人犯だとしたら、お前死んでなきゃおかしいけどな。

 なんでそんなに他人事なんだよ、お前。


「いやもう、なんか助かったから、どうでもいいかなー、って……」


 適当が過ぎるだろ。


「だって暑いんですもん」


 そのことだけは同意できるね。

 俺ももう、帰りたいよ。


 と、その時だった。



「―――ハッハー! 聞かせてもらいましたよ、ミナサーン! ここは、名探偵である私の出番のようデスねー?」



 ……また変な奴が増えた。


 声の主は、すぐ傍らの喫茶店のテラス席に座っていた。


 物凄い恰好の奴だった。

 チェックのインバネスコートに鹿撃ち帽という、シャーロック・ホームズのコスプレとしか表現できない出で立ちで、口にはパイプまで咥えている。

 なお、火は点いていない。

 多分、禁煙席だからだろう。


「ハッハー! この名探偵・エルロック=光悦二世にお任せあれデース!」


 ……ヤバい、ツッコミところが多いぞ?


 まず「名探偵」を自称する奴なんて信用ならないし、仮に本当に探偵でも、殺人事件の謎を解いている探偵なんて現実にはいないし、格好も片言の日本語も訳が分からないし、そのイギリス人なのか日本人なのか何なのか分からない名前はなんなんだ?

 発言を全く信用する気にならない。

 ま、他人の言葉なんて、信用するもんじゃないけどな。


「私、エルロックは、かの名探偵、エルロック=ショルメの孫なのデース!」


 それモーリス・ルブランが書いたシャーロック・ホームズのパチモンじゃねえか!!


「オマージュと言って欲しいのデース!」


 エルロックは、優雅に――腹の立つことに仕草だけは本当に優雅だった――パイプを手にすると、喫茶店の席を指し示した。


「私も事件の模様を見ていたのデース!」


 言われてみれば、ずっとそこの席に座っていた気がする。

 関わり合いになりたくないから視界に入れないようにしていたんだと思う。

 無駄な努力だったが。


「さあ、ミナサーン! カムヒア、デース! 私、エルロックの推理を披露致しましょうー! ハッハー!」

「……そっち行かないとダメか?」

「駄目なのデース! そんなところで話していたら、熱中症になってしまいマース! 熱中症は危ないデース!」


 くそ、事実だけに言い返せねえ!


「流石探偵さん、頼りになりますね! あ、店員さーん! ボク、アイスコーヒー!」


 ピンク髪は、ご機嫌な様子で自称・名探偵の隣に腰掛ける。

 何がそんなに楽しいんだろうか?


 俺は、被害者(推定)の顔を見る。


「……自分達も行きます?」

「はあ……。行くか」


 猛ダッシュすれば逃げ切れる気がするが、「やましいところがあるから逃げたんだ」と思われてはたまらない。

 被害者(推定)と犯人(断固否定)は、連れ立って喫茶店へと向かった。


 信号はまた、青に変わった。


「さて。とりあえず、自己紹介をするのデース!」

「……一応聞いておくが、なんでだ?」


 紅茶を口へと運び、自称・探偵は言った。

 ……どうでもいいが、シャーロック・ホームズはコーヒー派だぞ?


「無論デース! 言うまでもないことデース! ここから先は手の運動デース!」


 いいから早く言え。


「名前を知らないと、犯人を指摘する場面で、バッチリ決まらないからデース」


 そんなことだろうと思ったよ。


「あ、じゃあじゃあ! ボクからするね!」


 勢い良く手を挙げたピンク髪が言う。


「ボクは桃山モモって言うんだ。一応、アイドルやってまーす!」


 アニメみたいなピンク髪でアニメみたいな服装のコイツは、アイドルらしい。

 ……こっちも「自称」って付けとくか。


「へえ、凄いですね。アイドル」


 被害者(推定)が内容の薄い言葉を返す。

 ピンク髪、もとい、桃山は「でしょでしょー?」とご満悦だ。


 というか、『桃山モモ』ってどんな名前だよ。

 名付けた親の顔が見てみたい。

 芸名か?


「秋葉原でたまにライブやってるから、今度来てねー!」

「ハッハー! 行かせてもらいマース!」


 行くな、帰れ。

 いや行ってもいいから俺を帰らせろ。


「じゃあ次、自分が……。自分は萩原通と言います。大学生です」


 ごく普通の名前の被害者(推定)は、この状況でバニラパフェを注文していた。

 コイツ、大物かもしれねえな……。


「では最後に、犯人サーン! よろしくお願いしマース!」

「だから、犯人じゃ……はあ。えーっと、俺は今宮。今宮公平だ」

「特徴のない名前デース」


 うるせえな。

 エルロックなんたらとかいう名前よりはよっぽどいいと思うわ。

 悪目立ちしないし。


「名前をどうこう言うなんて、酷いデース……」

「お前が先に名前いじりしたんだろうが!!」


 今宮公平って名前に拘りはないから、別にいいんだが……。


「それでは、状況を整理したいデース」

「はーい」

「分かりました」

「ああ……」


 もうどうにでもなれだ。


「事件発生日時は十分ほど前、場所はすぐそこの交差点デース。その時、横断歩道の前には、信号待ちの方々が十人程度いたように記憶していますが……合ってマスかー?」

「ボク、被害者の萩原クン、犯人の今宮クンに、あと五人はいたよね?」


 とりあえず「犯人」って呼ぶのをやめろ。


「自分は一番前に立っていたので具体的な人数は分かりませんが、確かに十人くらいは待っていたと思います」

「なるほどデース。犯人、あっ、間違えた、今宮サンはどうデスかー?」


 犯人呼ばわり以外は訂正すべきところはないよ。

 そんなもんじゃなかったかな。


「その信号待ちの最中、突然、萩原サンが車道に飛び出した……間違いないデスか?」

「合ってる!」

「はい。轢かれ掛けました」


 轢かれ掛けた直後にパフェを食えるお前は本当に凄いと思うよ。


「そして、その時、萩原サンの真後ろには今宮サンがいた……。これも、間違いないデスか?」

「ああ。それは間違いない」

「では、やっぱりあなたが犯人デース!」

「なんでそうなるんだよ!!」

「だよねー」

「だよねー、じゃねぇ!!」


 今から情報を集めて、推理するところだろうが!!

 推理小説なんて久しく読んでないから分からないけどもさ!!


「では今宮サン、反論はありマスか?」

「……大有りだよ。最初に、えーっと……萩原」

「はい。自分ですか?」

「お前がふらっと車道に出たのは俺も見ていたが、それは突き飛ばされたからなのか?」

「異議あり! 今のは誘導尋問デース!」


 何処がだよ。


「異議を認めます」


 おいピンク髪、認めるな。


「それが自分、よく分からないんですよねえ。何しろ、暑かったから……」

「日差しのせいでふらついたかもしれないと?」

「押されたような気もするんですけど……。あまりにも暑くて、意識もしっかりしてなかったんで……」


 ……お前、大丈夫か?

 熱中症じゃないだろうな。

 だとしたら、こんなところにいないで病院に行くべきだぞ?

 パフェ食ってる場合か?


「なかなか難しい事件デース。被害者の認識がはっきりしていない、でも、桃山さんは今宮さんが被害者の背中を押すところを見たんデスよね?」

「見ました! だからボクは咄嗟に、手を掴んだんだよ」

「目撃者である桃山はどの位置に立っていたんだ?」


 そう、その情報は重要だ。


 ん?

 今の声、誰だ?

 年配の男性の声だったが……。


「―――話は聞かせてもらった。俺は捜査一課の刑事、仏谷だ。殺人未遂ということなら、俺も手を貸そう」


 そうして隣の席の男は呼んでいた新聞を畳み、警察手帳を見せてくる。


 うわあ……。

 本物の警察が来ちゃったよ……。


「なるほど、車道への突き飛ばし、か……。悪質だな」

「悪質デース! きっと階段から突き落としたりもしていマース! 二つ名は『押し屋』デース!」


 そんなあだ名の殺し屋がいるか。

 伊坂幸太郎の読み過ぎだ。


「はあ……。刑事さんも何か言ってくださいよ。具体的には、証拠不十分だ、って」

「実際に俺が見ていたなら証言できるんだがな、俺は今、張り込み中で、お前達の立っていた交差点の方を見ていなかったんだ」


 張り込み中?

 張り込み中にこの馬鹿な話に口を挟んできたの?

 仕事をしてくれ、警察。


「安心しろ、張り込みは続行中だ。ただ、張り込みをしていたからこそ分かることもある」

「聞かせてくだサーイ!」

「俺はここ一週間ほど、ここで張り込みをしていたんだがな、被害者である君と、そこのお兄さんは、いつも大体、同じ時間にここを通るな?」

「そりゃまあ、自分は大学がありますんで……」


 俺も仕事だよ。


「仕事? 昼過ぎからデスか? 怪しいデース!」


 放っておけ!

 世の中の大人の皆が皆、会社員やってると思うなよ!


「それって何か関係するの? ボク、分かんないんだけど」


 あとお前、その一人称と話し方、可愛くないからな?


「は? 殺すぞ?」


 おまわりさーん!

 殺人予告を受けました!!

 コイツを今すぐ捕まえてください!


「関係するかどうかは分からん。が、一つの情報として提供しただけだ。お前達は楽しそうに騒いでいるが、そこの彼が轢かれて死んでいたならば、立派な殺人だ」


 おお……。

 まともな発言だ。

 伊達に警察官じゃないな。

 何処ぞの探偵(自称)と違って。


「すみませーん! パフェ、おかわりでー! 次はチョコでお願いしまーす!」


 ……殺され掛けた当人がこんな調子だから、シリアスさも吹き飛ぶけどな。


「刑事の視点で意見すると、考えるべきは動機だ。動機なき殺人はありえない。萩原君、そこの彼とは知り合いかな?」

「あ、自分ですか?」


 お前以外にこの場に「萩原」はいないよ。

 そしてパフェを食べる手を止めろ。


「うーん。知り合いって言うほどじゃないですけど、顔は知ってます」

「やっぱり恨みを買ったことがある!とか?」


 黙れ、ピンク髪。


「は? お前が黙れよ、うすらぼんやりした顔しやがって」


 こわっ。


「刑事さんが言うように、最近、通学中に見掛けることが多いんで……。ああ、そういや講義! まあいいか、補講だし……」


 いい加減な大学生だなあ。


「会話をしたことや、恨みを買った覚えは?」

「さあ……? ないと思いますけど」

「今宮君の方はどうだ? 彼を知っているか?」

「知っているか知らないかで言えばそりゃ知ってますけど、恨んでたり、憎んでたりっていうのはないですよ」

「なるほどデース。犯人だとすれば発言は信用ならないデスが、分かりました」


 信用ならない、って言葉は、お前みたいな恰好した奴に告げるものだよ。


「そういや、アンタ等、さっき俺の立っていた場所について話題にしてたが、俺の犯行を目撃したという桃山さんがいた場所も確認すべきじゃないのか?」

「どうしてデース?」


 そこは分かれよ、ミステリ好きなら!


「いやだからさ、俺が萩原さんを突き飛ばしたって証言があるわけだけど、それを目撃できる場所に桃山さんがいなけりゃ、その証言は勘違いってことになるだろ?」

「ふにゅー! ボク、嘘なんて吐いてないもん!」


 ぷくり、と頬を膨らませる桃山。

 だから可愛くないっての。

 むしろ痛々しいよ。


「じゃあ痛々しい桃山サン、事件当時、何処に立っていましたか?」

「ボクは今宮クンのすぐ傍にいたよ。だから手を掴めたわけだし」

「でも、それを証明する人はいないよな?」


 萩原は俺の前にいて、俺はこの面白ガールのことを気にしないようにしてたから、あの場にいたとは思うが、何処にいたかは分からない。


「じゃあなんですか? ボクがやったって言うんですか!?」

「そこまでは言わないが……」


 俺は「勘違いじゃないか?」と言っているだけで、お前が嘘を吐いているとも、お前が犯人だとも言ってないよ。


「―――あれー。まだやってたんですか、その話」


 と。

 声を掛けてきたのは、童顔の少女だった。


 一応聞くけど、お前、誰?


「私は長尾です。長尾礼。身分的には高校生ですけど……まあ、野次馬ですかね?」


 ……野次馬まで来ちゃったよ……。


「びっくりしましたよ。本屋に行く道中、なんか言い争いしてるなーと横を通り過ぎて、本買って帰ってきても、まだやってるんですもん」


 俺もびっくりだよ、この状況。


「しかも、皆でお茶してるんですもん」


 それについてはツッコむな。

 熱中症は危ないんだ。


「あ、危ないで思い出しました」


 何をだ?


「そこのお兄さん……えっと、」

「自分ですか? 萩原です」

「萩原さん、前もこの辺りで倒れてましたよね?」


 …………は?


「あれもびっくりしましたよー。信号待ちしてる時に、急にへたり込んじゃうんですもん。その時は持病の貧血が酷いって言ってましたけど……」

「……ああ! 君、あの時、スポーツドリンクを買ってくれた子か!」

「…………おっと、そろそろ署に戻らなければ」


 おい、張り込みはどうした刑事。

 せめて一言詫びてから帰れ。


「そうなんだよ。最近、酷くてさあ。今日もふらふらで、長い時間立ってると、足元が覚束なくなっちゃうんだよね」

「ハッハー! それは大変デスねー! あ、すみませーん、電話デース! ……はい、田中です」


 誰だよ田中。


「はい……。え、今からですか? はい……。はい、でも、今日は休日……はい、いえ、なんでもないです、向かいます……」


 ……見たくなかったな、名探偵のこんな姿。


「あ、ボクも武道館のライブが……」


 嘘吐け。

 あと、そっちは駅とは逆方向だぞ?

 お前は何処に向かっているんだ?

 人生的な意味も含めて。


「じゃあ、野次馬するような事件でもなかったみたいですし、私もこれで失礼します」


 ありがとう、通りすがりの少女。

 この事件の関係者でまともなのはお前だけだったよ。


「……みんな、行っちゃいましたね」

「そうだな。清々したよ」


 心の底からそう思う。


「じゃ、自分もそろそろ行きます。四限には間に合うでしょうし」

「ああ、気を付けてな」


 これも心の底からの言葉だ。


「すみませーん! お会計、お願いしまーす! あ、会計別、パフェのみでーす!」


 …………ん?

 ちょっと待てよ?


 この置かれたままのコップやティーカップ……。


「ちょっ、お前等何処行った!? 待てコラ!!」

「……お客さん、困りますよ、食い逃げは」


 いやだから。

 全くもう、揃いも揃って。


「だーかーら――――俺は、犯人じゃねーっての!!」


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