第5話 僕はこの世で消えていた

 朝起きたら、俺は昨日の彩のままだった。やっぱり、元の俺には戻らないのか。じゃあ、当面、女性として暮らしていくしかないな。


 今日は、俺が一昨日まで暮らしていた吉祥寺の実家に行ってみることにした。男性としての俺は、そこにまだいるんだろうか? 親はどうなんだろう? 男性としての俺に会ったら、2人とも消えてしまったりするんだろうか?


 今日は、少しがんばって、薄手のワンピースで行くことにしたんだ。まだ、トップスとボトムスの組み合わせとかよく分からないから、ワンピースにして、周りの女性をよく観察してみることにした。


 でも、薄手のワンピースって、さすがに、女、女した格好で、恥ずかしいな。鏡に映った自分は自分で見ても可愛いが、これが自分だと思うと、こんな姿で外を歩けるのか不安になった。途中で男性に戻ったりしたら目も当てられない。


 また、昨日もそうだったが、歩く時に少し違和感がある。歩き方とかも勉強した方がいい。また、昨日、思ったんだが、女性独特の話し方があって、声は女性でも、なんか付いていけてない気がする。今夜は、女性の話し方も勉強してみよう。


 大学の寮から、最寄りの広尾駅に行き、恵比寿、渋谷経由で、自分の家にある吉祥寺に向かった。今日も、電車の中で、どうしても、男性の視線が気になる。あの男、ジロジロ見やがって。お前の女じゃないんだよ。睨むと、相手の男は、慌てて自分のスマホに目を向けた。


 電車の中では、女性の服装を観察したんだ。トップスをボトムスに入れるとか、外に出すとか。どういう色合いの組み合わせが一般的なのか。でも、女性の服って、ボタンで前開きになっていない服も多いし、なんか不思議だ。


 服によっては、肩に複雑にラインが出てて、今の俺には絡まって着れないんじゃないかって思える服もあった。


 男性の服よりも、多様性がすごい。男性なんて、シャツとジーパンとかだけって感じだけど、女性は、あまり同じ服装というのを見ない。そうは言っても、流行りなのか、一定の傾向もあるようだ。まずは、それに慣れないと。


 吉祥寺に着いて、外を歩いたが、ブラをしてるものの、歩くたびにバストが揺れて、本当に違和感がある。これはいつになったら慣れるんだろうか。また、大股で歩けないのも気になる。歩く幅は、ワンピースが制限してしまう。


 そんなことを考えながら歩いていくと、俺の家があったところに着いた。


 え、家がない。俺の家が、なんか2階建てで1階はラーメン屋になってる。あれ、ここにあった自分の一軒家がなくなっている。どうしてだ? 近所のおばさんが来たから聞いてみることにした。


「あの〜、ここに、昔、清水さんていう人の一軒家があったような記憶があるんですけど、何か覚えていませんか?」

「どなた? 私、ずっとこの辺に住んでるけど、ここはずっと昔からこのラーメン屋ですけど。清水さん? このラーメン屋さんが清水さんなんですかね。よく知りません。急いでいるんで、すみません。」


 どうなっているんだろうか。俺がいた痕跡がなくなっている。俺の家以外は、ほとんどそのままだ。右側の家は里さん。左側の家は武藤さん。そのままだ。どうして俺の家だけ、なくなってるんだ。


 俺は永遠に戻れないのだろうか。ずっと、この体で過ごしていかなくちゃならないのか。何もかも分からない。なんか、この世界から俺がいなくなってしまったようで、頭の中は真っ白になった。もう、俺には戻れないんだ。この体で、ずっと過ごすしかない。


 膵臓がんで死ぬのも嫌だが、男友達で、いい女性と寝たいって大声で騒いだり、女性なんてくだらないなんて笑っていたけど、俺は、その女性になってしまった。


 これから、女性として生きていけるんだろうか。これまで女性とは、母親とか学校の先生とか以外は、ほとんど話したこともないのに、女友達とかできるんだろうか。女性どうしの付き合い方がわからない。


 また、女性として男性を好きになり、男性と結婚して、子供を産む? そんなことができるんだろうか。男性から抱かれるなんて、思っただけでも気持ちが悪い。男性のアレを俺に入れる、そんなことできるわけがないだろう。


 横を歩く男性を見て、一般的にはイケメンと言われるんだろうが、この男性に口づけされるのを想像したら、吐きそうになった。胸が揉まれ、喘ぎ声を出してる自分の姿を想像したら、鳥肌がたった。俺が、そんな女になっちゃうのか?


 そして子供を産む? そもそも、子供なんて、これまで興味もなかったし、可愛いなんて思ったことはない。そんな俺が子供を産むなんて想像ができない。このお腹に赤ちゃんがいて、嬉しそうに笑っている俺なんているんだろうか。


 その前に、そういえば生理とかあるんだったよな。痛いとか聞いたけど、どうなんだろうか。毎月なんだろう。耐えられるだろうか。そもそも、血があそこから出るなんて、気持ちが悪い。これまでそんなことは穢らわしいと思ってきたじゃないか。


 女の体なんて嫌だ。人生をやり直すって言ったって、男性としてやり直すって考えていたんだよ。それなのに、こんなことになるなんて思ってなかった。なんとかならないのか。でも、どうしようもない。元に戻る方法がわからないんだ。元に戻れないって言ってたし。


 来る時には、活気がある商店街を通り過ぎ、温かい春の陽気に包まれている気分だったが、帰る時には、風景や、歩く人たちは目に入らず、灰色の世界のように見えた。


 まだ春になりきれない季節で、風が俺のワンピースを揺らし、寒さが体に染みてきた。この体、男性より寒さに弱いみたいだ。でも、気持ちの問題が大きいのかもしれない。


 思考が停止し、気づいたら、学校の寮の入口に佇んでいた。そして、今朝と変わらない景色と、陸上部だろうか、女子大生が声を出して一生懸命走ってる姿を見て、もっとポジティブに考えなくてはと自分に言い聞かせた。


 いきなり、陽の光が俺を照らし、明るい将来が待っている気分になってきた。どうしてだろう。なんか、気分の抑揚が激しい気がする。


 部屋で椅子に座って、買ってきたシュークリームを食べたら、なんか今夜のやるべきこととか考えていて、鏡を見ると、笑顔の自分がいた。でも、そういえば、俺って、こんな甘いスイーツを食べたいなんて思ったことなかったが、体が欲しているのだろうか。

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