33
『部屋に住む男性と連絡が取れないことを不審に思った知人女性がアパートを訪ね、その際に遺体の一部を発見したとのことです』
楽しく過ごしていたその横で、こんな事件があったんだ。なんという偶然というか、不運というか。せっかくの旅行中に変なものを見てしまった。杏さんも同じ気持ちだろう。
テレビから目を離す。すると杏さんも同様にテレビを見ていた。食い入るように、真剣に。
『それに加え、今日の正午までに同市の海水浴場と小学校からも、遺体の一部と思われるものが発見されたという情報が入っています』
まるでスライドショーのように数秒だけ映った二つの場所。それから二つの入れ物の写真。自分には何の関係もないはずなのに、この目にしっかりと焼き付いてしまった。
潮風が騒ぐ海水浴場と、古びた小学校。
真っ黒のビニール袋と、一斗缶。
昨日杏さんと行った。そこで私は、私たちは。
『静岡市内の海水浴場の従業員から、敷地内のごみ箱で人間の腕らしきものを見付けたと警察に通報がありました。同市小学校でも中庭で掘り起こされた跡を警備員が発見し、掘り返したところ、一斗缶に折り畳まれた、人間の左腕と思われるものを発見したと通報があり関連性を調べています』
呼吸も忘れて食い入るように見てしまう。おかしい、なんで、どうしてあそこが映っているの。あれが映っているの。
杏さんと夏を楽しんだあの海水浴場。そこで黒い袋を捨てた。
大冒険を犯した小学校。そこに一斗缶を埋めた。
わけが分からない、認めたくない、そんなわけがないと小刻みに首が揺れる。両手で口を押え、叫びたい思いを必死に抑え込んだ。
だけどそれだけでは足りない。無意識に杏さんを視界に入れ、精神の安定を図る。すごい偶然だと笑ってほしい。大変な事件が起きたねと、人ごとのように肩をすくめてほしい。
願うような熱い視線。その熱に気付いた杏さんと目が合う。何度も見た柔らかい笑み。ああ、やっぱり。ただのひどい偶然で――。
「もうバレちゃったんだ」
部屋に転がったつまらなそうな声と、かわいげのある尖った口。それから唐突に画面が真っ暗になった。
「どう、して」
「何が?」
杏さんがリモコンをベッドに放り投げた。
「何がって」
どうして人を殺したんですか。
そう口にしたはずなのに音は聞こえない。ぱくぱくと空気を吐き出すだけ。杏さんを直視できない。真実を認めたくないと私が私を止めてしまう。いや、まだ真実かどうかも分からない。それなのに、そう決め付ける自分がいた。
ずっと友だちと呼んでくれた杏さんを、簡単に殺人犯と認めてしまった自分が怖い。それと同時に、やりかねないと思ってしまったことも恐ろしかった。
縋るように杏さんへ視線を戻した。いつものように優しい微笑み。それに加え、私の両肩へ手を置いてくれた。このぬくもりは何も変わらない。やっぱり杏さんは――。
「私が殺したけれど、どうかした?」
目を細めて笑う姿が歪んで見える。息をのんで目を見開く私が間違っているのだろうか。誰にも確かめられず、杏さんを前にして目を泳がせてしまう。
「本当に、杏さんが?」
絞り出した声に杏さんはさも当然と頷いた。
「彼をバラバラにして、思い出の場所に埋めてる。それが?」
首をかしげる意味も、疑問符を浮かべる理由も分からない。それは恐らく杏さんも同じなのだろう。人を殺した。それがどうしたと顔にはっきり書いてある。いや、それよりも聞かなければならない。確かめなければならない。
「あの荷物は、まさか」
「彼だけど? ホームセンターで道具を買って、一人でばらしたの。大変だったけどね」
あっさりと口にしたそれは衝撃的だった。かつて見たスプラッタ映画のワンシーンが脳裏をよぎる。予算の関係か、雑なバラバラ死体がいくつも転がっている場面。
実物を見ていないおかげで吐き気はない。けれど、これ以上深く考えれば胸やけにも似たひりつきを覚えそう。
「二人の思い出の場所に彼を埋めることで、一生忘れない記憶にしたかったの。すてきじゃない?」
杏さんが胸に手を置き、愛おしそうに目を細める。あまりの異様さにさらに後退る。それでも杏さんは微笑みを崩さない。
「怖がらないでよ。あんちゃんには何もしない。手伝ってくれればいいだけだから」
意味が分からずにまばたきで返事をした。
「今まで通り、私はあんちゃんの自殺を止めない。あんちゃんは私の計画を邪魔しない。それでいいでしょ?」
まるで駄々をこねる子どもをなだめるよう。人を殺したという事実が杏さんの背後で見え隠れしている。
「どうして、殺したんですか」
ただの興味なのだろうか。再び尋ねた理由は自分でも分からない。けれど音になった疑問は確かに杏さんに届いてしまった。
「まあ、痴情のもつれってやつかな」
杏さんがベッドの縁に腰を下ろした。
「彼と帰省で揉めたって言ったでしょ? 本当は彼が浮気してたの。その件で話してたら頭に血が上っちゃって、こう、さくっと」
包丁で刺すようなジェスチャー。まるで殺すことに何の抵抗がないように、笑みを崩さずに。
「私なりに頑張ったんだけどね。彼は私を都合のいい女としか見てなかったみたい。ひどいと思わない?」
話を聞くだけならそう思う。けれど殺していいわけがない。自分はまだ正常だと言い張るように無言を貫いた。
「そんな彼を埋めて、全てを忘れようとしたの。結局は駄目だったけどね。私、まだ彼を好きみたい」
杏さんが天を仰ぐ。殺したいほど憎んでいたのに好き? 私の人生経験が少な過ぎるせいか意味が分からない。
「海水浴場で彼を捨てた時にね、あの頃の愛が蘇っちゃったの」
「蘇った?」
「愛していたのに、どうしてこんなことになったのかなって」
宙を見つめる杏さんは今にも泣きだしそう。昨夜の涙はそういうことだったんだ。後悔を抱えたままホテルに着き、ベッドで朝を待って――いや、朝を迎える前に異変が起きていた。
結局、杏さんの電話の相手は誰だったんだろう。そもそも電話だったのだろうか。
「彼を運命の相手だと信じてた。それなのに浮気を知ってから、存在していること自体が許せなくてね。彼を想像するだけで吐き気が湧くほどにさ」
「そこまで、ですか」
「ええ」
杏さんがゆっくりと目を閉じた後で、ひどく濁った瞳をこちらにやった。
「彼を憎んでいるのに、まだ愛してる。おかしいって頭では分かっていても心が分かってくれない。まるで私が二人いるみたいにね」
相変わらず意味は分からない。恐らく理解することも不可能だろう。それなら私には何ができるの。
杏さんは愛していた彼氏さんを殺した。けれど後悔している。となれば罪を償った方がいい。そもそも、杏さんは彼氏さんを全て埋めた後、どうするつもりなのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます