第39話

「じゅんぺー」


 ベッドに俯せになった公一が、上目遣いに俺を見る。


「何だ?」

「大丈夫?」

「……は?」


 大丈夫も何も、俺は別に風をひいている訳でも体調が悪い訳でもなく、思わず視線がテレビから公一へと移る。


「何だよ、急に」

「いや……最近、何か変だからさ。疲れてんのかと思って」


 モソモソとベッドから降り、公一は俺の横にぴったりと体を寄せて座った。

 最初こそ、この密着具合にとまどったが、今ではもうすっかり馴れてしまった。馴れとは便利でもあり、恐ろしくもあるものだ。


「変、か?そうか?」

「うーん、何となく、ね。やっぱ疲れてんだよ、純平。就職活動で」

「就職活動、ね」


 俺の”就職活動”、すなわち、公一と唯志の父親に会いに行くこと。

 俺はしばしば公一に、就職活動と偽って、唯志の家に通っていた。

 あの男性に会うために。

 そして会う度に、俺の胸はグラグラと揺れ、頭を悩ませていた。

 その精神的な揺らぎを、公一は感じ取ったのだろうか?


(……鋭い奴だな)


「そうだな、疲れてるかもな」

「うん、そうだよ。大変だな、就職活動って」


 公一は、まるで人ごとのように言い、


「頑張れよ、純平」

「ああ、そうだな」


 答えてふと気づく。


(待てよ?こいつと俺は同学年……)


「っておい、お前はどうするんだよ。全然してないだろ、就職活動!」

「うん。してない」


 当然のように公一は答える。


「してない、って……どうするつもりだよ、卒業してから」

「留学するんだ。イギリスに」

「へっ?!イギリスだぁ?!」

「そうだよ?なんだよ、その顔は」


 きっとこの時俺は、かなり驚いた顔をしていたのだろう。

 公一は俺の顔を見て口をとがらせた。


「……だってお前、イギリスだぞ。日本語通じないんだぞ。英語しか通じないんだぞ。それで生活していけるのか?日本だって近頃物騒だけど、外国なんて、もっと治安悪いんだぞ。お前みたいにボーっとしてる金持ちの日本人なんて、格好の的になるんだぞ。そんなんでちゃんと生きていけるのか?」


 かなりマジに心配になった。

 いま、この日本にいてさえ心配な公一が、イギリスなんかに行って、大丈夫な訳が無い。

 と、突然、聞き慣れない流暢な英語が耳に流れこんできた。


(えっ?)


 それは、公一のいる方から聞こえてくる。

 見れば、公一の口が英語に合わせるように動いていて。

 いや。


(こいつが、しゃべってる、のか……?!)


 驚きで、声も出なかった。

 ただただ、公一を見つめ続ける。


「どうだ、驚いたか」


 英語が突然、日本語に変わった。公一の顔が、得意げに綻ぶ。


「おれ、これでも一応医者の息子なの。一応、ご幼少の頃から英才教育されてたんだよねー。もちろん、英語も習ってたし」

「そうだったのか。お前って、実は頭良かったんだ……」


 俺の素直な言葉に、公一は今度は照れ臭そうに微笑み、


「まぁ、ね。それにね、高校の時、2年くらいイギリスにいたんだよ。ほら、こないだ恋人の話、したでしょ?あれ、イギリスにいた時の話なんだ。もちろん、恋人はイギリス人だよ」

「そうかぁ」

「外国ってさ、おれみたいなの多いし、日本より偏見は少ないしね。それに、なんたって、イギリスはシェークスピアが生きた所だから、さ」


 公一は、再びモソモソとベッドに潜り込む。


「イギリスに行って、シェークスピアの研究したいんだ。ハムレットの研究。その道の第一人者、って呼ばれるくらい研究したいんだ、おれ。だから、早く父さんに相談したいのに、なぁ」


 公一の言葉に、胸がうずき始める。


「まだ、治らないのかな、父さん」

「そうだな」


 俺は立ち上がって、電気を消した。


「明日、また遅くなる」

「就職活動?」

「ああ」

「頑張れよ、純平。おれ、応援してるからな」

「ありがとよ」


 やがて、規則正しい寝息が聞こえてきた。

(許せ、公一……)

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