116.皆が少しずつ間違えただけ

「俺はアリーチェ自身が選ぶべきだと思う」


 無責任なようだが……と苦笑いする。確かに今さらね。以前に相談したとき、婚約解消を認めてくれたらよかった。ここまで事件が大きくなったから、私が殺されかけたから、ようやくお父様の目は覚めた。でも遅すぎた気がする。


「もし私がどこかの貴族へ嫁ぐと言ったら、フロレンティーノ公爵家をどうするおつもりですか」


「予定通りカリストに継がせる」


 それ以上、お父様は口にしなかった。私が嫁いで家を出れば、残るのは跡取りとして養子に迎えたお兄様だけ。当然の結果だ。けれど、お兄様は私に執着している。嫁いだ私を諦めて、誰か妻を見つけてくれたらいい。もし違う選択をしたら……。


「この家が消えるかもしれないのですね」


「それはアリーチェが負担に思うことではない。安心しろ、お前の後ろ盾はロベルディ王家が控えている」


 最悪、子孫が出来ず家が断絶しても構わない。お父様は覚悟を見せた。その発言に含まれる愛情は、一度私を失いかけたから表に出てきたもの。以前は隠され、私が感じ取ることはなかった。あの日記に書かれた日々に、家族はほぼ出てこなかったのだから。


 私が嫁ぎ先で肩身の狭い思いをすることはない。そう微笑んだ父に、そうじゃないと叫びたかった。それを呑み込むのが以前の私、吐き出すのが今の私なのだろう。記憶が戻らない一因に、私自身の気持ちが絡んでいるとしたら? 自分の意見を言える環境を手放したくないと望んだのかも。


「お兄様と話がしたいです」


「……俺は嫌だが、アリーチェの望みを阻むことはしない」


 長く続いた由緒ある公爵家が絶えようと、私を守る。そう表明し、お父様は同席を申し出た。冷静に話が出来る環境として、私は承諾した。兄が望むことは分かっている。問題は私がどう応えるか。


 目が覚めてから、兄としてしか見なかった。家族であり、けれど私に危害を加えた可能性がある人として接した。すべての事情が明らかになって、私は彼を選べるのか。考える時間が必要だった。話し合いの場は三日後に設定する。


 お祖父様の謹慎が解かれて、もしかしたらサーラが戻ってくるかもしれない日。ああ、こんな時にも私は誰かを頼ってしまうのね。


「しっかり考えて結論を出します」


「そうしなさい。俺の決断は悪い方へ向かった。アリーチェが後悔しないと決めた道なら、全力で応援する」


 ぱちくりと目を瞬き、ふっと笑みが漏れる。お父様ったら普通の親みたい。今までは公爵として振舞うことが多く、私もぎこちない距離を感じていた。間に透明の板が立っていて、見えるのに触れられないような感覚があったのに。


 今なら伸ばした手は、見えない壁をすっと通り抜ける。きっと私の言葉をきちんと汲み取ってもらえるはず、そう感じた。


「お父様もお兄様も私も、間違えてしまったの。皆が少しずつ間違えて、大きくずれてしまったわ。やり直しましょう」


 綺麗事ではなく、心の底から素直に口に出せた。

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