04.小さな手がかりを集め続ける

 食堂へ入ると、すぐに歩み寄った兄が手を差し出した。下から手のひらを上にして、何も持っていないと示す所作だ。確認して、そっと手をのせた。


 今は一つ一つ確認している最中だ。何でも資料になる。下から差し出される手に恐怖心はない。安心しながら席に着いた。執事らしき制服の男性が椅子を引き、静かに腰を下ろす。これも平気だわ。


「お待たせいたしました」


 すでに席についた父と、エスコートした兄に声をかける。問題ないと頷く父は、感極まった様子で目元を隠した。兄も眉尻を下げて、泣き出しそうな表情を浮かべる。


「運んでくれ」


 合図を出した当主である父の言葉から、晩餐は始まった。スープ、サラダ、魚料理、口直しの一品に肉料理。パンも含め、違和感はない。つまりこのレベルの食事が、日常だったのだろう。作法は忘れていないようで、カトラリーも普通に扱えた。


「リチェ、不自由はないか?」


「はい、お父様」


「食べたいものや欲しいものがあったら、すぐに用意するから」


「ありがとうございます。お兄様」


 そこで気づいた。私、彼らの名を知らない。本当に家族なのかしら。なくした記憶より先に、確認した方がいい。


 ごくりと喉を鳴らし、目の前に用意されたお茶に口をつけた。いえ、口に運んだ途端……手がかたかたと震える。押さえが利かなくて、溢れそうになったところで、後ろから助けが入った。


「お嬢様、失礼致します」


 サーラだ。彼女の手が私の手首を支え、紅茶のカップを優しく取り上げた。ソーサーへ戻して一礼する。


「……ありがとう、サーラ」


 お茶はいい香りだったし、見た目に異常はなかった。水色すいしょくも混入したらしき虫もない。なのに、ひどく恐ろしく感じた。


「っ、やっぱり!」


「黙れ! カリスト、思い出させる気か」


 何か心当たりがある兄と、それを止める父。どうやら私に記憶を取り戻してほしくなさそうね。この二人は敵ではないけれど、味方でもない。他の使用人と同じ位置付けだった。


「お父様」


「なんだ?」


「我が家の家名やお父様達のお名前を教えていたけますか? 何も知らなくて、怖いのです」


 同情を誘うように俯いて、小声で願い出た。このくらいならば叶えられるだろう。そう踏んだ私の思惑通り、お茶を遠ざけた父は口を開いた。


「ここはフェリノス国で、お前はフロレンティーノ公爵家の娘だ。父である私はマウリシオ、これは息子のカリスト。お前の兄にあたる」


「ありがとうございます」


 先ほどの紅茶の動揺はなかったように振る舞った。公爵家ならば思ったより地位は高い。豪華な晩餐も、大きな屋敷も理由がつく。


 まだテーブルに置かれたままの紅茶を見つめた。この時点で恐怖はないのに、何が怖かったの? 飲むこと、紅茶の種類、またはカップの色……分からないので色や模様を記憶して、日記に描こうと決めた。


 どんな小さな手がかりでも、いずれは真実に辿り着く鍵となるでしょう。

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