電紋の末端はこの次元

佳原雪

改造人間訪問

次元移動船のキーを抜き、私は地上に降り立った。私の名前はノキュアプムカ・ウペドアキュデシス。ノキュアプムカが管理番号のひとつ目でウペドアキュデシスが二つ目だ。管理番号は発音が難しいので仲間内ではユーピドと呼ばせている。


今回の渡航は観光ではなく、保護活動だ。この愚かで劣った前時代の次元をアップデートするべく派遣された革命派の若きホープ、それが私、ノキュアプムカ・ウペドアキュデシスだ。あまねく人類はおろかですから、私たちみたいな先進的次元の住人が導いてあげないといけないってわけですね。私はここへ来る道すがら買った煙草に火を付けて、煙を食べた。身体に触れた部分から免疫機構がざわめいて、官能と爽快感をもたらす。原住民は身体の柔らかい部分全体でこれを味わうときいたけれど、私はとてもそんなことをする気にはならない。みっともないし、不道徳だからだ。私は地図を広げるために持っていた煙草を口にくわえた。


「スウーッ……ハアーッ、いやあ、いつきてもここは下品で粗野で未開の次元ですねぇ…… こんなものが未だに出回っているなんて……」


今日の煙草はスポンジの栓がないアタリの品で、端を千切る必要はなかった。全部これなら良いのに。アー身体に悪い、いけませんねこれは。こんなに身体に悪いものを習慣的に食べて、あまつさえ規制なしに流通させつづけているなんてこの次元の王はどうかしていますよ。これは意識のアップデートが必要です。ほんとにね、こんな横暴は私の故郷じゃちょっと許されませんよ。


「さて、仕事に入りますか…… 指定されたマンションはこの辺りですね。えーと。座標がこうだから、うーん、ここかな? 『かしわハイム』……ここですね」


手元の地図と目の前の建物が正しく一致していることを確認してから、鞄に地図をしまう。建物に入る前、舌に燃えさしを擦り付けて煙草の火を消した。瞬間、身体にビンと痺れが走る。どうもここらでは建物に火を持ち込むのが御法度らしく、こういうきれいな建物に入ると30%くらいの確率で頭から水をぶっかけられる。そう、だからこれは正しいことをしているんですよ。誰だって急に水をかけられるのは嫌ですからね。


「最上階の……えーと、頭が回らなくなってきました。緊張しているんですかね、ノーキュアプムーカ?」


扉の前に立ち、表札を二度確認してからピンポンを押し込む。ピンポン。情報によると、ここに件の改造人間が住んでいるらしい。この次元に住む人間への説得は後手に回っていたが、自ら肉体を改造しようという気概のある個体であれば話は円滑に進むだろうというのが上の見解だった。つまり今日の仕事は親善大使の勧誘だ。少し待ってもう一度押し込む。ピーンポーン。中から返事があったような気がしたが、扉が開く気配はない。いないのかなと思ってノブに手をかけると、扉は私を招き入れるようにスッと開いた。室内は暗く、外から差す光だけでは足下がよく見えない。


「あのお、こんにちは~。ミスタ・ヒラガ? いらっしゃいますかあ?」


奥へ声をかけるが、返事はない。扉を閉めると薄暗かった廊下は真っ暗になる。真っ暗な中に立っているとだんだん不安になってきて、私は手を突っ込んだ鞄の中から紙幣の束をつかみ出す。ざらざらとした緑色の紙は、あればあるほど不安が減衰するという東洋のペンタクルだ。その中でもとびきり効果があるというものを束から抜いて、横に畳んで口へ含んだ。なるほどこれは効きますね~~~~~! さすが皆が褒めそやすだけのことはあります。中に入ると、薄暗い部屋の中では五人ぐらいの人間が怒鳴り合いの喧嘩をしていた。真ん中に立つ優男が聖徳太子のごとく方々から責められている。


「何があったんですかぁ? ミスタ・ヒラガはどちらの方です?」


口から紙幣を外して訊ねれば、部屋の中にいた人間の視線全てがノキュアプムカの方を向く。じろじろと向けられた視線を前進で受けていると、私はなんだか恥ずかしくなってしまった。もうちょっとオシャレをしてくれば良かったですかね? でも今日は観光じゃなくて仕事なんですよねえ。


「なんだ、嬢ちゃん。こいつの知り合いか?」


「私が、ミスタ・ヒラガとってことですか? まあ、そんなとこですね。私たちはビジネスパートナーなんですよ」


これからそうなるとはいえ、今現在という観点で見るなら完全なる嘘だった。だが、それも些末なことだろう。人間は三人以上がそうだと認識していることを普遍的な真実だと思い込む癖がある。つまりここで宣言しておくことで、未来には確実にそうなることだろうし道義上の問題もない。ノキュアプムカは賢いですね。にこっと笑ってみせれば、中心にいた優男が困ったように私を見た。どうやらこれが家主らしい。


「あー、その。せっかくきてくれたところ悪いけど今日は帰った方が良いよ。いまは絶賛、取り込み中だから……」


「成果を上げるまでは帰れないのでお断りします。商談に入っても?」


「おい待て勝手に話を進めるな。ヒラガも電気料金を払え、もう支払期限はとうに過ぎているんだぞ。こうしている間にも俺の人件費分予算はカツカツになっていっている」


「いやー、ちょっと現金の持ち合わせがなくって…… インフラの中で電気が一番先に止まるのは知っているけど、絶対払うからあと二ヶ月待ってもらえない? 今申請出してる保険がおりたら三倍にして払うからさ……」


「ダメに決まってるだろ! おまえ、自分が今月いくら使ったのか明細見たことあるか? 今月分の支払いが滞るだけでこっちは首が回らなくなるんだからな!それくらい使ってるってことだからな!! 消費者金融でもなんでも頼って金作ってこい!」


なんか大変みたいですね。できることのなくなった私は鞄の中に入っている紙幣の束を取り出し、口に含もうとしてから、自分が今、大勢の前にいることを思いだしました。危ない危ない。あーでもなんか不安になってきたな~~~~~ ペンタクルを口にくわえる東洋の秘術を試したいな~~~~~~~~ オリエンタルの神秘感じたいな~~~~~ ここにいる全員殺して身体を勝手に持ち帰ったら両手に縄かかっちゃうもんな~~~~~~!


「……あぐっ?」


気付けば、先輩であるゼープケユム・ユヴウマークルクが瞼の裏で手招きをしていた。オールドマインカットの宝石になった先輩は八方に光を放ちながら言う。求めるから苦しくなるのですよ、手の中のものを差し出すのです。さすれば道は開かれん。頭の中がじわっと濡れて、私は愛がなんだったのかを強く実感します。これが愛! 不安によって諍いを起こす低レベルな野蛮人にさえ施しを与えるという徳を積んでこそ、私たち文明人はより高みに登れるということなのですね? はいそのとおりですよ。私は歓喜にブチ上がり、虹色に輝くユヴウマークルクに唇を押しつけた。


「ゼープケユム・ユヴウマークルク! 偉大なるじんしぇいの先輩に万歳三唱! 先輩! バンザイ! 先輩!!バンサイバンザイバンザイバンじゃッ! アッ! ジャッ! ジャッ!」


「えっ、何」


床にひっくり返った私を、床に座り込んだ男達がじっと眺めていた。私は背筋を伸ばして座り直し、ここへ来る道中で検問を通過したときと同じくらいの真顔になる。


「すみません、寝ぼけました。これ、良かったら使ってください。使い終わったら返していただければ結構ですので」


「はあ、どうもご親切に……」


私は緑のペンタクルの束を優男に押しつけた。そいつは受け取ったあとちょっとびっくりした顔をしてから、枚数を数え、集団の中で一番喋っていた男を引っ立ててガイカリョウガエという場所に出掛けていった。

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