第27話 ミュリエルの本領

 昼は薬店へ診察に行き、夜は教会で診察をするという、ハードな日を送り始めて2日が経ったころ、アタナーズ商会の従業員に案内されて、パトリーの町外れにやってきた。


 そこには、大きなテントが5つ並べて設置されていた。


 フィンが言った。「ミュリエルさんが、患者を1か所に集めて治療したいと言っていたと教えたら、アタナーズ商会の人たちが、これを作ってくれたんです」


「ここは、アタナーズ商会の馬車を停めておくための敷地なので、自由に使ってください。エドガー会長や、セルジュを助けてくれたお礼です」アタナーズ商会の副会長ガストンが言った。


「助かります。司祭館も満杯になってしまっていましたから、困っていたところでした。有り難く使わせていただきます」ミュリエルは深々と頭を下げ、礼を言った。「まさか、こんなに早く実現するとは思ってもいませんでした。フィンさんも、ありがとうございます」


「俺は何もしてませんよ」


「彼らが力になってくれると知っていて、野戦病院のことを話してくれたのでしょう?」


「アタナーズ商会くらい大きな商会ならば、広い土地とか、大きなテントとか、持ってそうだなと思っただけです」


「今すぐに、患者さんたちを動かすことはできませんから、徐々にこちらへ移行しましょう」


 思い描いていたことが、こんなにも簡単に叶ってしまい、ミュリエルは、人々の厚意に心から感謝した。


 この危機的な状況に、迅速に対応しなければならない専門部署の保健所ではなく、疫病に対する知識なんて、ほとんど持ち合わせていないであろう人たちの方が、ずっと頼りになる。


 彼らアタナーズ商会が、団結した組織であることは一目瞭然だ。それはエドガーやソーニャの人柄によるところなのかもしれない、ミュリエルは、それを羨ましく、そして彼らに関われたことを、嬉しく思った。


 野戦病院から帰ってきたミュリエルを出迎えたのは、ソーニャの急変だった。


 ソーニャの病室に駆け込んだミュリエルに、治療にあたっていたモーリスが言った。


「危篤だ。ミュリエル、ソーニャさんの心臓が持ちそうにない」


「フィンさん、エドガーさんを連れてきてください」


「了解」フィンはエドガーの病室へ走っていった。


「直接魔力を送り込みます」ミュリエルはマジックワンドを取り出した。


「いいのか?」自分で言っておきながら、分かりきった質問だなとモーリスは思った。


 助けられるかもしれない命を、ミュリエルが見捨てる訳がない。


「これしか方法がありません」ミュリエルはソーニャの体に直接魔力を送った。


 だからと言って心筋疾患を治せるわけではない、一時的に心臓を強化するだけで、根本的な治療にはならない。心筋疾患の原因を突き止めなければとミュリエルは考えた。



「エドガーさん!ソーニャさんが急変しました。一緒に来てください」フィンはエドガーに手を貸しベッドから起き上がらせた。


「そんな!ソーニャ……すぐに、すぐに連れて行ってくれ」エドガーはフィンに支えられながら、ふらつく足で、どうにか立ち上がり、病室へ急いだ。


 ソーニャはすぐそこにいるというのに、病室がとてつもなく遠い気がした。


 鼻からチューブを入れられ、寝ているソーニャの姿にエドガーは愕然とした。


「ソーニャ、ソーニャ——」呼びかけに応じないソーニャが、涙で滲んで見えた。


「ソーニャさんは心臓に持病があるようで、持ち堪えられないかもしれない」モーリスが説明した。


「お願いだ。どんなことでもする。金ならいくらでも払うから、ソーニャを助けてくれ」エドガーはボロボロと涙を零しながら、床に額を擦り付けて懇願した。


 モーリスとフィンは土下座するエドガーをやめさせようと引っ張り座らせた。


「ミュリエルが直接魔力を送っているが、ソーニャさんが患ってる心筋疾患は、原因がまだ分かっていない新しい病気なんだ。治療法が分からない、すまない」モーリスが心痛な面持ちで言った。


 エドガーはソーニャの手を握り。頬を擦り付けた。


「嫌だ、ソーニャ。俺を置いていくな。俺を見捨てないでくれ。生涯をかけて愛すると誓うから、お前の言うことなら、何でも聞くから、だから頼む——」


 ソーニャを呼び続けるエドガーの悲痛な叫び声が、司祭館に響き渡り、ソーニャに何かあったのだと皆が知った。ソーニャは肝っ玉母さんで、アタナーズ商会の皆にとって、頼りになる存在だった。


 魔力を送り始めて1時間が経った頃、ミュリエルの魔力が切れてしまった。


 後ろに倒れそうになったミュリエルをフィンが支えた。


「すみません。魔力切れが起きたようです」


「ミュリエルさん、ソーニャはどうなるんだ?助からないのか?」涙を流しソーニャを呼び続けたせいで、エドガーの声は枯れていた。


「分かりません。できる限りの魔力を送りました。持ち堪えてくれるよう、願うしかありません」ミュリエルは、拳を強く握り締め、悔しさに震えた。


 誰よりも優れた魔力を持っていても、救えなければ意味がない。ミュリエルはエドガーの涙を見ていられなくて、病室を出た。


 後を追ったフィンが、ミュリエルをそっと抱きしめた。


「ミュリエルさん、気持ちを言葉にしてみてください。感情を心に溜め込まないで」フィンはミュリエルの背を、落ち着かせるように撫でた。


「悔しいです。何もできない自分が恨めしいです。でも、どうすれば治せるのか、さっぱり分からないのです。何の役にも立てないのなら、魔力に意味などあるのでしょうか?私がもっと強ければ——こんなの屋敷の隅で縮こまって、人目のない夜にしか出歩けない、馬鹿で臆病な私のまま……誰も救えない」ミュリエルは腕を、力なくだらりと垂らし、フィンの胸に顔を埋めて静かに涙を流した。


「救っているじゃないですか、セルジュさんもエドガーさんも、他のみんなだって、ミュリエルさんがいなければ、命を落としていたかもしれない、そうでしょう?ミュリエルさんは今、薬師として初めての壁にぶち当たったんです。どんなに優れている人だって、全力を尽くしても、助けられない命はある。受け入れるんです。そして最後まで足掻きましょう。どこまでも付き合いますよ」


 ミュリエルは赤くなった目に涙を溜めてフィンを見た。「ポーションを作ります。手伝ってください」


「ミミズでも何でも砕きますよ」


「俺も手伝おう」出るタイミングを失ったモーリスは、病室から2人の様子を伺っていたが、そろそろいいだろうかと思って出てきた。


 ミュリエルとモーリスが、試行錯誤しながらポーションを作る傍らで、フィンは手伝いながら考えていた。


 さっきミュリエルが言った『屋敷の隅で縮こまって、人目のない夜にしか出歩けない、馬鹿で臆病な私』とはどういう意味だろうか、言葉通りの意味ならば、ミュリエルの幼少期は、辛いものだったのではないだろうか、だから、感情を面に出すのが、苦手なのかもしれないと思うと、フィンの心が締め付けられるように痛んだ。


 幼いミュリエルを、その地獄のような場所から、助け出してあげたいと、どんなに願ったところで、過去は変えられない。ならば、これからは、どんなことをしてでも、彼女を守ってやりたいとフィンは思った。


 分からないことがもう一つある。ミュリエルの魔力量が、モーリスに比べて、桁違いに多いということは、薄々気がついていた。それがポーションの効きがいい理由だろう。骨折を1週間で治してしまえるのだから相当だ。


 だとしても、ポーションにではなく、他人の体に直接魔力を注ぎ込むなんて、そんなことが可能なのだろうか。大魔術師じゃあるまいし……


(そうか大魔術師なら可能なんだ。ミュリエルは大魔術師だということか——)


 モーリスは親代わりで、ミュリエルが子供の頃から面識があるようだから、事情を知っているのだろう。聞いてみることもできるが、急いで近づこうとすれば、ミュリエルはフィンから離れていってしまう気がした。


 彼女が何であれ、打ち明けてくれるまで待とうと、フィンは思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る