第五章
相次ぐ生徒の自殺により、東陵高等学校は、大々的にニュースに取り上げられた。大勢のマスコミが、電灯に集まる羽虫のように高校へ押しかけ、太田原校長も説明責任を問われる形となった。結果、記者会見を開く運びとなり、太田原校長のちょび髭顔は、全国展開の様相をみせた。
保護者からの紛糾も凄まじく、全校生徒の親に対し、体育館での保護者説明会が行われた。そこで、教師達の監督不行き届きを責める怒号が飛び交い、事態は困難を極めた。
ネットでも東陵高校の話題が取り沙汰されるようになった。まるで東陵高校が、呪われた学校であるかのような扱われ方であった。無理もない。何せ、たった二、三ヶ月で四人も自殺者を出した高校なのだ。そのような偏見も起こりうることだろう。
そして、桝本純佳の葬式の翌日、体育館にて、生徒達に対する説明も行われた。
疲弊したような調子で喋る太田原校長の言葉を聞きながら、俊孝は、俯いて体育館の床を見つめていた。
太田原校長からは、純佳の自殺についての説明が語られている。時折、命を大切にする啓蒙を含めた言葉も入り混じっていた。
純佳の死因は、転落による頭部の損傷が原因らしい。しかも、あの二年四組の教室から飛び降りたというものだ。遺書も教室の窓際に置かれた通学鞄から発見されており、鑑識の結果、筆跡や指紋も純佳本人のものと一致し、自殺と断定された。
太田原校長の声が響き渡る中、俊孝は、他者に悟られないよう、周囲を確認する。これまでの自殺者とは違い、生徒達の間から、すすり泣きの声が聞こえる。純佳の死に、複数の生徒が嘆き悲しんでいるのだ。
俊孝は、再び床に目を落とす。擦り切れたように鈍い光沢を放つフローリングの床板を見ながら、葬式の際に目にした棺桶に入れられた純佳の姿が、泡のように脳裏へと蘇った。
純佳の遺体は、転落死したにも関わらず、綺麗なものだった。まるで眠っているかのようで、固く閉じている純佳の大きい目が、今にも開きそうだったことを覚えている。
俊孝は、今朝方ニュースで見た、純佳の遺書の内容を思い出す。学校よりも先にニュースで遺書の内容が伝えられるのは、妙な感じだが、問題はそこではなかった。
あの遺書は、間違いなく、俊孝が純佳に書かせた遺書と同一のものだった。
遺書は、純佳の殺害を思い留まり、無用の長物となってしまったため、つい処分を忘れて、通学鞄へ入れたままにしていたものだ。ニュースの後、すぐに通学鞄をチェックしたが、遺書は影も形もなかった。どこかに落としたとは考えられないので、誰かが盗んだことは明白だった。
そして、なぜかそれが純佳の通学鞄の中に入っていた。失くすだけならまだしも、それが利用されているのだ。奇しくも、本来の用途通りに。
俊孝は、それにより悟る。純佳は自殺したのではなく、誰かから自殺に見せかけて、殺されたのだということを。
しかもそいつ――複数かもしれないが――は、俊孝達の『計画』を知っており、わざわざこちらが用意した遺書を使うというリスクある行為を選択していた。その上、自殺する場所もわざわざ『計画』に合せていた。
つまりこれは、こちらに対する『挑戦』に他ならなかった。俊孝達だけに通じるように、言外のメッセージを伝えてきたのだ。辿り着いてみせろと。
その意図はわからないが、間違いなくこの学校の人間の仕業だろう。ふざけた真似を。
俊孝は、怒りが燃え滾るのを自覚する。そして、それ以上に現在、俊孝の胸中を覆っている一つの感情があった。
それは悲しみだった。純佳が死んだと知らされてから、半身を喪ったかのような、強い悲壮感が俊孝を襲っていた。
周囲のすすり泣きの声が耳に入ってくる中、俊孝の脳裏に、純佳の生きていた時の姿が思い起こされる。
太陽のような明るい笑顔。部屋でキスをした時にかけられた言葉。共に伊勢山皇大神宮を巡った光景。その時に買ったお守りは、まだ財布に付けてある。あの片割れは、もういなくなったのだ。
俊孝は、そこで自身が泣いていることに気がついた。次から次に、涙が堰を切ったように、溢れ出てくるのだ。抑えることができなかった。
近くのクラスメイト達は、俊孝を、怪訝そうな目で見てくる。しかし、気にならなかった。他に泣いている女子生徒達と同じように、俊孝は泣き続けた。
やがて、全校集会が終わり、生徒達はクラス順に体育館を出ていく。俊孝達のクラスの番になり、俊孝は、なおも涙を流しながらクラスメイト達と一緒に体育館の出口へ向かう。
「俊孝」
聡史が心配そうに声をかけてくる。学校で話しかけるのはご法度なのに、見るに見かねてのことだろうか。普段は接触のない俊孝へ、聡史が声をかけたことで、近くのクラスメイトが、妙な視線を投げかけていた。
俊孝は聡史の言葉に答えることなく、涙を拭いながら、一人歩く。
教室へ着く頃には、涙は止まっていた。そして、強い決心が、冷えた鉄のように固まっていた。
心の中で俊孝は誓う。必ず、犯人を探し出し、報復してやる。
その日の放課後、俊孝は聡史と市が尾駅に近いファミレスで、聡史と会っていた。本来、二人共部活があったのだが、俊孝の強い要望で、急遽集まることにしたのだ。
理由は当然、純佳の自殺についてである。
俊孝は、純佳の死因が自殺ではなく、他殺であることを説明した。遺書が鞄から消え、それがそのまま使われたことも併せて伝える。
聡史は、腕を組み、うーんと唸った。
「まあ、確かに妙だけど、でも、結果的に良かったんじゃね? 殺す手間が省けたんだし」
聡史はこの件を、さほど深刻には受け止めていないようである。そもそも、俊孝は、自分が純佳殺害を思い止まったことを聡史へ伝えていなかった。伝える前に、純佳が死んでしまったためだ。だからこそ出る言葉なのだろう。
「だけど、桝本さんを殺した奴は、俺達の計画を知っていたことになるんだぞ」
聡史は肩をすくめた。
「そうだとしても、問題はないだろ。結局、そいつも殺人を犯しているわけだから、仮に俺らの犯行を暴露しようものなら、そいつ自身の首を絞めることになるぞ。そんな真似、するかなあ。まあ、誰が何のためにやったのかわからないから、不気味って言えば不気味だけど」
俊孝は、ため息をついた。そして、本心を言う。
「あのな、俺が言いたいのは、俺はお前がやったんじゃないかってことだ」
聡史はきょとんとした顔になった。
「俺が? なんで?」
「遺書の存在や、『計画』の内容を知っているのは、俺を除くと、お前だけだからだ。桝本さんは『計画』通りに、あの教室から飛び降りたんだ。偶然ではないはずだぞ」
俊孝の詰問に、聡史は困ったように手をこちらに向け、制する仕草をした。
「いやいや、待てよ。色々おかしいぞ。俺が、なんでと訊いたのは、なぜ俺がそんなことをしないといけないのか、だ。それに。遺書を使うのもなんかおかしくねえか?」
「それはお前が……」
そこまで言い、俊孝は、自分の考えに、大きな矛盾があることに気がついた。
聡史は、俊孝が心変わりをしたことを知らない。そのため、打ち立てた純佳殺害の予定日まで待っていたはずだ。それをわざわざ無視してまで実行に移す理由がなかった。それに、根本的に考えて、遺書や『計画』内容をそのまま使えば、聡史自身が疑われてしまうのは必至である。そんな馬鹿な真似をいくら聡史と言えど、するとは思えなかった。
つまり、聡史はシロなのだ。こんな単純な理屈を理解できず、聡史を疑うなど、自分が情けなく思う。純佳の死に混乱し、心に余裕がないせいだろうか。
俊孝は、素直に頭を下げた。
「すまない。確かに考えてみれば、お前が犯人なのはおかしいよな」
聡史は、腕を組んで俊孝の謝罪を聞く。そして、口を開いた。
「なあ、俊孝。お前、何か隠しているだろ」
今度は聡史が追及する番だった。
俊孝は、観念して、全てを話すことにした。純佳が以前伝えてきた「改心」の言葉や、純佳を殺すことを思い止まったことなどを。
話を聞き終えると、聡史は、腕を組んだまま、ため息をつく。
「そんなことになっていたのか。お前が今日泣いていたのも理解できたわ。だけど、なんで話さなかったんだ?」
「すまない。言えなかった」
「まあいいけどよ、お前の心変わりを俺が知らない以上、やっぱり俺が犯人なわけないだろ?」
「そうだな」
そこでふと俊孝は疑問に思う。犯人は俊孝の心変わりを知っていたのだろうか。あのタイミングで純佳を殺したとなると、知っていたように思える。
あるいは、それとは関係なしに、俊孝達の『計画』を知り、偶然に俊孝の心変わりの直後に、実行へ移したのだろうか。犯人がどうやって俊孝達の『計画』や遺書の存在を知りえたのかも当然の疑問だが、その辺りに何か意味がありそうだった。
「で、これからどうするんだ?」
聡史は身を乗り出し、こちらに質問を行う。
俊孝は、顎に手をやり、考える。
「犯人を捜そうと思う。だけど、今は何もわからないことだらけだ。犯人が何人なのかも――もしかしたら複数なのかもしれないし、どうやって『計画』のことを知ったのかもわからない。なぜ犯人がこんな真似をしたのかもわからない」
少なくとも、遺書だけは、通学鞄に入れたままだったので、いつでも盗み出すチャンスはあった。だが、『計画』のことを知らない限り、それをする意味はないので、やはり、こちらのことを把握した上でのことに違いなかった。
「本当に犯人を捜すつもりか?」
聡史は妙に諭すような口調でそう言った。
「どういう意味だ?」
「俺としては、このまま犯人がわからなくても問題がないということだよ。さっきも言ったように、犯人はわざわざ俺達の代わりに手を汚してくれたんだ。むしろありがたい行動だよ。俺にとっては。それに、放置していても、向こうも同じように脛に傷があるんだから、警察にタレ込む真似はしないはずだろ。つまりは安全圏に俺達はいるんだよ」
どうやら聡史は、非交戦の姿勢を考えているらしい。聡史の立場からいえば、仕方がないことだろう。
しかし、それでは駄目だ。俊孝は、犯人に対して報復を考えている。そして、そのためには、聡史の協力が必要不可欠だ。
俊孝は、聡史を説得することにした。
「いいか、犯人は、わざわざこちらが用意した遺書を使って、犯行を行ったんだ。俺達に宣戦布告をしたも同然なんだ」
「それがどうしたんだ? 放っておけばいいじゃねーか」
「このまま舐められっぱなしでいいのか?」
「かまわねーよ」
聡史は考えを曲げるつもりはないらしい。俊孝は、奥歯を噛み締めた。犯人を決して逃したくはなかった。純佳を殺した人間を。
俊孝は、正直に自分の気持ちを吐露することにした。
「聞いてくれ。俺は、純佳を殺した犯人を決して許すつもりはない。これまで人を自殺に追い詰める真似をしてきた俺が言うのも変だけど、純佳は俺にとって、大切な存在だったんだ。純佳の奪った犯人を、何としても捜し出したい」
「……犯人を探し出した後はどうするんだ?」
「殺すつもりだ」
俊孝はそう言い切った。聡史は無表情だ。
俊孝は話を続ける。
「だから協力して欲しい。純佳を――純佳を奪った犯人を必ず殺したい。これは私憤に過ぎないけど、どうしても許せないんだ」
俊孝は、短いながら、純佳と過ごした光景を思い出す。自然と、涙が流れる。
聡史は、固い表情を作り、それを見つめていた。
「頼む」
俊孝は、頭を下げる。
「わかったよ」
聡史は、小さく息を吐くと、カミサマッシュの髪を揺らしながら頷いた。
聡史に語ったように、純佳を殺した犯人に憤りを感じるのはフェアではないかもしれない。自分も散々、人の命を弄ぶ真似をしてきたのだから。
しかし、それでも心の奥底に生まれたマグマのような怒りは、どうしても抑えようがなかった。これは犯人に報いを受けさせるまで、冷え固まることはないだろう。あるいは、ダルヴァザの炎のように、犯人を殺しても、燃え続けるかもしれない。
いずれにしろ、犯人を捜し出さなければならない。そうしない限り、怒りの炎は、確実に燃え広がるのだから。
翌日、英語の授業中に、俊孝は教室のクラスメイト達の様子を、後ろの席から伺った。
クラスメイト達は、皆真面目に黒板の内容をノートに書き写し、及川教師の話を聞いている。今は二時限目なので、居眠りの生徒もいなかった。それなり進学校なので、不真面目な生徒が少ないのだ。
俊孝は思う。もしも犯人がいるとしたら、このクラスの連中が濃厚だろう。俊孝の鞄から遺書を盗み出し、純佳をこの教室の窓から転落死させたのだ。近しいクラスの人間こそが、最も成功させやすいのは明白である。
このクラスは、全部で三十六名。男子と女子がちょうど半々である。自分と聡史、そして死んだ純佳を除くと、三十三名。その人数が最有力容疑者となる。もちろん、他のクラスや、学年にも犯人がいる可能性は充分あるので、容疑者という意味では、全校生徒が該当してしまうが、今のところ、その三十三名を第一に疑うべきだろう。
これは極めて多い人数だ。コロンボ刑事も真っ青な捜査が必要となる。しかし、それはこなさなければならない課題だ。
俊孝は、右斜め前にある、かつて純佳の席だった机と椅子に目を向けた。主のいなくなった机の上には、儚さを象徴するように、白い花瓶と共に百合の花が活けてある。
これは、純佳に対する手向けであり、同時に、純佳が俊孝へと贈る陣中見舞いの花のように感じた。純佳も無念を晴らしたがっているのかもしれない。馬鹿げた妄想に過ぎないが、そう思う。
それに応えるため、色々とやる必要があった。何せ、知らないことばかりなのだ。とりあえず、今日の放課後、部活が終わったら聡史とこの教室で打ち合わせをする予定だ。
「なあ、天海君、やる気がないなら帰れば?」
南条のピシャリとした叱責を受け、俊孝はハッと我に返った。目の前には、ほぼ空白のIDEがモニターに表示されている。思案に耽っていたせいで、全く手が進んでいなかった。
南条の方に顔を向けると、南条は、
「すいません」
俊孝は軽く頭を下げて謝る。昨日部活をサボったせいで、南条はご機嫌斜めだった。今も謝ったのに、アロエを齧ったような渋い顔をしている。
南条はその顔のまま、再度非難を行う。
「部活はサボるし、作業もやる気ないんじゃ、君、情報処理部の部員失格だよ」
じゃあ辞めます、という言葉を飲み込み、俊孝は何も言わず、モニターに目を戻した。南条は濡れてカビが吹いた雑巾よりも陰湿な男なので、これで反論したら間違いなく言い争いになる。純佳の件でささくれ立った神経が、いつ爆発するかわからなかった。
幸い、南条はそれ以上追求せず、作業に戻る。
俊孝も、キーボードに手を添えるが、まるで身に入らなかった。画面内のIDEには、最近作り始めたアンドロイド用のお絵かきゲームのソースコードが記入されてあるが、まだ数行しか書き込まれていない。頭の中はプログラムのことではなく、純佳と犯人のことばかりがチラついていた。
一向に作業が進まない状態で、部活終了のチャイムが鳴り響いた。俊孝は、パソコンの電源を落とし、早々に退席する。南条と西野駿に挨拶を行い、部室を出た。
三階へ上り、待ち合わせ場所の教室へと入ると、中は無人だった。チャイムと同時に直行したため、まだ早く、聡史がやってくるにはもう少し時間がかかりそうだった。
俊孝は、西日が差し込む教室内で、純佳の席に歩み寄る。机の上の百合の花が、陽の光を受けて、赤く染まり、ナスタチウムのような様相を呈していた。
俊孝は、おぼろげに記憶しているナスタチウムの花言葉を思い出す。確か『困難に打ち勝つ』といった意味があったはずだ。
俺も、この困難に打ち勝たなければならないだろう。
俊孝は、しばらくの間、血に濡れたように赤く染まっている百合の花を眺めていた。
その後教室へやってきた聡史と合流し、そこで話し合いを行う。
端的に言うと、その話し合いでは、何の進展もなかった。このクラスの人間が犯人である可能性が高いことの予測や、今後の計画などの情報伝達に終始しただけに終わった。これは、こちらの持つ手札の数が少ないことに起因する。ほとんど、犯人に対する手掛かりがないのだ。
俊孝達は、早々に切り上げることにした。教室で聡史と別れ、俊孝は先に帰る。
家に着き、夕食を済ませた後、パソコンの前で、今後の計画を練った。
しかし、早くも暗礁に乗り上げる。全くといっていいほど、先に進まないのだ。思考は雲の中を漂っているようで、クラス内にいるであろう犯人を捜し出す妙案など、影すら発見できなかった。
しばらくの間、居残りで作文を書かされている生徒のように、頭を抱えてみるが、進展は見出せない。気分転換と好転を期待して、パソコンのバックグラウンドで『断頭台への行進』を流してみるが、無駄だった。
やがて俊孝は、大きくため息をつき、背もたれに身体を預ける。コーヒーを飲もうと、机の上に置いてあるマグカップに手を伸ばした時だった。
スマートフォンに、通知があった。LINEの着信だろうか。俊孝は手を伸ばす。純佳が死んだ今、この時間帯に連絡を取ってくるのは、聡史くらいだ。何か情報でも入ったのか。
『断頭台への行進』の重苦しいBGMが流れる中、俊孝は、スマートフォンの画面を開き、通知を確認する。
画面を見た俊孝の眉根が寄った。
通知はLINEでもメールでもなく、監視アプリの取得情報だった。純佳のスマートフォンへインストールした、ゲームアプリ内部に仕込んである監視アプリからだ。
受信用のアプリは純佳の死により、無用の長物と成り果てていたが、突発的な出来事だったため、消去を怠っていた。
それに、現在、反応がある。
内容は位置情報を示すものだ。GPS機能により、スマートフォンの現在位置が表示されている。スマートフォンの電源を入れたために、起動し、その知らせが受信用アプリに届いたらしかった。
スマートフォンの現在位置は、都築区にある公園を示していた。その公園は、青葉台から四駅ほど上った駅から行ける地域にあった。純佳の家からは、ここからほどではないにしろ、相当離れている。
俊孝は、一瞬だけ硬直した。純佳が死んだ今、これはありえない。まさか死者が電源を入れ、持ち歩きながら、散歩をしているというのだろうか。
そんな馬鹿な話はない。これは、誰かが死んだ純佳のスマートフォンを持ち出し、移動したのだ。そして、公園で電源を入れた。
しかし、それはそれでおかしい気がした。考えられる該当者は、純佳の家族だが、この時間に一体何のために、遠く離れた公園でわざわざ電源を入れたのか。そもそも純佳のスマートフォンは遺品となっているはずである。それをいちいち持ち出すような真似をするのだろうか。
監視アプリに表示されている赤いマークの位置情報は、まだ都築区の公園にマークされている。公園の名前は山田富士公園。それなりに広いようだ。
とにかく、これは確かめた方がいい。今の時刻はまだ八時前だ。電車も動いている。
俊孝は、立ち上がった。
俊孝は、都築区最寄のあざみ野駅に降り立った。駅構内は、帰宅途中の人間が大勢往来している。時間的にまだ早いとはいえ、八時半を回った頃なので、学生の姿は少なく、ほとんどがサラリーマンやOLで占められていた。
俊孝は、あざみ野駅から外へ出て、監視アプリと連動しているグーグルマップを頼りに、山田富士公園を目指す。
しばらく歩くと、県道百二号線へと出る。大通りなため、通行人は多い。そこから東に向かって進んだ。
山田富士公園が近付くにつれ、心臓の鼓動が高鳴っていく。一体、公園にいるのは誰だろう。純佳の家族か、あるいは犯人か。まさか、本当に純佳が蘇って、徘徊しているんじゃないだろうな……。
濁りのような不安が、胸中を覆った。聡史を呼べばよかったとチラリと思う。勢い込んで飛び出してきたことを、今更ながら後悔し始めた。武器も職質を警戒して、持ってこなかったのだ。
不安を抱えたまま、俊孝は、やがて北山田の交差点へ差し掛かった。ここから公園の入り口までは、目と鼻の先である。
俊孝は、再び、監視アプリを確認した。
対象は、未だ公園の中で、初め見た位置から少しも移動していなかった。誰かがそこにいるとして、一体、何をしているんだろうと疑問を覚える。通知があって、もうかれこれ一時間以上は経っているのだ。その時からずっと同じ場所にいるのは、妙である。
これは、もしかしたら罠の可能性があるかもしれない。
俊孝がそう思い、応援要請として、聡史へ連絡を取ろうと考えた時だった。
マップに変化があった。現在位置を示す赤いマーカーが、移動を始めたのだ。
マーカーは、ここから最も近い公園の入り口とは反対方向へ向かっていた。つまり俊孝から遠ざかっているのだ。
俊孝は慌てた。このままでは逃してしまう。罠の可能性があろうと、情報を得る数少ないチャンスなのだ。見過ごす手はなかった。
俊孝は、聡史への連絡を断念し、山田富士公園の入り口へ向かって走った。
山田富士公園は、広さの割りに、遊具や施設の数が少なく、木々と野原が広がる簡素な公園だった。そのせいか、今の時間帯はほとんど人がおらず、無人同然であった。
今夜は新月なので、街灯が少ない公園内は闇夜に覆われており、視界が利かなかった。手に持ったスマートフォンの明かりを利用しながら、俊孝は、マーカーを追う。
俊孝が公園の中央付近に辿り着いた頃、マーカーは東側の出口へ差し掛かっていた。俊孝の現在地点は、ちょうど東側出口まで開けている場所だったので、試しに出口の方を見透かしてみる。だが、墨のような漆黒の闇のせいで、全く人影すら視認できなかった。これが昼間だったら、違っていただろうが。
意を決して、俊孝は、出口へダッシュで向かった。生暖かい夜の空気が、肌を撫でる。
マーカーは、出口を抜け、住宅街へと入っていく。
俊孝が、東側出口へ近付いた時だった。唐突に、マップに表示されていたマーカーが消失した。ワープしたかのように思えたが、もちろん違う。監視アプリは、電源が入っている限り、バックグラウンドで機能し続ける。おそらく、電源を切るか、アプリそのものを消したのだろう。
俊孝は、それでも、出口から公園の外へ出て、最後にマーカーを確認した位置まで行ってみることにした。
夜の住宅街へ足を踏み入れ、ゆっくり進む。直近まできたら、待ち伏せを警戒しつつ、慎重に近付く。
しかし、目的の位置に着いても、そこには誰もいなかった。周囲を確認するが、人影すらない。元々小さな住宅街なので、人通りは少なく、新月の闇に包まれた静かな路地が伸びているだけだった。
該当者の容貌がわからない以上、このまま手当たり次第に捜しても、無駄だろう。つまり、追跡は失敗に終わったのだ。
悄然とした気持ちを抱えたまま、俊孝は、公園へと戻った。一体、何だったのだろう。狐にでも化かされた気分だった。
最後に、それまでマーカーが示していた位置を調べようと思った。期待はしていないが、何か痕跡があるかもしれない。
俊孝は、生温い夜風を受けながら、マーカーがあった位置まで歩み寄った。該当位置に到達すると、俊孝は、スマートフォンのライトを点灯し、周辺を調べてみる。地面は若干、手入れが不足気味らしく、荒れたグラウンドの土が広がっていた。そこに、何かがあることに俊孝は、気が付いた。
それは一見、子供が土遊びをしたかのような、小さな土の山だった。周りが平坦なので、やたらと目立つ。
それを確認した俊孝の顔が曇った。土の山の頂上に、見覚えのある物が置かれていたからだ。
どうして、これがここにあるんだ?
土の山の上に置かれてあったのは、ピンクの桜をあしらった小さなお守りだった。伊勢山神宮で純佳と共に買ったあの二つセットのお守り。それの片割れだ。ピンク色の方は、純佳が大切そうに身に付けていたはず。
俊孝は、そのお守りを手に取った。やはり、間違いなく、純佳と買ったものと同種だ。これが純佳のものだと断言する根拠はないが、一つだけ確信があった。
間違いなく、このお守りは、自分を狙ってここに置かれたものであるということだ。偶然、このお守りが、今のタイミングで、関係のない第三者によって忘れられた物であるはずがないのだ。
意図はわからないが、これを見せるために、誰かがわざわざ監視アプリを利用してまで、俊孝をここへと誘導したのだろう。
どこまでもふざけた真似を。俊孝は奥歯を噛み締める。相手の手の平で踊らされた屈辱と怒りが、間欠泉のように吹き出す。
しかし、それとは別に、頭の片隅は冷静だった。そこでは光が明滅していた。いくつか、わかったことがあった。
「盗聴器?」
聡史は、素っ頓狂な声を上げて、そう聞き返した。
「声が大きい」
俊孝は、周囲を見渡しながら、聡史を手で制した。幸い、店内にいる他の客は、こちらを気にした様子はなかった。
ここは宮前地区にある喫茶店だった。今日学校が終わるなり部活にも行かせず、聡史を呼び出し、昨夜あったことを伝えたのだ。
窓の外は、雨だった。遅く梅雨入りした関東は、今まで溜まっていた雨を吐き出すように、午前から今まで、その勢いを落とすことなく降り続いている。
二人の間に、沈黙が訪れた。店内のBGMをかき消すように、雨音がやたらと大きく聞こえた。
聡史が口火を切る。
「だけど、なんでそんなことがわかるんだよ」
聡史は、綺麗に整っている眉毛を下げながら、訊く。
「タイミングだよ」
俊孝は、昨日の放課後、聡史と教室内で情報伝達を行った際の光景を思い出しながら、答えた。
あの時、俊孝は、クラスの人間が犯人である可能性が高いことと、これからの計画について話した。つまり、俊孝達が動き出す旨を宣言していたのだ。それに合せるようにして、夜、動きがあった。
教室の近辺は、人が近付かないように、警戒していたので、誰かが立ち聞きしていたとは思えない。よって、教室内で盗聴が行われていた可能性があった。それを踏まえると、犯人が、俊孝達の純佳殺害『計画』の内容をなぜ知っていたのか、説明がつく気がした。俊孝達は、純佳が生きていた頃、あの教室で、リハーサルを行っていたのだ。
俊孝が説明をすると、聡史は、納得し難いという顔をした。
「それって、ただの憶測じゃねーか」
「そうだけど、多分間違いないよ」
聡史の言う通り、憶測に過ぎないが、確信があった。
聡史は、なおも納得しない顔で訊いてくる。
「でも変じゃねえか? 犯人は盗聴器を仕掛けてから、俺らの『計画』を知ったんだろ? なんでその前に盗聴器を取り付けようとするんだよ。順序が逆じゃね?」
俊孝は、首を振った。
「おそらく、盗聴器は相当前から仕掛けられていたはず。そこで、偶然、俺らの『計画』を耳にしたんだ」
「はあ? 意味がわからん。誰が何のために教室に盗聴器なんて仕掛けてたんだよ」
「それはわからないよ」
「はあ?」
聡史は再び疑問符を語尾に付け、首を傾げた。何を言っているんだという目で、こちらを見てくる。
俊孝は、顔の前で手を振り、言い繕う。
「俺だって、わからないことだらけだ。しかし、確実に盗聴器はあるはずなんだよ」
聡史は、うーんと唸った。
「まあ、盗聴器があるということはわかったわ。それでどうするんだ? 探し出して壊すのか?」
「いや、それはするつもりはない。壊しても無駄だからな。ただ、もう教室や学校では大切な話はしないようにしないとな」
「じゃあ放って置くのか」
「そうなるな。ただ、それだけではないよ。探し出しはするけど、壊しはしない」
「どういうこと?」
聡史の質問に、俊孝は笑って答える。
「こっちも攻撃を仕掛けるのさ」
俊孝は、聡史へ説明を行った。
聞き終わった聡史は、神妙に何度か首肯する。
「確かにその方法を使えば、その盗聴器が、相手にとって足枷にはなるな」
「ああ。だから、明日の土曜、早速、秋葉に行って、必要な機器を買ってこようと思う」
手痛い出費だが、仕方がなかった。これもいずれ、聡史に半分負担してもらおう。
俊孝は続けて言った。
「そして、後々お前にも動いてもらうからな」
「わかった」
聡史はそう言い、コーラを飲む。それから、疑問を口にした。
「盗聴器の件はそれでいいとして、不思議に思ってたことがあるんだけど」
「何?」
「お前が誘い出された公園に置いていた桝本のお守り。あれ、何の意味があったんだ」
俊孝は、肩をすくめて答える。
「それは、俺にもわからないよ。何か目的があったか、ただの挑発か」
おそらく、後者だろうと俊孝は踏んでいる。とはいっても、それによるメリットは、犯人側にはないはずだが。
「どうして犯人は、そのお守りがお前らの共通のアイテムだって知ってたんだろうな」
「多分、純佳から話を聞いたか、伊勢山神宮のことを知っていて、俺らがペアで持っていることに気が付いたんじゃないかな」
そうなると、ますます身近な人間が犯人だということになる。
聡史は、再びコーラをあおり、飲み干すと、最大の疑問を口にした。
「お前のスマホに反応があった監視アプリの件、あれは? 誰かが桝本のスマートフォンを持ち出したってことなのか?」
聡史の問いに、俊孝は首を振った。これに関しては、ある程度推測が立っていた。
「いや、そんなことではないと思う。あれは純佳のスマートフォンからのものではないよ」
俊孝は、昨夜、頭に思い浮かんだ予想を話した。
「多分、これしか方法はないはず」
俊孝は、聡史に説明を終えると、ふと思う。そうなったら、ある程度犯人の候補が絞られるのではないのか。
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