第32話

「お前、何してんだよ、早く脱げって言ってるだろ?その染み、取れなくてもいいのか?」

「……えっ」


 公一が、呆けた声を出す。続いて、


「……なぁんだ、そっかぁ、そうだよなぁ……クックック……あっはっは!」


 腹を抱えて笑う公一を、俺は呆れて見つめるしかなかった。


(どうしちゃったんだ?こいつ)


「あー、驚いた」

「何でもいいから、早く脱げ」


 公一は、今度は素直にズボンを脱ぎ、持ってきた着替えのズボンにはきかえる。

 俺は、公一の脱ぎ捨てたズボンを洗濯機に放り込み、あとは終わるのを待つだけ。


「まったく……最初から素直に脱げよな」

「だってさ……」


 上目遣いに俺を見る公一。

 そして、その目を伏せると……次の瞬間、再び大爆笑。


「お前なぁ、人の顔見て笑うなんて、失礼だぞ?」

「……ちがうんだよ、クックック……ごめん、純平……あっはっは!おれ、めっちゃくちゃ勘違いしてたんだ。それが、おっかしくて」

「勘違い?」

「そ、勘違い勘違い」


 バタンと、公一はベッドに倒れ込んだ。


「純平がさ、男らしく『脱げ』なーんて言うからさ。純平もそっちの気があったのか!って、驚いちゃったんだ。ばっかみたいだろ、おれ。純平にかぎって、そんなことあるわけないじゃんなぁ」


 冗談っぽい口調。

 だが、その目に笑いは無く、じっと天井を見つめたまま。


「おれね、初恋の人、男なの。次に好きになった人も、男。その次も。今まで好きになったの、全部男なんだ。でも、しょうがないんだ。だって、男だから好きになるんじゃなくて、好きになった人がたまたまいつも男なんだもん。すごく悩んだ時期もあった。でもね、しょーがないんだ。だからね、おれ、もう気にしないことにしたんだよ。ただ、周りに気づかれないようにはしてたけど」


 かける言葉も見つからず、俺はただただ公一の横顔をじっと見つめ続けた。

 そして、こちらを向いた公一と目が合った時。

 公一は、あの笑顔を見せた。

 無邪気な、子供のような笑顔。


(……どうしてこんな顔ができるんだ、こいつは……)


「つらく、ないのか?」


 思わず、こう言っていた。


「んー、つらくない、って言ったら嘘になるな。気持ちが報われることは少ないからね。それに、周りの目もあるし。おれは別にどう思われようが平気なんだけど、親父とか兄貴とかが何か言われるのはイヤだし。たとえ気持ちが通じたとしても、なかなか公にはできない。それにね、おれ、気持ち的に男を好きになっちゃっても、肉体的には、イヤなんだ」


 公一は再び視線を天井へと戻す。


「一度だけ、付き合った人がいたんだ。もちろん、男だよ。おれ、本当にその人が大好きで、そしたらその人もおれのこと好きだって言ってくれたんだ。それでね、付き合いはじめたんだけど……付き合ったらやっぱり、そーゆう、関係になるだろ?その人がおれを抱きたいって言うから、おれ、その人が大好きだったから、抱かれたんだ。……もう、苦痛以外の何ものでもなかった。手、つないだり、抱き合ったり、キスしたり。そういうのは全て心地よかったのに、すごく苦痛だった。もう二度とごめんだって思った。それでも、何回かは我慢した。本当に好きだったから。でもやっぱり……やる、やらないでモメることが多くなって、結局別れたんだ。何だかすごく拍子抜けした感じだった。こんなことでダメになっちゃうものなのかなって。でも、イヤなものはイヤだし。だからね、さっきは本当に驚いて、どうしようかと思って、一瞬頭が真っ白になったよ。いきなり『脱げ』だもんなー」


 天井を見つめたまま、公一は小さく笑った。


「だ……だってそれはお前がズボンにコーヒーこぼしたから……」

「でもね」


 ベッドから降りて、公一は俺の背後にまわり……キュッと抱きついてきた。


「純平ならいいかなって、思ったりもしたんだよ。大好きだからさ」

「ばーか」


 口ではこう言ったものの、俺はどうしようもないほど動揺している自分に気づいていた。


(何だ、この落ち着かない気分は……この心地良さは……)


 相反する気持ちを抱え、俺は理解に苦しむ。


(でも)


「悪いが俺はお前を抱く気は無いぞ」


 一方の気持ちを無理矢理抑え込んだ。


「わかってる。いいんだ、それで。だって純平はおれの……兄貴なんだから」


 背中からまわっている手に力が入り、公一の心音と俺の心音が一つになった気がした。


「純平は、兄貴であり、おれの心の恋人なんだ。兄貴も……唯志もね、前はそうだったんだよ」

「え?」

「おれの初恋の人、兄貴なんだ」


 一つになった心音が、再び二つに離れてゆく。


「でも、今は純平が一番好きだ」


 俺は公一の手に自分の手を重ねた。

 この手をずっと、離したくないと思いながら。

 公一は、甘えるように俺の背中に寄りかかる。

 こうして、つかの間の幸せな2人暮らしは始まった。

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