第13話 美男子の笑顔に騙されるな
目を覚ましたフィンは、折れた腕が固められていて、あれほど激しかった痛みを、全く感じないことに驚いた。
フィンは起き上がって、診察室の外に出た。「ミュリエルさん?」
どこへ行ったのか分からないが、待っていれば、そのうち戻ってくるだろうと思い、店内を見渡した。
清潔そうな店内に、簡素な椅子がいくつか並べられている。来店した患者は、ここで診察の順番を待つのだろうとフィンは考えた。
病気になったときは、医師が屋敷まで来ていたので、フィンは薬店に来たことがなかった。興味津々に店内へ目を向けた。
奥の部屋には何があるのだろうかと気になったフィンは、無作法なことをしている自覚があったので、少しだけ顔を覗かせた。
乾燥した薬草が、天井からぶら下がっていたり、瓶が並べられていたり、大きな釜のような物もある。
「——ここは工房か」
「そうです、工房です」
突然背後から声がして、フィンは飛び上がって驚いた。「わあ!すみません。勝手に見てしまって」
「構いません」ミュリエルは工房の方へ入っていった。
「どうも、俺はモーリス、ミュリエルの親代わりみたいなもんだ。腕を骨折したんだって?」モーリスは、自分の腕をトントンと指で叩き指し示した。
モーリスは、ミュリエルに変な虫がついてはいけないからと、フィンを品定めすることにした。
「ええ、災難でした。仕事中に重たい家具が落ちてきてしまって、でもすごいな、あんなに痛かったのに、今は何にも痛くないですよ。本当はちょっと疑っていたんです、薬師に骨折が治療できるわけないって、謝らなければなりませんね」
「痛み止めがよく効いているようで、良かったです」ミュリエルが言った。
フィンの言葉を聞いて、モーリスの鼻が10㎝は伸びた。「ミュリエルは天才薬師だからな。ところで、就業中の事故だと聞いたが、君は何の仕事をしているんだ?」
「今は、商業ギルドから請け負いの仕事を貰って働いています」
「固定した職を持つ気はないのか?」
「旅行者なんですよ、故郷はザイドリッツです」
「へー、ザイドリッツからか。わざわざ、こんな遠いフランクールに何をしに?」
「異国文化に触れてみたくて」
「異国文化か、そりゃいいな。じゃあ、いずれはザイドリッツに帰るのか?」
「そうですね、いずれは帰らないといけないと思っているんですが、パトリーでの生活が楽しくなってしまって、今年の春からこっちに来て、そろそろ1年になります」
なかなか感じのいい爽やか好青年といったところだが、顔のいい男は、女癖が悪そうだ、それに、ミュリエルは純粋だから、モテる男に遊ばれてしまうかもしれない。要注意人物として警戒決定だ。ジゼルにも警戒注意報を、出しておこうとモーリスは心に留めた。
「骨癒合を促すポーションです。1日1本、1週間飲み続けてください。それと、痛み止めのポーションを3本入れておきます。痛みが出た時に飲んでください」
フィンはミュリエルから、ポーションが入った袋を受け取った。
「ありがとうございます。助かりました」
ミュリエルは予約帳を開いた。「1週間後の28日、月曜日の午後15時45分に再来店できますか?」
「この腕ですから、仕事はできませんし、大丈夫ですよ」
「では予約を入れておきますので、腕の状態を見せに来てください。今日の代金は、治療代とポーション代、合わせて51トレールです」
「ちょっと待ってください、財布を今出しますから」ズボンのポケットから財布を取り出し、動かしにくい手を使って、紙幣を取り出そうとするが上手くいかない。
「お手伝いします」ミュリエルはフィンの財布を持ってやった。
「すみません。利き手が使えないっていうのは、なかなかに不便ですね」フィンは左手で10トレール札を5枚と1トレール札を1枚取り出した。
ミュリエルは札を数えた。「確かに51トレール頂戴いたしました」ミュリエルはフィンに領収書を渡した。「業務中の事故ですから、商業ギルドに提出すれば3割負担してもらえます」
「ありがとうございます」
ミュリエル薬店と書いてある領収書には、合計51トレール、内訳ポーション代4トレール×7=28、3トレール×3=9、ギプス包帯13トレール、診療代1トレールと明細が記されていた。
ミュリエルは店のドアを開け、フィンを見送った。「また来週、お待ちしています」
「ありがとうございました」フィンは折れていない方の手を振って、歩き去った。
「ミュリエル、ああいう調子の良さそうな男は気をつけろ、いくら顔がよくたって、女を傷つけるような男は駄目だからな」
「私を好きになる人なんていませんよ」
親の欲目というやつだろうか、モーリスもジゼルも、ミュリエルを買い被りすぎだ。
「大勢いるに決まってるだろう。俺は心配だよ、ミュリエルの美貌に寄ってくる悪い虫に、ミュリエル自身が気づいていないなんてな」モーリスは額に手を当て、どうにもならないことを、心の底から嘆いた。
「私のような、つまらない女は、すぐに飽きられてしまいますよ」
それから1週間後、予約の時間通りに、フィンは来店した。
「こんにちは、お名前を仰ってください」
「フィンです。君はここの店員さん?」
ギャビーは予約帳でフィンの名前を探してチェックを入れた。
「はいそうです。ミュリエル薬店の受付係をしていますギャビーです。フィンさんは3番目にお呼びしますので、椅子に掛けてお待ちください」
ギャビーは、商業ギルドの人材募集掲示板を見て来たのだろうと、フィンは思った。条件は良かったから、それなりに応募があっただろうに、どうして、子供を雇うことにしたのだろうかと、フィンは考えた。
ギャビーはフィンの診療録を診察室の前の籠に入れた。あの籠に入った診療録をどうするのだろうかと気になり、フィンは籠を見つめた。
ミュリエルが患者と一緒に診察室から出てきて、籠の中から診療録を取り出し、名前を呼んだ。そして呼ばれた人と一緒に診察室へ入っていった。
なるほど、来店した順番に呼ばれるよう、ギャビーが診療録をカゴに入れていけば、ミュリエルは患者を把握する必要がなくなり、診察に専念できるということか。
先ほど、診察室から出てきた患者は、ミュリエルから診療録を渡されていたが、それを次はどうするのだろうかと、フィンが様子を窺っていると、その患者はモーリスに自分の診療録を渡した。
診療録を受け取ったモーリスは、工房へ行ったかと思ったら、すぐにポーションを持って出てきた。その間、ギャビーが代金を計算して金を受け取り、引き換えに、モーリスが袋に入ったポーションを患者に渡す。
診察の順番が前後することも無い、薬を渡し間違えることも無い、しかも予約制なので、長い時間待たされることも無い。何と無駄がないシステムだろうかと、フィンは感心した。
ザイドリッツにいた頃の買い物は、屋敷に商人が直接商品を持ってくることが多く、気が向いた時だけ、貴族が行く店へ出かけた。そういった店は、誰か1人が接客につき、最初から最後まで世話をする。
少数の貴族であれば、それでいいかもしれないが、平民は貴族よりも格段に人口が多い、同じように接客していては、日が暮れてしまう。
実家を飛び出してきて初めて、平民が行く店に入ったフィンは、平民の店は、個室に通されないことや、自分で店内を、うろうろ歩き回らなければならないことを知って驚き、その当たり前のことに、気がつかなかった世間知らずの自分を、馬鹿だと自嘲した。
ミュリエルは元貴族だと言っていたが、何があったのだろうか、令嬢が家を追い出される理由は大抵、男が原因だが、ミュリエルが男を追いかけて家を出るとか、未婚で子を身籠ってしまったなんて風には見えない。どちらかと言うと、男を寄せ付けないタイプだ。
モーリスはミュリエルの親代わりだと言っていた。両親が亡くなり、家が没落してしまったということだろうか?と待合室で待っている間フィンは考えた。
「フィンさん、お入りください」ミュリエルがフィンを呼んだ。
「こんにちは。よろしくお願いします」ただ名前を呼ばれただけなのに、なぜだか少し嬉しかった。
「どうぞお掛けになってください」ミュリエルは診察室の椅子を身振りで示した。「腕はいかがですか?」
「固められたところが痒いですが、痛みは全くありません」
「そうですか」ミュリエルはマジックワンドをフィンの腕に滑らせた。
「それが、マジックワンドというやつですか?」薬師が使うと、話に聞いたことはあったが、見るのは初めてだった。
「そうです。フィンさんの骨の状態を見ています。ギプスを取ってみましょうか」
「え?もう取るんですか?」
「はい、骨が綺麗に癒合しているようですから取りましょう。台の上に腕を乗せてください」ミュリエルはギプスカッターを用意した。
「何ですかそれ!そんなので切ったら俺の腕ごと切れちゃいませんか?」
「石膏のような硬い物は切れますけど、皮膚のような柔らかいものは切れないので大丈夫ですよ。でも動かないでくださいね、火傷してしまうかもしれませんから」
カッターの刃がギプスに当たる瞬間フィンは思わず目をギュッと閉じた。目を瞑ったからといって、何も変わらないと分かってはいるのに、我ながら小心者だなと、情けなく思った。
圧迫感はあるけど痛みはない、フィンは恐る恐る薄目を開けて見た。「本当にギプスだけが切れてる」
「取れましたよ。ゆっくり腕を上げてください」
「すごい、あんなに曲がっていたのに真っ直ぐだ。でも、ちょっと動かしにくいかな」
「1週間も固定していましたからね、筋肉の
「分かりました」
「他に聞きたいことは無いですか?」
「ここはいい薬店ですね。無駄のないシステムにも感動しましたけど、何よりミュリエルさんの実力に感服しました。あの商人の男が言っていた、医師なんかより頼りになるって言葉に同感です。どんな名医でも、あなたのほど優れている医師はいないでしょう。実は商業ギルドで求人を見たんです。もう募集は締め切ってしまいましたか?」
「いいえ、あと1人雇う予定ですが、なかなかいい人材が見つからなくて、保留になっています」
「ここで働きたいです。あなたの治療をもっと見てみたい。あなたが起こす奇跡を、もっと見たいと思いました」フィンは瞳を輝かせた。
「そうですか、では面接をしましょう。ついてきてください」ミュリエルは診察室を出た。「モーリスさん、フィンさんが、ここで働きたいそうなので、面接をしようと思います。ギャビーさんは遅くなると危ないですから、今日はもう退勤してください」
「はい、分かりました」フィンが最後の患者だったので、片付けを初めていたギャビーは、手を止めて返事をした。
「ジゼルから、ご飯を貰って気をつけて帰るんだぞ」モーリスが言った。
「はい、ありがとうございます」ギャビーは母屋の方へ駆けて行った。
「フィン、ミュリエルを口説こうとしてるんじゃないか」モーリスはフィンに小声で言った。
「違います、誤解ですよ。純粋にミュリエルさんの治療に感動したんです」フィンは困った顔で笑った。ミュリエルが、どうしてここにいるのかとか、どうして薬師になったのかとか、どうして喜怒哀楽といった感情が欠如しているのかといったことに興味はあるが、ただそれだけで、恋とは違った。
「見張ってるぞ、ミュリエルに指一本でも触れたら、その手を切断してやるからな、覚悟しとけよ」
「分かりました。決して手を出しません。誓います」フィンは片手を胸に当てて誓った。
モーリスとフィンが何やら、こそこそとやっている後ろ姿を、ミュリエルは不思議そうに見た。
「面接を初めてもよろしいでしょうか?」
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