81.楽しい記憶ばかりではない

 王宮に巣食う悪はかなり減った。王と王太子が消えただけで、一気に貴族派が勢力を増す。逃げ回る国王派は騎士を連れた貴族派に追い詰められ、大人しく罪を自供した。ほとんどは「王命だったから」と責任逃れするけれど、命じられても従わなかった貴族がいる。ただの言い訳に過ぎないわ。


 王妃様とパストラ様が許可を出したことで、王宮内のすべての部屋で調査が始まる。王家といえど、様々な予算に従って出費していたはず。どこから持ち込んだのか、リストにない貴金属は賄賂かしら。贈った側も罪になるため、追跡調査が決まった。


 あれから私の記憶が刺激されることはなく、穏やかな時間を過ごしている。離宮に呼ばれたイネス嬢は、ドゥラン侯爵令嬢と取り巻き令嬢の罪を告発した。玉座の主が変わったことで、周囲を気にせず口にできるようになったのね。


 ドゥラン侯爵家は離宮の横領に絡んでいる。それ以前に私に対する不敬と傷害、アルベルダ伯爵令嬢であるイネス嬢への脅迫があった。重ねて、騎士団の遺族用資金に手を付けたことが判明する。


 騎士団では、現役の騎士が給与から天引きする形で、積立を行ってきた。任務の際に不幸があれば、その遺族に支払うためだ。年老いた両親、残していく妻子への心残りを減らす目的があった。ケガや高齢を理由に引退する場合、積み立てた金額が支払われる約束だ。


 普段は積み立てられて見えないお金が、ごっそり消えていた。今回の調査が行われなければ、気づかなかったかもしれない。管理者からドゥラン侯爵家の関与が明らかとなり、国王派はさらに追い詰められた。調べにより、侯爵自身はほぼ関与していないと判明する。先導したのは夫人と嫡子だった。


 現場の騎士の対応が変わるのも当然だ。乱暴に引き立てるが、殺しはしない。その最低ラインを守る騎士に、伯母様は何も注意しなかった。黙認という形だろう。フェルナン卿も同様で、蹴飛ばされて到着したドゥラン侯爵令息が喚いても無視する。


 侯爵令嬢との面識はない。いえ、過去にはあったはず。思い出したいとも思わないけれど、顔を見たら何か記憶が蘇るかしら。そう期待した私は、クラリーチェ様の隣で立ち合った。


 ぼさぼさの栗毛は艶もなく、顔は化粧をしていない。寝起きのような姿の彼女は、私を見るなり悪態をついた。


「あんたのせいよ! この疫病神、大人しくし……」


 ここで騎士の一人が、外した手袋を口に押し込んだ。噛まれたようで、顔を歪めて頬を叩く。騎士として失格の対応、そう言われたら。気になって伯母様を見上げた。要らない心配だったわ。


 クラリーチェ様の顔は厳しかった。


「ケガをしたのか? 獣の相手をさせてすまぬ。治療を受けて休め」


 クラリーチェ様の仰る通りだわ。あれは淑女ではない。だから騎士が守る対象ではなかった。森の獣を捕らえて噛まれたと考えるなら、叩いたり縛り上げるのは自己防衛の一つだ。誰も元侯爵令嬢を気にかけないのが、答えだった。


 さっき、彼女は私に「大人しく死ねば」と言いかけた。関与していたのか、それとも話を知っていただけ? 小首を傾げた私に、お父様が声をかけた。


「どうした」


「いえ、私の毒殺未遂に絡んでいたのかしら、と」


「その件なら、カリストが吐かせるだろう。この女は女狐と仲が良かったそうだ」


 にやりと笑うお父様は、すごく悪そうに見える。悪役っぽい顔立ちなのよ。お兄様はやや穏やかだけれど、目つきは鋭いし。私も「冷たそう」と言われたわ。……誰に?


 今度は何に記憶を刺激されたのか。顔を上げた先で、暴れるドゥラン元侯爵令嬢のスカートが捲れる。騎士達が嫌そうに戻し、足首に絡める形で縛り上げてしまった。これなら見なくて済む。


 ばさばさとスカートが揺れたことで、甘ったるい香りが鼻をついた。お菓子や果物と違う、絡みつくような……。ああ、そうだったわ。これは彼女愛用の香水で、私は何度も対面した時に嗅いでいる。嫌な記憶が呼び覚まされた。

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