他のパン屋さんを視察
晴飛先輩のインスタは、ほぼパンの投稿で埋めつくされていた。
本当にパンが好きなんだなぁ。
三国ベーカリーのアンパンも、何度も紹介してくれていてすっごく嬉しい。
あれから、インスタのメッセージで晴飛先輩とやりとりしたけど、パンのことではなく、「朱琴は彼氏いる?」「好きなタイプは?」「休みの日の過ごし方は?」といった質問ばかり。
……これって、好かれてるの?
「そりゃ好かれてるでしょ」
きららは、なんのためらいもなく言い放った。
一学期の修了式を終えた足で、きららと『くまさんち』に行くことになった道すがら、晴飛先輩のことを相談したの。
「誰がどう見ても、朱琴のこと好きでしょ」
「そう、かな……でもなんで? 私のどこが?」
「知らないけど、顔がタイプとかそんなもんじゃない?」
「私、そんな可愛くないよ……」
「ご両親のこともあって疑う気持ちはわかるけどさ。朱琴はもっと自分に自信持った方がいいよ」
明るく、きららは言う。
両親が離婚して、私を引き取ったお母さんにも捨てられた。
そのことをきららには話している。そのせいで、私が自分に自信をあまり持てていないことで悩むたび、明るく励ましてくれるんだよ。
「きららはすごいな」
ぽつりとつぶやくと、きららは「にゃーっははは」と大笑いして私の肩をばんばん叩いた。
「傷つくことを恐れないでって昔の歌にもあるじゃん? ビビらず、その時楽しいことしたらいいんだよ。無理しなーい」
「そう、だね」
きららに励まされている間に、『くまさんち』に着いた。
昨日、ネットの評判を見てみたんだけど、とにかくおしゃれで美味しいパンとイケメン店員のシュンさんが人気らしい。
お店の外観は、最近リフォームした黒い外壁とガラス張りの、高級感ある建物になっている。それでいて、看板には可愛いクマのイラストがデザインされていて、少し安心感もある。
一軒家の一階部分が店舗になっている昭和レトロな三国ベーカリーとは大違い。
入店するのに、ちょっと緊張。おしゃれな人じゃないと入れないんじゃないのって思っちゃう。お店に入る前に、前髪を整えた。
「よし、入ろう」
きららと並んで、自動ドアの前に立つ。
ドアが開いた瞬間、焼きたてのパンのにおいが漂ってくる。広い店内、おしゃれなディスプレイ、おしゃれなパン――そして、イケメンの店員さん。
「いらっしゃいませ」
レジの向こうにいた、一目でシュンさんだとわかる人がにこやかな笑顔で出迎えてくれた。思ったより年齢は若そう。大学生くらいかな?
噂通り、素敵な人。一言でいえば、王子様みたいな……。
私はどぎまぎして、何も言えず小さく会釈をしてトレイとトングを手にした。
こんな時でも、頼りになるのがきらら。
「こんにちは! 初めて来たんですけど、おすすめありますか?」
ナイス! いいぞきらら!
「初めてのご来店、ありがとうございます。当店のおすすめは四種のチーズを使ったクワトロチーズクロックムッシュです」
くわ……。カタカナが多くて理解できない。三国ベーカリーにそんなおしゃれなものはないよ。
シュンさんがクワトロチーズクロックムッシュの売り場を案内してくれる。
「当店のクロックムッシュは、生フランスパンにベーコンを挟み、ホワイトソースと四種のチーズを乗せて焼き上げています」
生フランスパン? 固いフランスパンの生?
さすがのきららも、へぇ~と愛想笑いを浮かべるにとどまった。ホワイトソースとチーズか、美味しそう。
クワトロチーズクロックムッシュは、たしかにそそられる見た目だ。ホワイトソースとチーズがとろっとしている上に、黒コショウとパセリでトッピングされている。挟んであるベーコンも、スーパーで売っているようなものではなく、高級そう。そしてパンを乗せている英字がプリントされたワックスペーパーも、クロックムッシュのおしゃれさを引き立てていた。これを白いお皿に乗せただけで、とても映えるだろうと想像がついちゃう。
何より、値段にびっくり。高い。
クロックムッシュは三百八十円だし、他のパンも軒並み四百円前後。三国ベーカリーでは、高くても三百円は超えないようにしているのに。一番安いのは、百八十円のアンパン。それでも、三国ベーカリーのアンパンより三十円も高い。
お小遣いで、三百八十円のパンを買うのは勇気がいる。
でも、ライバルのパンを知るためには、出費はやむなしって晴飛先輩が言っていた。私はきららに目くばせし、クロックムッシュとアンパンを二つずつトレイの上に乗せ、レジ台の上に置いた。うう、パン四つで千円超えたよ……。
「お願いします」
「ありがとうございます。お持ち帰り用の有料袋はいりますか?」
「ください」
シュンさんは慣れた手つきでパンをビニール袋に入れていく。その間、失礼ながら顔を見ちゃう。サラサラの長めの黒髪。きれいに通った鼻筋。華奢な体は、放っておけないはかなさも感じてしまう。こんな人に美しい透明な声で話しかけられれば、クロックムッシュくらい買っちゃう……かも。
手ごわいライバル。誠さんだってカッコいいけど、さすがに還暦超えてるおじいちゃんだしな。
「お待たせしました」
シュンさんは、わざわざレジ台から出て、購入したパンをうやうやしく私に差し出してきた。
わ、なんだか凄い特別感!
「ありがとうございます」
緊張しながら受け取る。
「またいらしてくださいね」
ニコっと笑顔を私ときららに向けてくれる。
「はい!」
きららが興奮した顔で返事した。
あら、シュンさんはきららのタイプだったのか。
自動ドアを開けて外に出る。真夏の熱気が身体を襲うけど、それどころじゃなかった。
私たちは無言で歩き、『くまさんち』から数十メートル離れたところで顔を見合わせた。
「やば! シュンさん素敵すぎ!」
普段どちらかといえばクールな性格のきららが、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
「凄すぎるよね! お姫様になった気分!」
「こんな住宅街で、こんなことあるんだね!」
シュンさんの素敵さを語りつつ、三国ベーカリーに着いた。店内にいる誠さんと智枝美さんに手を振って帰宅を告げ、店舗脇の玄関から二階の居住スペースに登っていく。
ローテーブルの上に、買ってきたパンを並べる。
私が飲み物の準備をしている間に、きららがスマホで調べ物をしてくれた。
「クロックムッシュは、ハムとチーズをパンに挟んで焼き、ホワイトソースをかけて食べるもの、だって。生フランスパンは、生クリームを練りこんだ柔らかいフランスパンのこと。ふーん」
「ありがとう調べてくれて。よし、食べてみよう」
私ときららは、クロックムッシュを口にする。
パリッと焼かれていながらも、生フランスパンだから口あたりはとってもなめらか。チーズだけでなくホワイトソースもかかっているから、食べ応えもある。ベーコンは見た目の通り、燻製された独特な香りとカリっと焼き上げた香ばしさが美味しい。
値段は高いけど食べ応えがあって、満足度が高い。これひとつでランチをすませられるくらいのボリュームだと思う。
「美味しい、ね。悔しいけど」
「うん。超美味しい。悔しいけど」
美味しいものを食べているはずなのに、とっても美味しくて悲しい気持ちになってくる。
くまさんちの戦略は凄い。味も、お店も、パンを買うという体験にも、すべて価値を感じられる。なんだか、三国ベーカリーが勝てる気がしない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます