生きてた証を文字で残す

ホコリ

今、此処で

 何かを書こうと思うが、頭に何も浮かばず、ラノベか散文かエッセイか迷った瞬間にふっと気づいた。十二年前ファンタジー系ラノベを書いていた自分はもうそのような想像力を持っていない。或いは、もうラノベを書く楽しさを感じないかも知れない。

 知らず知らずのうちに自分は社会という組み立てラインで「format」にさせられ、所謂「出世の王道」を歩んできたと心が言葉で表せない退廃的な気持ちにつきまとわれつつ、先週読んだ本の文を思い出した。

「時間は流れてない、流れてるのは我々自身だ」

 この短い文にいろいろと考えさせていた。「時間」はそもそも存在していなく、人間が勝手に意味を与えているのでは?十年前の出来事を「昨日」或いは「ついさっき」発生したと思ってもおかしくはならなく、まさに我々が常に遠い昔のことをつい先日のように思えるわけだ。(こういった現象は科学的な理論もあるが・・・)

 しかし、一つ確定できるのは昔の自分が消え去ったことだ。かつてラノベを書くたびに、まるで子供が好きなモノを見つけた瞬間に目がキラキラするほどの楽しさはもう二度と戻らないだろう。それなら、「明日」の自分は同じく今の自分を「追悼」するのだろうか?そうならないように自分が何をすれば良いのか、世間に謳われるエライ目標を目指して成し遂げれば良いのか、それで何の意味ある?それとも最初から何の意味もなく、ただ人間が勝手に物事に意味をつけてるだけだと自分は思わず苦笑した。

 文字で書いてみようか。今まで消え去った自分となりたい「明日」の自分を意味問わずに、「哀悼」と「祈願」の気持ちで記録し、生きてた証を残そう。


 乱筆・乱文にて大変失礼致します。

 今この瞬間の感想文を書かせていただきました。


—— From 名のない外人

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