6話 最悪のキリンが見える港湾

 歩実の車で走り出した途端、ソニが目を輝かせた。

「速いスネイル! 変な感じします。面白いです」

 トニーは素直に笑った。

「クーペの走りをカタツムリを使って例えたのは初めて聞いたよ」

 表情に大きな変化はみえないものの、言語表現が妙になっていることからして興奮しているようだった。

 車高が低いから当然、目線も低くなる。身体能力の高いソニらしく、普段乗っている車との微妙な違いを身体で感じとり、楽しんでいた。

 港湾に近づいていくほど、見上げるビルは少なくなり、空が大きくなってくる。

だからといってトニーには、さして良い景色とも思えないのだが、ソニは広がる空間を見上げ、交差する陸橋を目で追い、飽きることなく流れる風景に見入っていた。

 そんな時間も三十分ほどでおわる。ガラガラの有料駐車場にとめたクーペから降りると、ふたりで海風に吹かれながら、突堤のほうへと歩いた。

 柵のそばに立ったソニが、寒いなかでニット帽をはずした。風で髪を自由にあそばせる。誰に言うでもなく言葉をこぼした。

「広いです……青いです……海の端、少し丸いです」

 当たり前な感想しか出せないことで、ソニがここに来たがった理由がわかる。誰もがわかっている当たり前でも、ソニにとっては新鮮なのだ。

 トニーは三メートルほど離れた場所にあるベンチにすわった。

 河口が近い。潮風のにおいが薄くて海にきた感じがしないかと思ったが、ソニには満足いただけたようだった。

 トニーも首をめぐらせた。

 遠くの岸壁には、空に突き出るように「キリン」が立っている。コンテナの積み卸しをするガントリークレーンの通称で、四本足で立つシルエットからクレーンでも「キリン」と呼ばれていた。

 その足元に見えるのは積み上げられたコンテナ、周辺には倉庫、はるか後ろで灰色にぼやけたビル。金属とくすんだ色を組み合わせた殺風景に、この寒空。突堤にやってくる物好きは他にいなかった。

 ソニの後ろ姿を黙ってながめる。変化のない湾の景色を飽きずに眺めているソニの手元に、ふと目がとまった。

 転落防止柵にふれている手が、固く握りしめられている。

 斜め後方からうかがったソニの目は、この景色の中のどこも見ていないように思えた。

 様子がおかしい。

 トニーがソニの教育係となって、一ヶ月も経っていない。それでも、寝る部屋まで一緒に過ごしていると、ソニという人間を把握できてくる。

 ソニは、トニーにも弱みを見せようとしなかった。できないと判断されれば、即座に切り捨てられる組織にいたなら当然だ。

 今も同じように考えているのなら無用の心配だった。バイロンは一方向だけで判断することがない。背信行為には容赦がないが、安易に見限ったりはしなかった。

 悩みや迷いがあるなら隠さずバイロンに報告したほうが——と、思考とは別のところで、トニーの身体が反応した。

 一瞬の、小さく鋭い光を視界の端でとらえた。

 瞬息でベンチから飛び出す。

 刺してきた光とソニの間に、自分の身体を割り込ませる。柵からソニをひきはがし、地面に転がり伏せさせた。

「アントニアさ……敵!?」

 ソニも反応した。ボディバックを開き、素早く右手を入れる。

「待て!」

 その手をおさえ、トニーは苦笑いで応えた。

「悪い、あたしの早とちりだった。大丈夫だよ」

 トニーは視線で、その原因をさす。ゆっくりとしたスピードで、ビッグボートが海上を滑っていった。

「……船?」

「船上にある何かに、太陽光が反射したんだろうね」

 それだけでソニに通じた。ライフル・スコープや、双眼鏡からの反射だと思った勘違い。

 身体を起こし、ソニの腕を引いて立たせた。

「まあないよね。不安定な洋上から狙撃してくる腕前に狙われるほど、あたしもソニも上等なまとじゃない」

 厳しい規制のなかでも銃器は出回っているが、さすがにスナイパーライフルとなると、まずない。使える人間も限られる。

 身の安全に注意をはらうことが習慣とはいえ因果だった。足を洗ったとしても、この条件反射は、この先ずっと持ち続けることになる。

 頭のすみに一時保留していた思いが浮上した。しかし、

「冷えてきたから引き上げよう。明日の仕事に差し障りがでる」

 出たのは別の言葉だった。

 ソニをこの仕事から引き離すのなら、脅しとして利用すべきだったかもしれない。反面で、他人の生き方に関わりたくない気持ちもある。

 トニーは、後者の気持ちが勝ったのだと思っていた。



「冷えてきたから引き上げよう。明日の仕事に差し障りがでる」

 ソニは素直にうなずいた。

「はい。帰ります」

 そう言った内心で焦っていた。

 まだ、話せていない。早くしないと、また言えないままになってしまう——。

「興ざめさせた。埋めあわせするよ」

 謝られることではないし、かばってくれたことが嬉しい。だから気持ちを素直に言葉にのせた。

「カバー、ありがとうございます」

「ん? ……ああ」

 トニーとしては無意識のまま動いただけなのだろう。自分よりスキルが足りない者が相棒になればサポートする。ただそれだけのこととして。

「場数を踏んで腕が上がったら、今度はソニが別の新入りをサポートしてやればいい」

 駐車場へと歩き出した背中を追ってソニも歩く。

「途中で食事をとってから帰ろう。まだ時間が早いから、先にデザートだけでもいい」

 話を切り出すタイミングがつかめない。

 トニーとの話は、指示への受け答えや質問といった具合に、仕事に関することがほとんどだった。近接格闘術や射撃のスキルがあがっても、言いたいことを自分から話す経験はとぼしいままだ。

 能動的に話せない。だから埠頭にいるとき、互いに黙ったままでいると、そのままになってしまった。

 タイミングが悪いことに歩実のクーペで来ている。復路でも車の扱いに慎重になり、運転に集中してしまうだろう。今のうちでないと……

 焦る気持ちで注意が散漫になった。駐車場に入るわずかな段差に、ソニは足をひっかけた。

 とっさに反対側の足を出して転倒を防ぐ。が、はずみでボディバッグの中身が飛び出した。ハンドガンを取り出そうとしたあと、ファスナーを閉め忘れていた。

「ソニがこけるなんてめずらしい。平気な顔してたけど、疲れがたまってた?」

「大丈夫です。明日、ちゃんと働けます」

 さいわい銃は路上に落とさなかったが、いくつかの私物が散らばった。

 そのなかのひとつが、太陽光を反射する。急いで拾いあげようとしたが遅かった。

 ソニの私物は少ない。ひざまずき、手伝おうとしたトニーの目はすでに、真鍮製のそれにとまっていた。

 ソニの動きが凍りつく。

 真鍮製のブックマーカーへと手をのばすトニーを、まばたきもせず凝視した。



 トニーはブックマーカーを拾いあげた。

 ソニが教科書以外の本を読んでいるところを見たことがなかった。誰かにもらったものを、そのまま持っていたのかもしれない。

 しかし、ありきたりでありながらも見覚えのあるデザインだった。

 ボディの先についた、小さなプレートに目をやる。

 刻印された「C.F.」の文字。

 トニーは息を呑んだ。もうひとつのことを確かめるため、シルバーゴールドのボディ部分を確かめた。

「I do not forget you」のメッセージがあった。

 一般的なイタリック体などではなく、トニーが選んで別注した、手書き風のフォントで。

 プレートの「C.F.」は、チャンフロラ。妹に贈ったもので間違いない。

 感情の消えた声で訊いた。

「なぜ、おまえがこれを持っている?」



 トニーの冷然とした眼差しに拘束される。

 ソニの喉がひきつった。

 トニーと初めて遊びにきた場所で、話すまえに露呈する形であきらかになるなんて、最悪の展開だった。

 トニーの心証を損ねたのは間違いない。出そうとする言葉が、喉で塊になってつっかえた。それでもすべてを話さなくてはいけない。危険から身を盾にして護ってくれるトニーに応えたかった。

 いまのままの日々を続けたい望みは捨てる。

 ソニは、かすれる声で、強引に言葉をつなげようとする。

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